2011年12月29日

「井上ひさし」で満ちた一年

今年も終わろうとしています。
皆さんにとって、どういう一年だったでしょうか?
僕にとっては、まさに「井上ひさし」で始まり終わった年でした。
3月のチャレンジド・ミュージカル公演の後、「井上ひさし作・「雪やこんこん」のワークショップ。その初日は東日本大震災が起きて中止になりました。6月に発表公演。
すぐ「それからのブンとフン」の公演体制に入って、12月に上演。その間に、来年の市民ミュージカルの台本で「市川を素材にした井上作品を面白く調理した」ミュージカル台本を構想していました。
この間、ずいぶん井上さんの作品を読み直しました。面白さを深める一方で、著作権上のさまざまな制約と作家を巡る人間関係に翻弄されたり、作家の実像に驚いたりと、途中でいろいろ悩み事が起きて、素直に市民顕彰をしたいからと願った構想が頓挫したり創造欲求をそがれる事態にもなりました。
とはいえ、井上ひさしに没頭したこの一年を大変面白かったと総括しています。
僕のプロデュースのあり方についての反省もあります。演出家としての個人的欲求と市民文化プロデューサーとしての役割とを区分けして考えるべきだという成果も得ました。
なにやら歯に何か挟まった言い方になって申し訳ないのですが、ともかく久し振りに教訓の多い年になったということです。
来年は、2月のチャレンジド・ミュージカル公演の後、3月にはマスターズ・オーケストラとの合作で音楽劇「セロ弾きのゴーシュ」があり、すぐ第6回いちかわ市民ミュージカル公演へと準備を進めていきます。
全く変な話ですが、近頃、後十年はこの世にこだわって、その後はいつおさらばしてもいいように対処しようという心境になっています。歳を取るとろくでもないことを言い出すものでしょうか、ただ悔いのない毎日を送りたいものです。

皆様にとっても、来年もまたいい年でありますいよう、心から祈っています。
いいお正月をお迎えください。
posted by ヨッシー at 19:34| Comment(0) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年12月06日

「それからのブンとフン」終演しました!

5ヶ月に及ぶ稽古・・・ほんとにほんとに長かったけれども、それだけ掛けなければやはりここまで到達できませんでした。
初期の頃生まれていた「役不足」を嘆く不満の声・・・いつも一人勝手に推し進める僕も今回ばかりは失敗するかなと不安になりましたが、芝居の全体が見えるようになった11月頃から俄然盛り上がっていきました。
焦りと混乱で舞い上がってしまった仕込みとゲネプロ・・・スタッフの結集が遅れて、舞台転換の細かな段取りがなかなか決定できず、どんな初日を迎えるかと不安いっぱいの幕前でしたが、舞台が開けたら大きな混乱もなくスムーズに転換できました。ろくに食事や休憩も取らずに奮闘してくれたスタッフ陣に思わず出演者側から「ありがとう!」の言葉が出ました。
そして初日、1階席のみに限定した客席は満員近い雰囲気で埋まり、3ステージを絶賛の拍手で終えることができました。3時間20分という長い時間があっという間に過ぎていきました。
めったに上演されることのない「それからのブンとフン」という舞台を通して、井上ひさし顕彰市民公演という公演目的は見事に成果を果たしました。
井上ひさし作品のみを上演している劇団こまつ座の代表が大感激して帰ったという落ちまでついて、打ち上げは多いに盛り上がりました。
今日、出演者たちはどんな気持ちで仕事に向かっていることでしょう。2日3ステージという公演はあまりにも短く、二夜の饗宴、そのための長い長い稽古の月日を過ごして、打ち捨てられた道具類とともに、あっけなく記憶のかなたへ消えていきます。一瞬の宴の後の達成感と寂寞感、それが芝居という魔物の魅力なのでしょう。
市民俳優のエネルギーが爆発しました。演出も冴え渡りました(エヘッ!)。アマチュアとして最高級の舞台を創り上げることができました。
見に来ていただいた方々に心より御礼申し上げます。
舞台記録のDVDを作成中です。見逃された方はぜひお買い上げください。

posted by ヨッシー at 01:22| Comment(2) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年11月29日

