14日・15日は二日連続の稽古。
家庭や仕事を持って、土日も稽古でつぶれてしまうと、本当に心身の休まる時間がなくなってしまう。出演者の皆さんは大変だろうと同情します。
でも、二日連続で稽古すると全然効果が違ってくる。歌でも踊りでも、2日にわたって身体に覚えこませると、「やった!」という記憶が刻みつく。仕事も勉強もそうですが、芸事もまた反復が大事です。何度も何度も繰り返すことで、少しずつ身体と心が新しい刺激に染まっていくのです。少しずつ少しずつ声が出る。身体が動く。イメージが浮かぶ。反復に飽きて、今何のために稽古しているかが見えなくなったときスランプが訪れます。その時でも、反復を繰り返していれば、壁の向こうに必ず見えてくる一瞬の気づきがあります。それが稽古です。
稽古とは発見です。それに気づいたとき、「もっと稽古を!」と欲がわいてきます。
「こんなの簡単だよ」と表現をバカにして稽古をサボろうとする人も中に入るでしょう。「稽古がもたもたして、つまらない」と文句をためている人もいるでしょう。テキパキ進行したいと指導陣も思っているのですが、稽古場ではどうしてもイメージと現実とのギャップが生まれます。そこで悩み、あせり、不安に落ち込みます。
でも実はそれが稽古なのです。テキパキ進行する場面は絶対つまらなくなる。もたもたオロオロしながら創りあげる稽古が本物です。稽古に悩み、稽古後のイメージの交換に、もう一度何かを発見して、また稽古に立ち向かう。それが創造です。
日曜日の前半で、貴志を始めとする日本の子どもたちの読み合わせの稽古をしました。皆台本を結構読み込んできていて、そして十分のやる気を見せてくれて、演出者を喜ばせてくれました。2幕で日本の子どもをぼろくそに言うことがますます不安になってきましたが、彼らがそうなのは自分で選んだ活動だからでしょう。
自分で決定する。自分で選んだという確信があれば、人は困難に立ち向かえるものです。人のせいにすることもなくなります。秋葉原の犯人の青年には、小さな時から、自分で決めるという体験がなかったのではないでしょうか。ほんとに、ちいなさうちから、どんな小さなことでも自分で選んでいく決めていくという体験が大事ですね。
ぼくがそれに気づいたのは、もう40も半ばの頃でした。思えば、文句たらたら、周囲を批判ばかりして、そのくせ自分では何一つ努力しなかったなさけない大人でした。でも少しは変われました。人間幾つになっても成長するものですね。
2008年06月17日
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