2016年08月22日

実行委員会の成熟

 台風直下、すごい雨が降ってます。
 危ぶまれたリオオリンピックも無事終了しました。
 そして、「夏の光2016」もあと2回の稽古を残すのみとなりました。
 構成もテンポもよく、役者たちにもやっと豊かな表情が生まれだして、なかなかの仕上がりです。ご期待ください。
 今回は実行委員のなり手も少なくなって一時はどうなるかなと思ったものですが、しかしやはり16年間の歴史の蓄積はすごいものです。
 人手が足りないわけだから、一人ひとりがかなりな仕事を背負い込むことになります。誰かに手伝ってと声をかけても誰も手を挙げてくれない時もあります。その時、普通は「誰も手伝ってくれないから、やめた」となるのですが、今の実行委員は「だったら、一人でやる」と行動します。
 「協賛広告は私」「観客動員の訴えは私」「パンフレット作製は私」「衣装道具作成は私」「子どものサポートは私」「託児サポートは私」etc…という風に、担当者が(しょうがなく)(時には泣きながら、怒りながら)作業を進めてくれています。勢い余って、善意の提案がまるで決まったことのように独走して、周囲との軋轢を生むようなこともありますが、でも縮こまって何も動かない組織より、少し出しゃばって衝撃が起きる組織の方がよほど魅力的です。
 皆働きながらの多忙な時間の中で、こんなにもエネルギーを注ぎ込んで、ボランティア活動の成果を明確に見える形で社会を発展させていくという姿勢が、これからの社会を支えていくことになるとつくづく感じます。しかもそれを面白がりながら。
 いつまでも過酷な個人負担に甘えていることもできないし、そろそろ本格的総括は必要だとも認識していますが、こういう人たちが身近にいると、なんだかやっぱり、もっと楽しいことがもっと面白うことがやれるんじゃないかとつい幻想が拡大してしまうのです。
posted by ヨッシー at 11:24| Comment(0) | 第8回市民M

2016年08月15日

2泊3日、ミュージカル合宿!

 12日(金)〜14日(日)の3日間、市川少年自然の家でのミュージカル合宿を終えた。
 初日の夜こそ、交流会でゲームや何とか流星群の観察を楽しんだものの、翌日からは稽古稽古稽古、最終日は子どもたちもさすがに疲れた表情を見せたが、大変成果のある合宿だった。
 風邪をひいて咳が止まらず、会館内禁酒だというので宿泊を渋っていた僕だが、何とか持ちこたえられた。最終日は公開通し稽古となって、関係者にも見てもらった。どんな舞台になるか期待は高まったことと思う。
 小学2年生の子がいる。この子のとっさの表現力には注目するものがあって、将来の主役候補ぐらいに思っているのだが、なんとも集中力が足りない。すぐ周りに話しかけてしまう。見ている親が周りへの配慮から「この子は出さない」と叱る。叱られた子は涙を浮かべる。親の期待と不安が子どもへのプレッシャーとなる。活動を熱心にサポートしてくれる親によく見る現象だ。それを見ると僕らは子どもを守りたくなり、親を説得する。でも、稽古中に相変わらず隣りの子と談笑する姿を見て、僕らもまたカッとなる。
 でもこれが小学2年生の真の姿なのだ。こういう体験の一つひとつが彼の血肉となっていくのを信じるしかない。稽古場には不思議な神様がいる。僕らの一人ひとりを見守ってくださる、成長を見届けてくださる神様が。親御さんたち、お願いです、子どもは大人の期待通りには動きません。彼から貴重な体験の場を奪わないでください。あれこれ気をもむのを諦めて、最後は稽古場の神様にお任せしましょう。
 残り4回の稽古、最後の追い込みに入っていく。13番最高の人気逃げ馬シミンミュージカルのラストスパートに注目ください!
posted by ヨッシー at 11:01| Comment(0) | 第8回市民M

