2011年08月19日

この夏の印象的な光景

帰省した琵琶湖の実家の庭では、鳴きわたる蝉の種類が変わっていた。昔はミーミー蝉→アブラ蝉→クマゼミ→ツクツクホーシという順番で鳴きだして夏の移りを実感できたのだが、今年は端からクマゼミばかりという。お盆の頃全盛だったツクツクボーシの声はまだ聞けなかった。
今年百歳のお袋は目も耳も歩行にも不自由で、夜中に目覚めては大きな音でテレビを見だしてこちらの安眠を妨げていた。「何もすることがなくて生きていても面白くない」とぼやきつつ、昔話を持ち出したり手がけた投書や七宝焼きを自慢したりしていた。風呂から上る際に手を貸したりすると「恥ずかしい」としなびた身体を隠したりして百歳のばあさんが恥らっていた。幾つになっても人間は自分を誇示したり表現したいものなのだなと実感した。
お盆の京都で一日遊んだ。神社仏閣を巡る家族の中には、小中学生たちが熱心に案内板を読み、隣ではお母さんが「ちゃんと覚えなさい」と発破をかけていた。彼らにとって観光は遊びではなく受験勉強の一環なのだと教えられた。どんどん遊びを奪われていく子どもたち・・・
そして今朝の新聞には、福島県の子どもの45%に甲状腺被爆が確認されたという。政府担当者は「問題ないレベル」だと強調するが、何が問題ないのか! とてつもない悲劇が進行しているのだ。
この10年の中国のGDPは2,5倍、アメリカでも1,5倍の成長率だというのに日本はマイナス成長。膨張する借金と急激に迫る円高を前に、本当にこの国はどうなっていくのかと、どっちにしろ金のない僕ですら心配になる。
あれやこれや寂しい現実ばかり印象づけられた夏ではあるが、人間はやっぱり自分の眼で見、自分の頭で考え判断するようにならなきゃと妙に考えを新たにした。
自分を表現することにこだわるべきだ。自分が何者であり、何者でありたいと願うのか、どこから来てどこへ行こうとするのか、何を喜びとして何を摑んで生きる証しとするのか、そういうことを表現する力を幾つになっても見に付けていきたいものだ。市民のそういう活動に僕は貢献したい。
posted by ヨッシー at 21:08| Comment(0) | 未分類
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