チャレンジド・ミュージカル「サバンナ!」の稽古が4回目を終えて夏休み期間に入りました。
昨日9日は「台詞」に挑戦・・・」のつもりが、箸にも棒にもかからず、仕方なく中止にしてしまいました。悔しい思いでいっぱいです。お休みの子も多かったので、台詞の分担も決められず、まずどんな声やどんな明瞭さで言葉を語れるかを一人一人試してみたのですが、ぼくの気持ちばかりがアセって、はっきり敗北感を感じてしまいました。チャレンジド・ミュージカルの難しさを改めて思い知るばかりです。
当然のことですが、台本を読めない子もいます。すぐには台詞の意味も理解できない子もいます。だから稽古は「台本読み」をするよりも、口述で台詞を割り振っていきます。台詞とはコミュニケーションの具体化ですから、その台詞の意味は何か? なぜその台詞をいうのか? 誰に向かっていうのか? といった会話の動機や目的が理解できなければ、頭にも身体にも入っていきません。すべての演技はこのように繰り返し稽古を重ねていきます。
昨日は、そうした過程を省略して、「まず言ってご覧」とばかりに口述していくと、ぼく自身がまるで調教師のような、受験指導の先生のような、いやな気分になってしまいました。
やはり演技づくりの本道に立ちかえるべきですね。そして、そうした稽古には、実に普段の何倍もの時間をかけねば成立しません。理解というものに何倍もの時間を必要とするチャレンジド・ミュージカルの宿命です。
これまでは歌って踊って発散するエネルギーだけで成り立っていたチャレンジド・ミュージカルが、前回から表現することに重きを置きだしたわけなのですが、その割に稽古時間を十分に確保していない、その不十分さが稽古の難しさを増幅させています。
「この子たちのやれることはこの程度だ」と決め付けてしまう愚かさを克服するためにも、稽古のあり方を再考しなければなりません。それは公演経費にも関わってくる問題なのですが。
とはいえ、子どもたちの意欲の高さには驚くばかりです。ぼくの提起する課題に挑戦したいという意欲がありアリです。「できるかな?」と投げかけると、目をランランと輝かせて挑戦しようとします。でもできません。何回か繰り返させても出来ません。そこでぼくも諦めてしまうのですが、その時に強烈な後悔が生まれてしまいます。その子に、「ぼくはできない」という印象を残しただけではないのかと。
チャレンジド・ミュージカルの難しさがそこにあります。簡単にできるできないと判断してはならない。高望みせず、時間をかけて、少しずつ可能性を引き出していく、その原点を忘れてはならないと痛切に実感した稽古でした。
果たして本番までに間に合うかしら? 恐ろしくなってきます。
2009年08月11日
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外野の無責任な思いつきですが、もしかすると有効な子もいるかもと思いまして書いてみました。応援しています。楽しみにしています。