2016年08月09日

平成の玉音放送

 日本には憲法で保障された基本的人権を付与されていない人がいる。天皇家の人々だ。
 学生の頃、僕は天皇制を日本の古い国家体制と人権抑圧の象徴として憎んだ。70年前の8月15日の玉音放送はまさに古い日本がガラガラと崩壊する感動的な音だった。
 昨日、平成の玉音放送があった。
 天皇の主張に賛同する。そのことより、今思うのは、連綿と続いた天皇制度の一員としての自らを受け入れ、国民の元首ではなく象徴という新しい憲法下の意義を模索し築き上げてこられた天皇という人間への敬意だ。
 イギリス流のヒューマニズムを身に着けた天皇は、これまでリベラル保守主義者と見えるほどの言動を示されてきた。しかし彼は天皇であらねばならない。制度と個人との狭間で想像すら難しい葛藤を生きられたに違いない。
 民主化された日本のような国では「制度下の葛藤」はなくなりつつある。離婚の増大にみるように、苦しければ逃げろ!となる。自由ばかりが謳歌され身勝手やだらしなさに歪曲されて、自由の本当の美しさが汚されていく。
 身分や制度を守れというのが保守の神髄だと思うのだが、確かに今は、何か大きな壁と真っ向から向き合って個人を考えるという機会が少なくなっている(会社組織を除けば)。「何もかもからの自由を求める」「国民の象徴など不要」と考えていた若い僕は、「象徴という微妙で繊細な立場の意義」や「制度や壁とどう折り合いをつけていくか」を考える老いた僕に変わっていった。
 そういう意味で、制度下に生きる人間の苦悩と闘いつつ、国民の象徴としての存在の輝きを追求してこられた天皇を、僕は美しいと思う。
posted by ヨッシー at 11:35| Comment(0) | 個人的分野

2016年08月01日

荒通し稽古!

 31日(日)、市民ミュージカル「夏の光2016」の初めての荒通し稽古を行った。
 祖父役が膨大な台詞をしっかり頭に叩き込んでくれていたおかげで、全体としてはうまく進行した。上演時間も大幅に短縮されて、引き締まったいい舞台になると思う。今後は何度も通し稽古を重ねて、役者の表現力向上に努めたい。
 気になることが一つ。残念ながら子どもたちの欠席が目立つ。稽古の成果も蓄積されて行かない。子どもたちにやる気がないわけでもサボッているわけでもない。今は、「夏休みだ、さあ稽古に集中!」とはいかないようだ。部活と塾を先頭に、いろんな課題が子どもたちを待っている。少なくなった子どもたちへの期待が、「あらゆる分野で才能を発揮せよ!」とばかりに押し付けられているのではないか。
 思えば16年前の第1回公演は出演者320名、子どもは250名近かった。稽古場となった体育館に子どもがうじゃうじゃいた。皆が勝手にしゃべりだすと会場内に声がウワ〜ンと渦巻いた。それを一喝して抑え込むのにエネルギーがいり、また快感でもあった。今は数少ないゆえに、無駄口の中身までが聞こえてくる。つい苛立って叱ることになる。叱っている自分はいやだ。
 少子化の影響は誠に深刻だ。子どもと向き合うどこの団体でも存続が危ぶまれる事態が広がっていると聞く。と言って、役割が必要ではなくなったということではもちろんない。むしろ子どもの抱えるストレスはいや増している。そして、「舞台芸術表現活動の持つ不思議な力」がますます必要とされていくのだ。
 市民ミュージカルの根を絶やしてはならないけれども、その魅力を最大限に発揮する場として、そろそろ勇気をもって有り様を見直していく必要があるとは思う。
 とはいえ、今は作品づくりに集中。叱るのではなく誉める。面白がらせる。夢中にさせる。指導者の力量が問われている。
posted by ヨッシー at 11:17| Comment(0) | 第8回市民M