稽古最終日

先日土曜と日曜は「それからのブンとフン」の最終稽古。
台詞のテンポと粒立てやメリハリを追求して、市民俳優が演じる最高の段階まで引き上げることができたと思います。
ところが11時開始の日曜日、1時間前になっても稽古場に来た人は半数に足らない有様、30分を過ぎても全員そろわないまま通し稽古に入ろうかというだらだらした雰囲気。前日も遅くまで稽古して、早朝に集まるのは大変だと理解しつつも、身体も心もまだ眠っているような状態で最終稽古に向かわれたのではたまったものじゃありません。怒りがこみ上げてきました。そこでみんなに集まってもらって目覚めの一発!
「創造姿勢が甘い!芝居をなめるな!」・・・昔劇団の先輩からよく怒鳴られたものですが、アマチュアの活動で陥りがちな「もう一歩の厳しさ」不足。7月から延々と稽古を重ねてきた努力が報われないという悔しさが爆発しました。
義務や束縛の多い世の中、せめて芝居くらいは和気藹々と陽気に楽しく遊びたいと思うのですが、集団で物を創っていこうとする以上、やはり今自分たちにできる最高の舞台を目指したい。努力や工夫にもまして、自分を律する心構えも必要です。
どうやら緊張がみなぎりだしたのを確認して、最後の通し稽古へ。
おかげで、大変有意義な稽古になりました。上演時間も2分、3分と縮まっていきます。見守るスタッフたちも驚きの声を上げます。演じる役者たちにも達成感がみなぎります。「創造の喜び」ってやつですね。
ダメ出しも終わった夜8時、一同、長くお世話になった稽古場に感謝を捧げて締めの手打ち。その後はスタッフ打ち合わせ。11時半に飲み屋に集まってる俳優たちの場に顔を出したら、明日は仕事だというのにまだ盛り上がってる仲間たちがいました。全く懲りない人たちです。
さあ、いよいよ本番。後はどれほど多くのお客様に来ていただけるか、みんなで最後のお誘いをしなければなりません。
皆さんもぜひ見に来てください。ご期待を裏切ることはありません。
posted by ヨッシー at 22:59| Comment(2) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年11月20日

俳優ヨッシー

今週は連日の大道具つくりに追われています。
先日日曜日の「それからのブンとフン」の通し稽古、主役の俳優が仕事で欠席したため、演出の僕が突如代役を勤めました。
もちろん、あの膨大な量の台詞のほんの一部も記憶できていないために、台本片手の代役です。やってみて・・・
面白かった!
たまに、素人俳優の前でちょっとした演技の模範を試みることはあるのですが、通した稽古に挑戦するのは全くの初めて。問題は見ていた俳優たちがなにを感じ取ってくれたかです。
「台詞の強調をどうするかがわかった」「演者の個性が大事だとわかった」「あんなにいろいろ思いついてるなら、主役のSさんに教えてあげればいいのに」・・・など、ちょっとした感想も耳に入りました。
僕が感じたことは心を解放することの大切さです。まず俳優は膨大な量の台詞を記憶せねばなりません。それも身体にしみこませるように完全に記憶しなければ、心は自由になりません。演劇とはそういう時間が必要なため、稽古にものすごい時間を費やすしかなく、まったく非効率な世界です。
僕は台本を手にしていたため、何も準備していなくても相手の台詞を感じることができ、相手の台詞から湧き起こった自分の感情を相手に返すことで、「その場をフンという人間として生きる」ことことが(少なくともある瞬間)できたのです。舞台上でのコミュニケーションを楽しめた(これが俳優の仕事です)ということでしょう。
多くの俳優は、まだまだ自分だけの世界を全うすることに必死という状態で稽古に向っています。心が相手や自分が演じる役の人物に十分に向けられていないのです。
俳優という仕事の大変さを身をもって感じ取ることができました。演出としても大きな経験でした。
23日(祝)は、主役がNGですので、また僕が演じることになりそうです。ぼくの役者振りを見たい方はぜひ稽古場にお越しください。二度と見られないチャンスです。今度はもう少し工夫を凝らしてみよう・・・・病み付きになりそう!

posted by ヨッシー at 17:46| Comment(1) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年11月04日

