たった5回を終えた市民ミュージカル公演ですが、僕にとっては10年。その歳月の重みを噛みしめています。
その間、NPO法人いちぶんネットを立ち上げて、チャレンジド・ミュージカルや演劇公演、NPO活動など良くまあ忙しくやってきたものだと思います。いつも一番悩んだのが中小企業のオヤジよろしく事務所経営のこと、次にはスケジュール化して膨らんでいく各事業に追われること・・・元来飽きっぽい僕が「何故、こんなことを続けてきたのか?」と今、初心を振り返っています。
最初はただ「面白いから」と始めた活動ですが、途中で気づいたのが、「俺は、宮沢賢治を真似て、市川に羅須地人協会を作り出したかったのだ!」という思いでした。
70余年前、貧困にあえぐ地元花巻の農民たちの暮らしと社会を変えようと、貸金業の父親にねだって設立したのが農民芸術学校羅須地人協会でした。「鍬しか握れない手で何がバイオリンだ」と馬鹿にされながらすぐポシャってしまいました。
病弱な体と社会的能力にも乏しくまた強烈なコンプレックスを抱えながら、でも賢司のロマンチシズムは新鮮で強烈な光を投げかけたのです。「芸術は人間を社会を変えられるのだ。それが芸術の本質だ」という確信です。
農民を市民と置き換えて、闘いを面白がると言い換えて、「面白い活動は人を街を変えていける」と信じて、閉塞状況に陥ってしまった人と社会を変えていきたい、と僕は願いました。
そして10年、この先生き残れるとしても僕の社会的寿命は10年か15年、何に重きを置くべきかを改めて振り返っているというわけです。
そこで浮上したのが拠点づくり。街の真ん中に国際芸術センターを築きたい。市川の市民芸術活動を発展させて世界中の市民と交流したい。これまでもホラ話をして何度も口にしてきた夢ですが、そろそろ本気で行動したいと思うようになりました。
近頃市内の空き物件を探しています。国有財産の払い下げ情報をチェックしています。中央図書館横の広大にして閑散とした県立産業科学館を指をくわえて見つめています。そして国府台丘陵にある赤レンガの敷地を「平和・国際芸術センターに!」という活動に乗り出しています。
我が街市川を国際芸術活動の創造と交流の拠点にしよう! 芸術は産業になりえるのだ!・・・一人で喚いてる限りは馬鹿ですが、みんなで喚けば世論を築きます。「おれはやるぞ!」と、今朝だけは奮い立っています。
2010年09月25日
初心に帰って・・・
posted by ヨッシー at 00:25| Comment(0)
| NPO、市民活動
この記事へのコメント
コメントを書く