秋葉原で起こった無差別大量殺人事件。ショックなんてものじゃない。どこの家庭でも、出かけようとする家族に「気をつけてね」と声をかけたことでしょう。気をつけて防げる事件じゃないから無差別なんだけど。
犯人の彼の話し相手は携帯メールの掲示板。市民ミュージカルの掲示板と違って、誰という特定の相手はいない。ナイフを買いにいった店の店員が優しくて「いい人だった」と書き込んでるけど、涙が出ちゃったね。
ものすごく強引な我田引水だけど、彼が「市民ミュージカルに参加してたら」とすごく悔やまれます。きっと人間が変わっていったと思う。チャレンジド・ミュージカルなんかに参加してたらもっとちがう世界の新しい発見があったと思う。
つまり、人間関係の輪が広がる、コミュニケーションの楽しさがわかるという、その楽しみの場が彼にあったらと、ものすごく悔しい思いです。
派遣という働きの現場の悲劇が浮かんできます。クビかと思ってたら上司からの電話で「人が足りないから来い」と言われたことにも腹を立てている。「俺が必要だから」といってくれたら彼は職場に戻ったかもしれない。
働くとか生きるとかは、そもそも孤独なものじゃない。どんな仕事でも、自分でやった仕事が人に喜んでもらえるから、社会の役に立ってると思えるから、嬉しいんだ。そういう仕事をしている現場だから周りを仲間と思えるんだ。仕事とはそういうものだろう。
若者からそういう当たり前の喜びを奪い去ってしまうような働く現場があることに、ぼくは無性に腹が立つのです。それも残業残業で、毎夜コンビニで弁当を買って帰ってくる一人ぼっちのアパートの夜。おかしくなるのは人間だからです。何もかもうまく行かない不満と絶望をドンドン一人ぼっちの心に溜め込んで鬱々としたマイナスのエネルギーがギューッと凝縮して爆発させてしまった。
彼に市民ミュージカルのような活動の場があればと、本気で悔しがってるぼくがいます。
で、前から考えている企画がふつふつと浮かび上がってきました。「お見合いミュージカル」です。市川に住んでる孤独な青春、誰か交際相手はいないか、結婚する相手はいないか、と探してる人を対象に、堂々とミュージカルの稽古を重ねながら伴侶を探していくのです。参加資格者は年齢不問の独身者のみ。スタッフもキャストも。稽古を重ねることで、表現にこだわることで、人間が見えてきます。共感の土台が築けます。そこからカップルが生まれて子どもが誕生すれば、日本の少子化対策に貢献できます。
面白い! (とやっぱり我田引水)
アッ! ぼくは参加できない!
2008年06月11日
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