快感と不安

残り1月となった「それからのブンとフン」の稽古、快感と不安の中で進行しています。
井上ひさし41歳の時の初期的作品、戯曲はこれでもかこれでもかとばかりに過剰な台詞で埋まっています。それに対処するために必要な課題は速いテンポと明確なカツゼツとメリハリの利いた強調点そして絶大なエネルギー。通し稽古を終えた俳優たちはみなヘトヘトになっています。
そして、必死に追いつつも慣れてしまった場面の展開に稽古場では笑い声一つ起きない。「これでいいのだろうか?」という不安。そんな時たまに見学に来てくれる第三者が笑い転げて「面白い!」といってくれると一気に快感に転じる。
毎週土日と火・水曜日夜間の稽古、間違いなく稽古は深まっていくが、なかなか全員揃った稽古にならず、最後の詰めが出来ない。間に合うだろうかという不安・・・
広告が集まらない、チケットが売れているのかどうかわからない、ひょっとしたら莫大な赤字を背負い込むのではないかという不安・・・
暑さと寒さを繰り返す妙な気候で風邪が流行りだしてる様子、思い切ってシングル配役に挑戦した今回の公演では誰か一人でも欠場すれば公演中止の危険性も生まれる・・・何という不安。
土日も仕事に追われてる人たち、稽古場の外で携帯にかじりついて打ち合わせに追われる人たち、家族の不満を投げ捨てて通って来る人たち、たまにはのんびり休日を楽しみたいだろうに、「ただ芝居が好きだから」さまざまな犠牲に悩みながら稽古に励む市民俳優たち・・・何という快感。
稽古後の飲み会でワイワイ騒ぎ立てる快感、翌日にはぐったりしてしまう老いへの不安・・・快感と不安が入り混じる毎日です。
皆さん、ぜひ観に来てください。
posted by ヨッシー at 07:00| Comment(2) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年10月18日

闘いだ! 闘いだ!

「それからのブンとフン」とチャレンジド・ミュージカルの土日連続で稽古、それに平日夜の稽古も2回入って、いちぶんネットの来年度の事業計画や人事体制、保存要請の署名活動を始めた赤レンガ保存活動、もろもろの雑用など、気づけばガックリ疲れた自分がいて、六十路に入った肉体の衰えを感じざるを得ません。
今回のチャレンジドM「LEO NI LEO」では、「私の最高の一日とは何か?」を巡って子ども・青年・大人それぞれの活躍の場をつくろうとオムニバスドラマに仕立てました。
昨日は各場のキャスティング発表。お母さんたちはその後早くも「ああでもない。こうでもない」といった解釈や工夫談義が始まり、その芸熱心さに驚かされます。
青年層との話し合いでは、やはり抽象的な議論が理解できなかったようで、ハイといういい返事だけは返ってきたものの、先行きの不安を感じざるを得ません。さて、どうなっていくのやらなんとも複雑です。

残り1ヵ月半となった「それからのブンとフン」、初めて全幕の通し稽古を試みました。俳優の皆さんが感じたのが「何と疲れることか!」という発見。最近は台詞を機関銃のように早口でまくし立て、同時に重要な台詞を明瞭に表情豊かに「粒立てる」ことを目指しているのですが、人間の身体はそうはうまく対応してくれません。途中まで奮闘していた肉体がいつの間にか意志を裏切って楽さに戻ろうとします。役者たちは精一杯エネルギーを発揮しているつもりでも、僕から見ればまだまだ自己破壊が足りない。
この芝居で必要なのはあくどいばかりの爆発的エネルギー、井上作品の笑いは観客に「たくましく生きろ!」と呼びかけます。役者がたくましいエネルギーを発揮しなければ話になりません。この先彼らをどこまで追いつめられるかが勝負です。
となれば、問われるのは僕自身のエネルギー。作家の新田次郎は晩年、衰えいく身を鞭打って「さあ、闘いだ!闘いだ!」と叫んで毎晩机に向かっていったそうです。髪は薄くぼやきは厚くなったこのジジイも負けて入られません。先頭になって奮闘するしかありません。がんばります!

posted by ヨッシー at 22:58| Comment(2) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年10月12日

