昨10日(土)、いちかわ市民ミュージカル実行委員会の総括会議があった。
出発点が遅れた今回の実行委員会はいろいろ大変だったし、一方で、実行委員の一人ひとりが「担うべき役割を全うする」とばかりに奮闘してどうにか乗り切ったようで、その辺りにさすが16年間の蓄積の成果と僕などは評価するのだが、ともかく大変だった(らしい)。
昨日の会議は、「今後の課題」をいくつか具体的に確認する場となるのかと思いきや、終演後、まだ会議の場で一度も自分の言葉で振り返りの総括を述べてなかったようで、つまり昨日はそういう場となった。
実行委員の一人ひとりから、いろいろ「大変」だったことや「孤独」だったことや「加重負担」だったことなどが涙や緊張とともに述べられて、「それでも一所懸命やった、やってよかった」とまとめられていた。
強烈に感じたことが二つあった。
みんなが誉めてもらいたがっている。当たり前だ、苦労したのだもの。人は誰もが褒められたい、認められたい。誉めてあげれば、認めてあげれば、ほとんどの苦労など吹き飛んでしまうのだ、ということ。大人でもそうなのだから、子どもなどまさにそうなのだろう。本当にお疲れさま! 関係者の皆さん、ぜひ実行委員のご苦労に感謝し労わってあげていただきたい。みんなでお互いにもっともっと誉め合おう。
もうひとつは、メールMLのやり取りでことを決めていってはならないということ。各実行委員の多忙さを配慮して、MLのやり取りでことを進めていこうとしたのだが、この方法は失敗だった。やるべきではなかった。会議の場で顔と顔を向け合って話せば解決したはずのことが、一方通行で言葉足らずのメールのやり取りでは不満と不安が高まるばかりで何一つ良い結果を生まなかったようなのだ。
メールは人間的ではない。肝に銘じよう。
2016年12月11日
メールのやり取りは対話ではない!
posted by ヨッシー at 10:31| Comment(1)
| 第8回市民M
葉足らずのメールを足りる様にメールすれば・・・実際これは大変ですよね。議論の場ではなく議事録的に情報共有する手段とすればメールを活かせるのでは?