2009年05月02日

子どもを泣かすな!

子どもの虐待殺人の報道が目に付きます。歳のせいか、こういう事件を耳にするだけで泣けてきます。

「なんて非道な親だ!人間のすることか!」と、我々はすぐ親を追及してしまいますが、その親たちもまた、虐待されて成長した体験を持っている場合が多いようです。虐待の連鎖ですね。加えて、昨今のストレスの多い生活、貧困や失業や首切りが増えていく状況が重なって、虐待される子どもの数も急増していくのでしょう。

こんな記事がありました。10代の二人の女性が、「どれだけの熱さに耐えられるか面白いから実験しよう」と、我が子を熱い湯船に押し込んだり、肩から熱湯をたらしたりして、苦しむ子どもの様子に笑い転げていたということです。これなど、どう理解すればいいのでしょう。人間的な存在としての根本のところで疎外されたまま成長した悲しい姿があります。

なんだか、たまらなくなります。

児童虐待に関しては、虐待の可能性に気づいたら児童相談所なりに通告する義務が市民にはあると規定されています。近所の危険性を機関に通告するなんて、かなりの勇気のいることですが、子どもの命を思えば、勇気を出して立ち上がらねばなりません。まず市民としての覚悟も要求されているのですね。

児童相談所を始め対処する機関もあるようですが、とても手に負えない事態となっているようです。老人福祉や教育界など福祉関係はすべてそうです。ぼくもNPOをやっているからわかりますが、NPOやボランティアといった市民的努力だけでは、とてもじゃないが対応できません。小泉内閣以降の構造改革という名の社会的予算の削減が、こういう部門でどんどん悪影響を現わしています。

アメリカ駐留軍施設の思いやり予算が5000億円、自衛隊のミサイル防衛システム開発に数兆円、そして100年来の不況と呼ばれる、実は何のことはない、自由競争という名目で世界的な金融資本の得手勝手な荒稼ぎが無数の市民のなけなしの金を吸い取っていくだけの所業を容認する政策、全くこうして並べるだけで腹が立ってくる政策を、結局私たち市民が許してしまっている情けなさ。

「子どもを泣かすな! 殺すな!」と叫びたい。でももっと大きな世界に目を向けて、そこを変えようとする努力とつなげていかなければ、子どもを泣かさない社会は実現できないのでしょう。

でもだからといって、地域の子どもの今ある不幸をすぐにも救い出さねばならないわけで、やっぱり同じ地域の住民として、何をできるか、できることを運動にしていくことも大事ですよね。

市民文化活動家を自負するぼくに突きつけられた重要課題です。

posted by ヨッシー at 04:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
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