大泥棒ブンたちの活躍

近頃起きた爽快な事件を二つ。
今年のノーベル平和賞が三人のアフリカ人女性に贈られたこと。
内乱と暴力が打ち続くアフリカの貧困国で、ついに立ち上がった女性たちが取った戦略が「戦争や暴力に走る亭主や交際相手の男とのセックスを拒否する」というセックス・ストライキ。まるでギリシャ劇を見るような展開だが、日本人と違って断然肉食系の多いアフリカの男に対しては見事に有効な戦略だと想像する。
「これからは女性が中心となった非暴力の革命が主流となっていくだろう」と、権力を握る男たちの暴力や迫害に対抗していく女性たちに大いに声援を送りたい。ノーベル賞健在なり。

資本主義の本拠地ニューヨークのウオール街で起きた貧困青年層の格差抗議デモ。
東西冷戦が終結して、今や世界は資本主義の一人舞台。人間の暮らしの弱みに付け込んで銭だけをやり取りしてもうけ放題の金融資本家どもに対して、猛然と抗議行動を開始しだした。
大体アメリカなどは軍産複合体と称して、資本家と軍人と政治家と学者どもが一丸となって癒着し合っている。流行のイスラムテロだって元凶はあいつらが産み出したようなものじゃないか。石油利権を求める不法な戦争さえ起こさなければ、イスラムはもっと素朴な世界を維持していたはずだ。

それにしても日本人の鈍感さはどういうことだろう?あれだけの原発事故が起きたというのに、もう原発再開に奔走している。東電が政治家やマスコミを金で抱き込んであれだけの癒着振りを見せたというのに、また同じ政治家を選ぼうとしている。「我慢強い」なんて嘘だ。「卑屈」なだけだ。大泥棒ブンは日本にはいないのか!
posted by ヨッシー at 21:26| Comment(1) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年09月20日

怒鳴り合いもまた楽しや!

その日、稽古後の一杯を楽しもうと集まったのは10人ばかり。和気藹々と進んでいたはずの飲み会が、急に店中の客が振り向く激昂の怒鳴り合いへと変化したのは何が切っ掛けだったのか。
大爆笑劇「それからのブンとフン」と謳った今回の芝居、笑いを産み出すことがこんなにも大変なのかと気づきだしたみんなにも日々に重圧がかかりだした。その割には出席率が悪く代役を立てての稽古は何かと進行が悪い。もちろん意気盛んな俳優も多いのだが、中には未だに意気あがらぬ俳優や掛け持ちの舞台に翻弄されている役者も多い。
それぞれの事情を抱えての参加出演だから、それはまたアマチュア芸術活動の宿命だから、一方的に強くは意見できぬ事態とは認めつつ、やはり物をつくる以上は徹底して稽古に向き合いたい。
そんなこんなが混ざり合って、しばしの感情爆発となった次第である。終わってみれば、その楽しかったこと! 久し振りの快感だった。
若い頃はいつもそうだった。喧嘩してるのか芝居してるのかわからない状態が繰り返された。それが自己満足だったにせよ、芝居への情熱はやはり楽しいものだった。
老化度中程度となり、仕事や家庭や事情優先の市民芸術活動に携わるようになるにつれて、その爆発が遠のいていく寂しさは確かにある。もちろんそれを超えた楽しさもあるから継続できているのだが。
とまれ、現場を仕切るのは演出者たる私だ。私が妥協していたのではみんなの貴重な時間を無駄にするばかりだ。事情は事情、しかし稽古場に集まった時間だけは最高に燃える時間を共有したい。それなくしてアマチュア芸術の意義はない。
しばしの興奮の後に、改めてブンドシいやフンドシの紐を締めなおす気分になった。芝居は楽しい。
posted by ヨッシー at 22:55| Comment(1) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年09月08日

