プロローグ
「キャッツ」に似ているのは否めない。当初、野良猫による満月下の祭りシーンとしてコミカルにいこうと考えたが、どうにも処理できず、なにやら厳かな雰囲気になってしまった。この後の子どもたちの旅を重ねて、また子どもたちの救いはあるのかと問うプロローグになる。
こうなったからには踊れる出演者を30名ほど集めてカッコよく行きたい。もちろん、鳴き声とともに、暗い観客席からも登場することになる。
猫集団をもっと劇中に絡ませる工夫をしたいが、時間的関係から割愛した。提案があれば受け入れたい。
行徳富士の山腹での猫集団の集いを中断する形で、UFOを思わせる光の固まりが襲う。なぜUFOなのかはわからない。この世の子どもたちを救う絶対的な存在の象徴かも知れない。
恐怖に固まる猫集団が割れて、中央奥から飛び出してくる少年が叫ぶ「UFO!」。それでUFOとわかればいい。
1場「貴志の部屋」
貴志の勉強部屋。窓や机といったものはどのように表現するか、こだわりはない。ワゴンにする形になるのだろうか?
音楽はリズムのいい陽気な曲調でいきたい。両親はビールグラスや台所用品を使ってリズムを刻んでもいいかも。ともかくバカみたいに漫画チックに遊びたい。
2場「行徳富士」
洞穴にはこだわらない。真ん中の洞穴から、猫集団を中心とした舞台転換集団が飛び出して、舞台全体へとゴミ山が展開していけば面白いかと思ったまでだ。
3場「スモーキーマウンテン」
さて、大量のゴミをどう表現するだろうか?
見かけは満面のゴミでありながら、ダンスなどの邪魔にはならないように、また、当然舞台転換を容易にする工夫がなければならない。
そこで考えたのが、何枚もの広い布を用意して、そこにゴミらしき上物を貼り付けるというという工夫だ。上物も具体的なものに混じって得体の知れない、踏んでも壊れたり散らばったりしない軽い物が貼り付けられている。行徳富士では裏返しておいて、山肌のごつごつしたイメージになるし、ゴミ山でひっくり返されて一面のゴミが出現する。
5場の大都会ラングリエでは、その布が引き上げられて壁になってもいい。その前に多くの屋台などが並べば、混雑した市場のイメージが表現できるかもしれない。
この場の始めの転換(明転)では、上から多量のゴミを振り下ろしてもらいたい。長い大きな糸くずや紙くずといった感じだ。いずれにしろ匂い立つような混沌としたゴミ山であってほしい。
M7「宝の山」
ダンスというよりマイムだろう。
絶望感に彩られた気だるい退廃の雰囲気に始まって、最後は怒りが爆発する。
薄汚れた顔に目だけが異様に光っている人々、体にあちこちにゴミがへばりついている。
大人と子どもを合わせて200人くらい登場させたいと思う。
M8「争い」
青年と大人を中心に二手に分かれて、全員登場する。
開発賛成派と反対派のデモンストレーションがダンスとして表現される。時々、リズムを刻むように言葉が突き出され、憎悪がほとばしる。
「ウエストサイドストーリー」のシャーク団とジェット団の対立をダンスで描くシーンに通じる。周囲からたくさんの人間が見守る中で、両派の若者(でなくても)が示威行動をダンスと言葉で掛け合う。青年の踊り手を猫集団に取られてしまったら、はたして格好良く決まるか不安だが、人間の欲と憎悪が入り混じるエネルギッシュなシーンにしたいものだ。掛け声は周囲を取り囲む全員で罵倒しあいたい。
4場「働く子どもたち」
紗幕前に逃げ込んだ子どもたちの後ろ、紗幕中に下手にレンガ工場。上手にジュウタン工場が浮ぶ。
一方は炎天下で、一方は薄暗い工場内で、働く覆う税の子どもたちを、大人と子ども合唱・大人ソロ・子どもソロで歌い分けたい。ジュウタン織りの機械をどこまで用意するかが問題だが、写真ではどれも小さなもの。形を整えることは可能だろう。
5場「大都会ラングリエ」
このシーンはスペクタル第2弾(第1弾はゴミ山)といったシーンである。
大人全員と子どもの半分150名近い出演シーンとなる。
据え置きのセットを利用した、猥雑でエネルギッシュな市場・歓楽街の夜の光景を描き出したい。
パントマイムや群舞劇から始まり、勝手放題の大勢の声が乱脈に発せられ、響きあい、歌となり、ダンスとなって、爆発する。看板や屋台なども置きたいが、どこまでダンス空間が保証されるか?
大人たちが勝手に喚き合っている足元、壁際、高台、などあちこちにはボロクズの固まりがある。一瞬音楽が止み、ストップモーションが入ると、そのボロクズたちが動き出す。ストリートチルドレンである。小さな犯罪者たちと大人との争いも、ダンスにした方が返って表現になるかもしれない。子どもたちはできれば年齢差の豊かな集団にしたい。
6場「ストリートチルドレン」
M12は猫集団と猫合唱団とで演じられる。
猫集団は客席通路から登場する。通路のみ少々明るくしてピンで追う。ダンスを強調するシーンではなく、ダンス的パントマイムといったイメージで進行する。
途中から紗幕が上がり、市場のあちこちで眠り込むストリートチルドレンを慰撫するように猫たちが関わって消えていくと、サスライトの点滅の中で、舞台のあちこちで、子どもたちの会話が強調される。もやのような煙が流れている。
M14はストリートダンスである。
始め静かに、そしてだんだん盛り上がっていく。ここでは、演奏団とともに、子どもたち自身が、ゴミを利用した打楽器でリズムを刻みあう。ダンスは青年中心に進めたい。バンブーダンスに始まり、ケチャを思わせる掛け声が唱和するとともに、若者たちの絶望に裏打ちされた爆発的とも思える激しいダンスが生まれるといい。子どもだけでは難しいから猫集団が関与してもいいかもしれない。
メロディーやリズムはモダンなハイテンポでいいのだが、楽器の音色にエスニックなイメージがほしい。
この場の演技の中心は中・高生である。
M15「少しずつ 一口ずつ」
静かだが、どこか陽気な歌。
7場「行徳富士」
何もかもなくなって、山肌ばかり。一気に転換が可能かどうか。
子ども演技組
子どもの演技者は 日本の子ども4人×2組 小6〜中学生対象
姉・弟・他 5名×2組 小4〜高校生
ダッハレム10人×2組 小6〜青年対象
その他なるべくセリフを分けてやりたい
2008年03月21日
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