総選挙は、民主党が300議席を上回る歴史的な勝利となりました。誰もが変化を求めていたわけだからそれはそれでよかったといえるでしょう。
それにしても民意とは不気味なものです。今の政治経済状況を作った小泉政権を、4年前に国民は圧倒的に支持していたわけですからね。
誰かがワーッと強烈な印象で単純な方向性を打ち出して、民意は救世主のように支持していく。その政策がほころびて、また誰かがワーッと煽り立てると、民意はそれに過剰反応する。
小選挙区制による2大政党制とは、ぼくには未熟で幼稚な人間集団の象徴のように思えます。
「変化が起こればいいじゃないか」というかもしれませんが、変化と変革とはちがいます。国民の一人一人がバラバラでいて、時の有力集団があおる方向性に安易に乗っかっていく姿を、ぼくはやはり恐ろしく感じてしまいます。
これってファシズムに似ている。おい、お前、お前の責任はどうするんだよ! と世間に向かって叫びたくなります。
これと対置するのが市民主義です。社会の主人公たる市民として、一人ひとりの判断と責任がどう全体の方向性に反映されていくかを訓練していくことが大事だと思うのです。
一人ひとりが小さな行動を起こすことから始めて経験をつんで賢くなっていくことが大事です。ぼくも含めて日本人はこの市民的自覚という感覚にまだまだ弱いですから、訓練が必要です。
たとえば近年予想される大震災問題。いずれ来ることはわかっています。でも素人である市民はどう対処していいかわからずにオロオロするか、不安を忘れようとします。
そこで専門家たちの活躍に期待します。市民一人ひとりがどう対処したらいいかの指針(マニュフェストあるいはマニュアルかも)を専門家に求めます。
でも専門家が勝手に作っていってはいけないのです。
地震専門家の役割は情報を明確に提示すること。政治専門家はそれをプラスマイナスを含めたわかりやすいいくつかの提言として市民に提示すること。
そして市民は自分たちで実践している小さな経験をもとに、提言に修正を加えて大筋で了解していく。そして行動する。
ぼくはNPOの推進者ですが、最近「NPOの10年間はなんだったのか?」と自問するようになりました。
真の市民革命となるべきと行動を始めたNPOでしたが、果たして何ほどの変革を社会にもたらしたかを考えると、忸怩たる思いにとらわれます。
でも一方で、数は少なくとも共感しあえる関係を市民の中に間違いなく築き上げているという小さな実感を持っています。
大げさに言えば、だれもが社会に役立っているという小さな実感を積み重ねていけば、日本をどうして行くか? 世界をどうして行くか? という極めて大きな難しい問題でも、自分の責任と自覚という窓から自分なりの判断が見えてくるのではないかと思うのです。それが市民主義です。
生意気言ってすみません。
2009年08月31日
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