毎朝4時過ぎには目覚めて、病窓から白みゆく秋の空を見つめています。闇から光彩へと染まっていく空がなんとも素敵なのです。
それからコーヒーを飲みながらすぐ読書です。この際、普段読む余裕のない読書を楽しもうと、次から次と乱読しています。
ここ数日は天童荒太の、児童虐待をテーマにした家族狩りという5部に渡る長編、この作家が描く世界は気分が落ち込みます。人間の業をグッと突きつけられて脅迫されるかのようです。
僕は先の市民ミュージカルで「子どもの苦しみ」に挑戦しようとしたけれど、やっぱり無理でした。どうも本質が浮かび上がらないし、何より、こんな重苦しいテーマに子どもたちを付き合わせるのも酷だと気づいた瞬間に、意欲も萎えてしまいました。
とても重要なテーマだと誰もが理解しているくせに、それを舞台化できないってことが、表現者でありたい僕にはとても辛く、力不足を感じました。
日本のどこかの家庭内で繰り広げられる子どもへの虐待行為や、世界中の戦争下で死んでいく子どもたちを前に、「この現状にお前は何もしないのか?」と突きつけられて答えられる人間はいないでしょう。
でも、小説や演劇ならそれが可能かもしれません。フィクションでは現状を何ひとつ変えられないだろうけど、人間の心の中の何かを変えられるかもしれない。身近にこじ開ければいくらでも転がってる悲劇的な素材でありながら、誰もが目にも耳にもしたくないといったテーマを、何とか感動的に描ける方法はないものか、諦めないで考えようと思います。
そう、暇だから、今の内にこれから上演するであろう台本をいくつか溜め込んでおきましょう。
2016年10月28日
シリーズ6 本を読むしかない
posted by ヨッシー at 15:56| Comment(0)
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