2009年06月07日

ガラスの家族

昨夜、六本木の俳優座劇場で劇団朋友の「ガラスの家族」の公演があって見に行きました。いちぶんネットの公演のスタッフとして協力してくれている松川美子さんが出演していることもあって、会場には馴染んだ顔を見られました。

この作品はぼくが25年前に書いて上演した作品です。アメリカの児童小説ガ原作で、育児放棄された少女が里親制度の中で次々とたらいまわしにされた挙句、めでたく実の親との暮らしを再開するといった話にはならなくて、やっぱり親に拒否されて、「それでも自分で生きていきなさい」という自己責任の極みのようなテーマとなっていました。

25年前に良くそんな主張ができたものと改めて自分でも驚いています。

舞台は、もう少し笑わせてくれ、泣かせてくれ、と思わないでもないですが、すっきりと嫌味のない出来となっていました。「台本がいいからよ」とおだてられましたが、確かに直線的な若々しい台本ではありました。会場には当時の劇団メンバーも揃っていて、なにやら同窓会的な楽しい気分で楽しい一夜となりました。

30代前半、自己主張したい未熟な演出家にスター主義の劇団の壁は厚く、チャンスは自分で打ち出すしかありませんでした。かといってオリジナルを書く自信もなく、本屋や図書館の棚をウロウロと探し回っていたときに、ピカリと光ったように感じて手を伸ばしたのが原作でした。

児童書でした。そして、新劇といわれる大人相手の芝居ばかりしていた当時の劇団で、当時盛んな子ども劇場や学校演劇の分野を新しく開拓していこうと決意して、奮闘したものでした。結果は全国を巡る500ステージ近い評判作になりました。ぼくの本格的なでデビュー作となったのです。

人生には、その時にかける時期というものがありますね。その後十数年、いくつかの評判作を物にして、高校鑑賞会を席巻したこともありましたが、残念ながらそれどまり。劇団や新劇界を揺るがす存在とはなれずにストレスのたまるばかりの時期を経て、市川での市民文化活動に何かを求める方向へと転化していきました。そしてこの7,8年は、またぼくにとっての新しい奮闘の季節となったのです。

大した人生ではないけれど、こうして振り返れば、人にはさまざまな人生の節というものがあるようです。それを因果というのでしょう。本人に00をしたいという漠然とした、しかし確かな思いがあれば、いつかピカリと光る瞬間が生まれます。その時にそれに喰らいつくか見捨てるかで人生のありようも変わっていきます。子どもたちにはもちろんのこと、大人の皆さんも、決して諦めることなく、その時期を準備していきましょう。因果とは決して成り行き任せということではないのです。

公演は10日までやっています。よろしかったら見てあげてください。
posted by ヨッシー at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
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