2017年07月08日

輝ける一日

 シンガーソングライターの井上ともやすさんの“一人唄旅”といったものに、仲間8人ほどで付き合ってきた。 楽しかったので、その報告。
 井上さんは、かつて仕事で訪れて、いわば彼の原点とも聖地ともなったといえる山梨の尾白川渓谷に、以後10数年、毎年のごとく訪れては渓谷の岩に立って歌ってくるという。今年のその旅に付き合ったのだ。
 もちろん温泉付きでなければ同行するつもりはなかったが、前日はほったらかし温泉で汗を流し、宿では酒と歌と温泉とを満喫し、翌朝は好天気、ゆったりと朝風呂朝寝を楽しんで渓谷へ。
 天気は上々。車を降りて、神社をお参りしながら30分ほど歩くと目にも鮮やかな渓谷が現れた。
 存分にマイナスイオンを吸い込んだところで、彼がギターを取り出した。この大きな岩に寝転がっている時に天啓のようにひらめいたというその「水の歌」を歌いだした。
 唄声が川の流れに乗り、樹々の梢にこだまして、雲間から差し込む緑の光に包まれていく。彼も周囲の光景もキラキラと輝きだした。彼にとっては感謝と再生の一日の旅なのだろう。その10数年と続ける一人儀式の豊かな精神性に、同行する我々の心までが輝きだした。
 日々の営みをふと止めて自己を振り返る儀式的な一日が、また次からの営みを新鮮なものにしてくれる。こういう一日がだれにも必要だ。
 さあ、ぼくも明日からチャレンジド・ミュージカルの稽古が始まる。
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2017年02月01日

子どもシェルター

 昨日「子どもシェルター」の報告を聞いた。
 初めて聞いた話だが、命の危険すらある子どもが緊急的に世話になる共同生活の場(今は15,6歳の少女7人)で、弁護士・学者を中心にしたNPOが千葉で運営している。
 児童相談所などの公的施設は18歳になると出て行って自立しなければならない。衣食住すべて自分で稼いで生きることを自立としている。「18歳で自立できる子」なんて、今の日本で何人いるだろうか? 都会のはざまに、「子どもの貧困」が渦巻いているのを感じる。

 女子高生がセブンイレブンのバイトを二日病欠して、その分9000円余りを給与から差し引かれたとニュースで言っていた。バイトが休む際は身代わりを自分が用意せねばならないらしい。できなければ罰金を食うという。
 おそらくその店長も過酷な労働に耐えているのだろう。大企業ばかりが内部留保を膨らませて、「働く者の貧困」が日本中に蔓延している。

 文科省の天下り偽装が露見した。なんとも姑息な税金泥棒だ。「大学の自治」などと標榜しながら、補助金欲しさに言いなりになってる大学にも腹が立つ。そうした秘密を抱えた役人はまず国民や県民市民のための仕事などしない。内々だけで通じる仕事を処理して遅くまで残業に追われている。

 日本はもうすっかり沈滞して、面倒を起こさない国になった。情報公開を進める小池さんが少しまぶしく見える。新大統領の蛮行に反発するアメリカ国民が偉大に見える。
 「もう歳だな」と言い訳する僕にも責任がある。

