2009年09月07日

台詞稽古

政権交代が起きて、何か日本の雰囲気が変わってきた気がします。一番よかったことは、市民が政治は変えられるものだと実感したことではないでしょうか。実際にどう変わっていくのかはこれからですが、民主主義が少しばかり成熟したのは事実です。でも、古狸ばかりが残った自民党にはもう再生能力はないでしょうから、また小沢氏を核にした政変が起きて、揺り返しが起きてくるのでしょうね。

土曜日、風の谷保育園で沢知恵コンサートを聞いてきました。ぼくの大好きな声でした。歌いぶりも情感いっぱいで満足して帰りました。

久しぶりにチャレンジド・ミュージカル「サバンナ」の稽古報告です。
稽古場は和洋大学の会議室をずっとお借りしています。感謝感謝です。国府台の高台の9階から見る景色は壮大です。気分がなごみます。でも稽古場がちょっと手狭なせいか、ざわついた雰囲気がまだ残っています。雰囲気に飲まれて落ち着かない様子で、いつもより攻撃的であったり興奮気味であったりする子もいます。若いサポーターがついて廻って、禁止的な態度をとらない形で、どうやって稽古に集中させるかといろいろ工夫している姿が頼もしく思えます。

昨日から、台詞の稽古を本格化させました。大部屋ではどうしても集中できないので、別の部屋で抜き稽古を進めました。世話を焼こうとする保護者にも出て行ってもらって、子どもだけで稽古を進めました。「台詞が多すぎる!」と文句言う子がいたり、何かと面倒見てくれる子もいたり、言われたことを反復することしかできない子がいたり、大きくてもひらがなしか読めない子もいたり、家で一生懸命練習してきたんだなあと感心させられる子もいたり、本当にいろいろな子どもの現実があります。そしてぼくはいつも、「これが人間なんだなあ」と改めて人間というものを発見する機会となっていきます。

ぼくらはいつも自分と似通った雰囲気、自分の価値観と似通った人間としか相手にしないものです。それは確かに安心を呼びますが、それがまたどれほど自分の世界を狭くしているかを、こういうときに痛感します。価値観のちがう人と議論する時や馴染まない集団の中にポツンとおかれたり、海外で言葉の通じない不安の中にいたりしているときに、いらだったり孤独に沈んだり、誰かのちょっとした親切に救われたりするわけですが、「安心」の外にはいろんな大変さがあるわけで、そのまま「生きていくことは大変だ」という実感につながったりします。

チャレンジドミュージカルを通して本当にいろんなことを学びます。いろんな子がいます。いろんな人がいます。そしてひとりの人間の中にもいろんな部分があるんだと気づきます。そしてぼくはせっかく人間として生まれてきたのに、人間の何ほども知らずにいることに悔しい思いがします。未熟な自分に呆れます。

「違いを認め合う」というのがこれからの地球的視点ですが、それを本当に実感できるまでにはまだまだ時間がかかるようですね。世界中の人が「違いを認め合う」ことができなくても、僕は死ぬまでには自分でしっかりそれを実感できる人間になりたい。ぼくの残り少ない人生課題です。
posted by ヨッシー at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
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