2008年05月31日

自分たちの町を知る

“行徳富士”を知っている方が意外と少ない。稽古場で聞いても1割もいなかったですね。

 高度経済成長著しい頃、行徳の江戸川河口の沼地が建築残土の捨て場となり、いつの間にか20mほどの山が出来上がってしまいました。

 ぼくが西船橋に移り住んで20余年、子どもが産まれ、アパートを追い出されて市川に移ってきたのですが、その頃の江戸川河口はまだレンコン畑がある沼地で、イタチのような動物が走り回っていたものでした。

 周りがどんどん埋めたれられて新築の家並みが揃い、行徳富士の土を三番瀬に埋め立てるとか、下水の終末処理場を建設するとかの話が起こった頃には、債権者の怖い人たちが絡まってきていたりして、なかなか解決策が見つからないまま現在に至っているのです。市長は「既に基本的な解決を見た」といっていましたが。

 ともかく今回の舞台は行徳富士です。いちかわ市民ミュージカルは、いつも市川に縁のある話を素材に取り上げてきました。「自分たちの町を知ろう」という目的があるからです。

 02年の第1回公演「いちかわ真夏の夜の夢」は、市役所前にある“藪しらずの森”をイメージして、解体されてマンションに建て替えられようとしている市内の大きな家の森に迷い込んだ子どもたちの冒険物語でした。登場する千年も生きているスダジイとスダバアという神様が「命はつながっている!」と叫ぶのでした。

 04年の第2回公演「手鞠歌風にのって」は宮久保にあった“袖翔けの松”が舞台でした。昔あの辺りは難儀な坂道で、滑って転んだ人に災難が降りかかるという言い伝えを恐れて、みな松に着物の袖をちぎって翔けたというところから袖翔けの松伝説が生まれたのですが、昭和25年、道路拡張の犠牲になって、その松が伐採された時、近くで遊んでいた少女がひとり、誤って倒れた松の下敷きになって亡くなった。それを悔やんだ責任者の棟梁が苦しみの果てに小学校の用務員さんになって子どもたちの成長を見守ったという事実を舞台化したものです。稽古中に妙に捻挫したりする人が続いて、皆でお参りに言った覚えがあります。

 第3回目「夏の光」は“中山競馬場”が舞台でした。競馬狂いの兄を追って競馬場に迷い込んだ家族が馬の亡霊と出会う怖い話です。そこには戦争中の恐ろしい悲劇が秘められていたのです。

 長い話になるので、この辺で結論。自分たちの町の歴史を知るということが大事だと思うのです。私たちのほとんどは他所から移住してきた家族です。誰かが言っていました、「自分の町でこんなことがあったのかと知ることで、この街が好きになった」と。

 この町を好きになってほしい。そして、市民ミュージカルの長い熱い稽古と本番を体験する仲間として、出会った知らない者どうしが仲良くなってもらいたい。たくさんの市民の方に見に来てもらって、もっともっと大きなつながりの中で生活していきたい。街中で子どもと大人が「こんにちわ!」と挨拶を交し合う町ってすてきじゃないか!

 市民ミュージカルはそういう目的で運営されていきます。でもその前提に、何よりもやっていることが面白くてたまらないということが大切です。「面白いことをやってれば人は元気になる」「面白いことには人が集まってくる」・・・ぼくのスローガンです。
 さあ、明日からの稽古を存分に面白がりましょう!
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