 5日は「瞼の母」の公演。11時と14時の2回。文化会館小ホール。
 面白いです。観に来てください。

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2016年12月28日

2016年を振り返る

 「今年もお世話になりました。いいお年を!」という挨拶が行き交って、今年も終わろうとしています。
 皆さんの2016年はいかがでしたか?
 僕の場合はもちろん、9月末の大腿骨粉砕骨折以後の体験が重きを占めています。今年は秋を感じずに過ごしたほどです。でも決して不幸だとは感じていません。まあ仕方のないこと、今後は運動と安全を優先して過ごしていこうとは思っています。むしろありがたいことに、事故を契機に僕自身はますますプラス思考の楽天家になっていきそうです。神様から「もう引っ込んでいいよ」と言われるまで楽しくやっていきます。
 いちぶんネットの活動を振り返れば、「今年もいろいろがんばったな」とは思うものの、周りを見つめて「お互いに年取ったな」と感じざるを得ません。結成13年だから当然です。一方で、若い元気な方々もどんどん参加してくれるようになって、自ずから世代交代を求められています。来年以降はそうした論議が深まっていくことでしょう。
 国際的にみれば、今年はまさに激動の年でした。この1年で、戦後人類が築いてきた平和や平等や民主主義といったヒューマンな発想と体裁が見事にガラガラと敗北していき、民族的エゴや独裁者が高笑いしている姿だと僕は見てます。「戦争をしない国」と評価されていた日本が「戦争する普通の国」に変わった年でもあります。
 来年どころか数年先まで、もっと混乱した状況になっていきそうで残念です。そうした国際状況が、千葉県市川市という町の市民芸術文化活動にどんな影響を与えていくのか、アンテナを高くして探っていこうと思います。
 今年もお世話になりました!
 来年もよろしくお願いします!
 皆さん、よいお年を!
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2016年12月20日

数所懸命?  数所懸命?

 風邪をひいた。
 日曜の朝になって、鼻水が出て、微熱がでた。僕の風邪の初期症状だ。この後、鼻水が固まり、咳が出るようになって、グズグズと3週間は苦しむことになるのがいつものパターンだ。
 この日は劇団JAMBOと「瞼の母」の稽古がある。いつもなら稽古に出かけるのだが、そういう行動が結局風邪を長引かせることになると判断して休ませてもらうことにして、葛根湯を飲んで、一日中寝ていた。
 おかげさまで、一日で克服できました。稽古場のみんなには迷惑かけたけど、「余計な無理をしない」という事故後の教訓をいかせたいい判断でした。
 ちょっと飛躍するが、こういうちょっとした発想の転換で、この後の人生を大きく変えていけるものかしら?
 私はこういう人間だから…と、今日までこうして生きてきたのだから…と、従来通りの生き方・やり方で対処していくのも、やっぱりアリだと思うけど、切りのいい人生途上のどこかで、思い切り発想を変えて、違った光景を見つめるのも面白いかと思う。
 一所懸命…一つのことに命を懸けるのも素晴らしい人生の過ごし方だが、二所あるいは数所懸命という生き方もあっていいのではないか? いや、懸命が美徳という発想すらも疑ってみてもいいのではないか?
 いや、僕の知り合いが定年を終えて老後という新しい人生に踏み出そうとしている。老後は意外と長い。新たな実験を試みるに十分な時間がある。
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2016年11月24日

11月の雪

 リハビリに行こうとしたら雪だった。
 54年ぶりの11月の雪だとか、びっくりしましたね。慎重に進む車の窓から見たジュンサイ池の雪景色、ことに池の上でゆっくりとなびいては姿を変えていく雪煙が何とも美しく、しばし見とれていました。
 とはいえ今年の秋は何とも短い、半分は病窓から、半分はリハビリの行き帰りに楽しむばかりで悔しい。
 でも、行動範囲が狭くなったおかげで、逆にいろんなことにもう一度配慮がいくようになった気がします。あれもこれも猛スピードで突っ走っていた頃に置き去りにしていたちょっとした作業も、みんなで丁寧に見返すゆとりができました。いちぶんネットの事業点検なんて、ほんと久しぶりだもんね。視点を変えれば、世の中はいろんな光景を見せてくれるのですね。
 このところ、午前はリハビリに専念し、午後は波瀾ばんばん座に書き下ろした「私は今日まで生きてみました」という台本を書き直しています。
 気づけば、みんな高齢者。これからの人生をどう生きるかを一緒に考えようという意図の戯曲で、夏までには書き上げていたんだけど、いざ稽古に入るとなんだかつまらん。ということで、稽古の間が長いこの間に「マンマ・ミーア」のような歌入り芝居に書き直そう思ってます。
 それにしても、温泉に行きたいなあ。
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2016年11月12日

退院、そして部分復帰!