バカをやる楽しさと難しさ

「それからのブンとフン」の稽古もいよいよたけなわ、観客を思い切り笑わせたいと毎週奮闘していますが、これがほんとに難しい。俳優たちがまだまだ本気になって「バカをやろう」という気になっていないからです。ツンとすまして普段と何一つ変わることのない表情で台詞を口にするのが演技だと思っているのかしら。
先週の抜き稽古、法人学者を演じるKさんが長い台詞を入れてきて、また工夫を考えてきて挑戦しました。この段階になると、。「ああでもない、こうでもない」と演出と役者の丁々発止の工夫と発見合戦が展開できます。普段はどこかしゃちこばった堅物を思わせるKさんが「血圧大丈夫か?」と心配になるほどの興奮ぶり、途端に稽古場が沸騰します。
「舞台ではすべてが許される」といわれても、裸にもなれないし自分の恥部までをさらけ出すなんてできないのが人間、何十年も生きて築いてきた自分の殻は壊せそうもありません。容貌に自信のない人は人前に醜さを出すことを拒否して表情を変えません。内面にコンプレックスを秘めた人は心を躍動させてすべてをさらすことを拒否してしまいます。人間は何重にも武装して日常を生きている動物だからです。
では、何故役者をやりたいのか? その根本が問われてきます。
日常生活では決して省みようとしない自分の中のさまざまな感情、表情、欲望、意識・・・こうしたものに真正面から向き合って新しい自分の本姓を確かめることができることを成長というのではないでしょうか。
舞台に立つ役者だけがその実験を許されるのです。今回のような爆笑劇では、恥部をさらすという被虐的な体験こそが達成感を増幅させるのです。
観客は芝居の上手下手を見たいわけじゃありません。自分を変えてくれるような感動を期待しているのです。そういう感動を産み出すために、役者たるもの、自分のすべてをさらして、特に喜劇では自分をトコトンおとしめてでもお客様に笑っていただく覚悟とエネルギーが必要です。そして最後に「俺もさすがだなあ!」と自己満足すればいいのです。
これからそういう稽古をめざします。
posted by ヨッシー at 19:30| Comment(2) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年08月26日

あの舞台、この舞台

ブロードウェイからやってきたミュージカル「コーラスライン」を見てきました。感動!の一語です。
映画でも慣れ親しんだ数々の曲が日本語の訳詩付きのおかげで胸にしみこみ、涙さえほとばしりました。
コーラスラインは僕の好きな作品です。ダンスや曲の緻密さに加えて、バックコーラスのオーディションという場を設定して、応募してくる数々の俳優たちの人生が色濃く語られていくというつくり方は、ミュージカルのすべての魅力を表しています。
若い俳優志望者のおかれた立場は日本もアメリカも変わりません。自分の才能への不安と疑心、スターへの憧れ、芸能界の絶望的な状況、生活の不安、人生への戸惑い、自己発見・・・さまざまな葛藤に苦しむ若者たちが、「せめて歌い踊れる限りは精一杯楽しんでみる」とオーディションにぶつかっていく。そして勝者と敗残者の選択を受け入れていく。

その数日後には「それからのブンとフン」のダンスと歌唱シーンの稽古です。脳裏に残ったコーラスラインの残像が効きすぎたのか、見るも無惨な市民俳優たちの身体の動き・・・目も当てられない有様。
当然過ぎることでそんなにショックはありません。むしろ、「ああ同じだなあ!」と感動してしまいました。
プロとアマの違いはありますが、仕事や家庭を抱えながら、自分の才能を疑いながら、少しでもいい役につきたいと欲張りながら、こうした活動を仕事にできたらと1%の夢を抱きながら、今日やらねばならない稽古課題に一生懸命ぶつかっていく姿は「コーラスライン」も「それからのブンとフン」も全く同じです。そこに感動があります。
年を取ったせいか、このところ妙に「どう生きるか?」という命題にこだわっています。余計な考えを拡大しても仕方ありません。やっぱり、今ある楽しいことに精一杯ぶつかっていくしか人生の喜びはないのでしょう。

posted by ヨッシー at 19:18| Comment(1) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年08月03日

