2008年06月20日

役付きの人・・・

 HP掲示板のやり取りを見ていて、面白いなと思うので一言いいます。

 いい役に就けなかったとか、えこひいきとか、不満とか、といった否定的な本音が交わされているようです。過去3回の公演ではこういうやり取りはなかったなと、ある意味市民ミュージカルの成長の証しかな、と面白く拝見させてもらっています。

 まず前提として、誰もが良い役につきたい、舞台で目立ちたい、と願うのは当たり前です。それを阻害されるような扱いを受けたと感じたら不満がたまるのも当然。それはエゴでも悪感情でもありません。

 一方で、誰もが目立つ舞台は良い舞台とはいえません。ストーリー性とテーマを強く押し出すためには、観客が注目する、観客のさまざまな思いを引っ張っていく役柄というものが必要になります。舞台上の役は限定されるのです。ここに配役という難しい作業が必要となります。

 イギリスの新聞で、日本のモンスターペアレンツが話題になっています。幼稚園の学芸会で白雪姫をやることになって、白雪姫とか意地悪ばあさんとか小人とかの役を配役する段になって、親の苦情が殺到して、結局全員が白雪姫となって歌い踊ったそうです。それはそれでまた面白い学芸会かもしれませんが、少なくとも白雪姫という劇は成立しませんね。

 配役とは、これほどに神経を使う作業です。今回も、何度も指導陣で確認しながら、イメージと表現力の可能性と出演者の意向とを勘案しながら、責任持って主張できる配役をしました。もちろんえこひいきや功労賞的配慮などはありません。市民活動でそういうものが交じり合ったら自滅です。また、全体の成功のために個人のこだわりや自己主張などを抑えろと言うつもりもありません。そういう考えも市民活動にふさわしくないと思うのです。

 つまり、市民活動(市民ミュージカルと置き換えてもいいのですが)の楽しさとは、まず自分ありき。でも一人ではできないことを多数の市民と手を組む必要もあり。そして自分を大切にしながら手を組むみんなを大切にする必要を知る。そこから新しい人間関係、つまり自分をも他人をも大切にしながら、自分の立つべき位置を納得し、なおかつ一緒になって共通する課題に向って歩みつつ、課題を解決していく。そういう人間関係の楽しさを味わうことではないでしょうか。

 難しいことだけど、これを知ったら市民活動をやめられなくなります。そういう人たちの力と知恵が切磋琢磨して、個々でする仕事の2倍にも3倍にもなる成果を発揮する協働という精神が育まれていくのだと思います。そして協働こそこれからの市民社会の大きな救いとなるとぼくは信じています。

 市民ミュージカルに戻りますが、ぼくは役付きとかその他大勢いった言葉を使いません。台本上に名前は書いてありませんが、登場するどの役もが名前と人格を持つ一人として舞台に立たねば、テーマのしっかりした感動的な舞台には仕上がらないわけで、観客を感動させるという共通の課題に向って、ぼくらは新しい人間関係の楽しさをも学んでいくのではないでしょうか。

 かっこよすぎるかしら?

 ともかくせっかくの掲示板ですから、大いに意見を交わしましょう。まだまだ手をつけていないシーンがいっぱいあります。大いに交流を楽しみたいし、ドンドン稽古を進行させたいし、そしてせっかくの機会だから、出演する皆さんには「表現の本当の面白さ」をぜひとも味わってもらえるような稽古場にしたいし・・・いずれにせよ、燃える夏にしたいですね。
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