昨夜、お通夜がありました。
青年の頃から一貫して子ども劇場やNPO活動に身を挺してきた男です。56歳、すい臓がんでした。
誠実で勤勉で誰もが信頼を寄せる男でした。通夜の席では、彼を見つめてきた誰もが「活動の犠牲になった」という評価をしていました。
確かに一時期は精神科のカウンセルを受けたり、すい臓がんはストレスの結果だという話を元に、ここ10年の彼の置かれた状況を同情的に回顧する言葉だったのかもしれません。
でも、それだけで彼の人生を括ってしまっては、やはり悔しい思いが残ります。
子ども劇場おやこ劇場は40年前に全国に波及して、子どものための鑑賞事業や体験事業を推進してきたとても大きな団体で、一時期は会員100万人も夢ではないと豪語してきたものです。ぼくも子どものための演劇を提供する形で活動に関わり、最近まで全国センターの理事も担いました。
戦後の民主主義の高まりに応じる形で誕生したさまざまな市民組織が一様にそうであるように、少子化が叫ばれるようになった20年前ぐらいから、会員減少と共にさまざまな組織的問題が目立つようになっていきます。
運動論の違いや人脈の分断化といった、退行組織に良く起きるさまざまな軋轢が目立つようになっていきます。歴史的役割を終えた組織は消滅すべきだというのがぼくの理想論ですが、現実にはたくさんの会員と事業を抱えた組織ですから、そう簡単には解散できません。そこで相も変わらぬ組織的分断が起きていきます。
その狭間で、誠実ゆえの苦悩が彼を苦しめたのも事実です。周囲からいろいろと責め立てられ、責任を抱え込み、問題公開の原則で解決に当たろうとして、圧力下に沈黙してしまいました。
今では悲しく総括せざるを得ないのですが、人間の集団的営為とはなぜこうも悲しい結果に終わるのでしょう。人間の歴史的悲劇とはほとんどこの問題に尽きるといっても過言ではないでしょう。
いいときもあれば悪いときもあるといってしまってはそれで終わるのでしょうが、この団体のここ十年のさまざまな問題を見ても、ぼくを含めて誰一人幸せに終わった人がいません。
皆が一様に無力感に悩んでいるのです。そして今も、問題を克服しようとして苦闘している人たちがほとんどです。
でも彼は、青春のある時期、「子どものために」との思いでエリートコースを外れ、その後のエネルギーをすべて運動に捧げてきました。頼もしい子孫も残しています。集団的営為の健康的な側面も十二分に堪能してきました。見事な人生だったと思うのです。
通夜の席では、泣きくれる母の傍で、大人となった子どもたちが力を込めた目つきで焼香者の一人一人と礼を交わしていたのが印象的でした。
合掌。
2009年06月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/30045162
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/30045162
この記事へのトラックバック