他人の振り見て我が振り直せ

「それからのブンとフン」の読み合わせ稽古は順調に進んでいます。
この作品は1975年に生まれました。権力者や常識人を思い切り茶化したり、「みんなで刑務所に入って天国にしよう!」などという発想は、いかにも70年代的で面白いなあと思います。確かにあの頃の日本人には活気があった。人間としての熱意があったと思います。今日までの約40年の間に、日本人は相当大人に、というかつまらない人種になってしまいましたね。
中国の新幹線事故の報道に接して思うのですが、事故原因を隠したり責任追及の声を抑圧したりする中国の権力者たちの欺瞞性に対する批判には、日本のマスコミは容赦がありません。というだけでなく、アジアの国々への相変わらずの蔑視感情が見え隠れして、誠に不快です。
その日本のマスコミが、これまで原発の危険性に対して何一つ暴露することなく、それどころか自ら権力に癒着して利益の汁を吸ってきたことを、どう自己批判しているでしょうか。
福島の原発事故当時、いや今でもそうですが、テレビでは次々と御用学者が登場して、「大丈夫! ご安心を!」と偉そうに笑顔を振り向いていましたっけ。あいつらの権力への擦り寄りは実に露骨で、原発の危険性を指摘する学者たちは片っ端からパージされていったのでした。そしてマスコミは情報を握りつぶして、東電と政府からのあぶれ金で高蛋白脂肪を溜め込んでいたのでした。
そして、私たち日本の庶民も、本当のことを知らされず、知ろうとしないまま、原子力発電の恩恵を享受しつづけて、今になって「だまされた!」と怒った振りをしています。
井上ひさし流に描けば、何も変わらない日本人のへそ的貧しい心性が、相も変わらず連綿と続いているのです。
こういう現実を笑い飛ばすには相当のエネルギーが要ります。新鮮なエネルギーを溜め込まねばなりません。

posted by ヨッシー at 22:14| Comment(0) | 井上ひさし顕彰市民公演

2011年07月13日

暑さの中で・・・

昨10日は「それからのブンとフン」の稽古2日目。読み合わせのオーディションとともに、ダンスと歌唱のオーディションも行いました。
28度に設定された大会議室は踊りでも踊ろうものなら途端に汗だく、みんなぐったりして終わりました。
その暑さの中、どうしても頭をよぎるのは東北の避難所に追いやられたままの人たちのこと・・・
冷房もない、虫が入ってくるからと窓も閉められ、扇風機の生暖かい風だけにさらされて、将来の展望もプライバシーもない生活を強いられている人たち。
福島ばかりでなく関東一帯の子どもを持つお母さんたちは、線量計片手により数値の低い子どもの遊び場所を求めて、あるいは食品を求めて、神経質におどおどした暮らしを余儀なくされている。
避難所の人たちはやがて時が来ればよりましな生活に戻っていけるのかもしれませんが、放射能を相手にしたこの不安はいったいいつまで続くのでしょうか。子どもの成長にとって、この積もり積もった不安感がどう影響していくのか、ほんとに胸つぶれる悲しさです。

それにしても日本の議員たる連中の人間的な貧しさ、器量の狭さ、知的アホさ、破廉恥ぶり、はなんたる低落ぶりか!
菅首相の辞任を巡る議員たちの応酬を見ていて、これが日本の議会の本質かと思うと情けなくなる。松本前大臣の昔のままの権力者ぶりを見ていると笑いたくなる。
まさに今稽古している「それからのブンとフン」に出てくるばかばかしい漫画的な権力者どもとそっくりの始末です。
そしてわが市川市議会では、歴史を偽造するろくでもない教科書選定請願が採択されてしまいました。個人的見解を何一つ披瀝しないまま、ろくな議論も交わさないまま、なし崩しで党議拘束して圧力に屈しようとしている市議会議員たちの悲しさ情けなさ、憮然たる気持ちになってしまいます。
ひょっとしたら、どこかの町であったように、まず特別支援学校の社会科教科書として採用され、その後でなし崩しに使用を拡大させようとしているのではないか、権力者どもの姑息な手段と差別意識を感じざるを得ません。
とはいえ、こういう人間どもを選んでいるのは国民です。私であり、あなたです。
テレビと同じレベルで面白おかしい話題で溜飲を下げていては、この国の悲惨さは何も変わらない。
権威と常識に果敢に挑戦していく大泥棒ブンが今こそ日本に世界に活躍するのに手を貸したいと思います。
posted by ヨッシー at 01:26| Comment(0) | 井上ひさし顕彰市民公演