18日、市川市文学プラザ主催で、荷風没後50周年記念の「役者と巡る荷風ツアー」が開かれました。
これは、「荷風幻像」公演に出演する市民俳優と一緒に、市川市内を転々とした荷風の13年間の住居や行跡を追体験しようという試みで、総勢60名の市内外の荷風ファンが参加しました。
晴天の下、まだ桜もチラホラと残る中、市川駅を出発して、菅野の住宅街をぞろぞろと歩む一行を、近所の住民は「一体何事?」と窓から顔を出す驚きのようでした。
昭和20年1月26日、荷風が杵屋五叟とともに最初に流れ着いた日の出学園の教員宿舎跡を手始めに、小西家、最初に買った古屋、最後の終焉の家屋、と巡り歩いて、最後は大黒屋の荷風定食を昼食として解散しました。
その間歩いた歩数は7000歩。荷風が次々と移転したといっても、ほとんどご近所を移動しただけと実感できたのが収穫でした。
要するにずぼらだったわけです。齢70歳前後の老人の一人暮らしだから、「面倒臭い」というのが先にたったのでしょうね。なんとなく身につまされる思いでした。
文学プラザの根岸英之さんや市川案内人の方からの荷風の実際生活のご説明、特にご近所に住んでおられた生き証人の方からのお話はやはり具体的なエピソードに満ちて、楽しいものでした。
そして演劇ではどのように表現するかについて、演出である私からの説明。加えて、各モデルとなる人物を演じる役者からの感想などを交えて、虚実入り混じる荷風像が浮かび上がってきて、楽しい2時間あまりのツアーになりました。
当日は、都内を始め市外からの参加者も多く、荷風ファンの根強い存在を印象付けられました。
ツアー参加費無料。かかった費用は昼食代+ビール代のみで、こんなに楽しい時間を過ごせるわけだから、これからの観光事業のあり方を改めて振り返る機会ともなりました。
午後からの稽古では、役者たちの熱の入り方もちがってきたように思います。役者には創造力も想像力も必要ですが、それらは漠然と考えているだけでは身につきません。何より具体的な資料(考える手立て)が必要なのですが、荷風の生活の跡を探るだけでも十分触発されるものなのですね。
稽古後の酒談義は夜遅くまで続いて、またもや二日酔いに苦しむ羽目となりました。
あれで飲み これで飲んでは ほら騒ぎ
相も変わらず 馬鹿な酒飲み
2009年04月22日
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