 11日(金)、どうにか退院できました。
 長い間、たくさんの方々にご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。
 全治3か月、普通は12月末まで入院せねばならなかったのですが、我が儘な患者の無理を聞き入れてもらいました。もっとも午前中はリハビリ通院することになっていますし、松葉杖がなければ一歩も動けない身体です。
 50日ぶりの娑婆の空気のおいしいこと! こればかりは長期隔離の体験者でしか味わえない喜びでしょう。普通で平凡である日常こそが幸せなのです。
 外出・外泊という形で、すでに4日から稽古に参加するようになりました。チャレンジドMやシニア劇団のみなさんにも大歓迎されて嬉しかったですね。今後、少しずつ活動の幅を戻していきます。またよろしくお願いします。
 
 うんざりするほど長かったアメリカ大統領選がびっくり仰天の結末でしたね。ほとんどのジャーナリストがこの結果を見抜けなかったんだから、真実を見つめるって難しいんですね。
今回の事態の本質を、僕は「世界的な規模の差別主義と利己チュウの台頭」と見ます。戦後70年、どうにか提唱してきたヒューマニズムや共生といった抽象的概念が音立てて崩れていくのを感じます。きれいごとを言ってても何も変わっていかないどころか、ますますひどくなる格差にうっぷんが爆発してしまったんでしょうね。しばらくは、どこの国も自己中心的な政策とそれを強引に推し進めるためのネオファシズムが蔓延していくのじゃないかしら。そんな予感に怯えてる人は少なくないでしょう。
でも僕はやっぱり、「きれいごと」を言い続けていこうと思います。トランプのような野郎は大きっらいだったし、差別や憎しみを社会を変える力とはしない…、これがこの年まで僕が信条として生きてきた思いだからです。
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2016年10月31日

シリーズ8  直角に曲がったら…!

 病院での暮らしでは、週に何回かは、医者の回診がある。
 昔見た「白い巨塔」では、権威の塊のような白衣集団がBGMも高らかに怒涛の行進を見せていたものだが、この病院でも、看護師が2,3人付き従って、それなりに緊張した儀式ぶりを見せている。でも診るのは手術の切開傷のチェックのみ。
 もう薬は何も飲んでない。20分の超音波治療ときちんと3度の低カロリーの食事と1時間のリハビリと「部屋でもやってください」と言われてする筋トレと散歩、パソコンと読書…あっという間に日は過ぎていく。驚くばかりだ、もうひと月過ぎたのだもの。
 膝を曲げる…これだけのことがとても苦痛を伴う大事業なのだ。足はまだ地に着けない。半分の重心で着くのが2ヶ月後、全重力を委ねるのが3ヶ月後。今はただ硬直しちまった筋肉をなだめなだめて伸ばして伸ばして、膝を曲げること。
 その時の痛みには2種類ある。細い神経の紐が引っ張られるようなツーンとした痛みと筋肉の束が圧力機で押しつぶされるようなドーンとした痛み。伸ばして曲げるときも痛いが、曲げた足を戻す時も痛い。リハビリとは痛みとの戦いなのだ。でも繰り返していれば、痛みは徐々に排除されていく、決して裏切られることはない。リハビリとは希望なのだ。
 僕には見舞い客や打ち合わせ客が多いのと、「いつまで入院しなければならないのか?」といった不平がましい質問にうるさく思われたのか、昨日の回診で主治医が「膝が直角に曲がったら退院かな」と言ってくれた。ウワオ〜ッ!
 膝曲げ訓練を初めて2週間になる。ただぶら下げるだけでも大変だった右膝も今や65度。でも先週末には90度を達成しているはずだった。ああ、僕に拷問に耐える革命戦士の根性があれば、とっくに直角の壁は超えていたはずだ。
 とはいえ、目標は明確に定められた。直角実現して退院だあ!
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2016年10月29日

シリーズ7  孤独の闇

病院での個室生活1ヶ月。いろんな方が見舞いに来てくれてますが、それでも本質は世間から孤絶された空間。
 妙なことに気づきました。72歳の元自衛官の自爆テロの事件報道をテレビで見ていて、男が一途に暴挙へと突っ走っていった経緯がすごく理解できるのです。
 キーポイントは孤独。“穴倉の思考”とでも言うか、孤独な老人が一方通行の思考を積み重ねて、ついに絶望的境地に到達する過程が、今の僕には妙にくっきりと見えてきます。
 ぼくにしても、いつもだったら稽古したり飲んだり喋ったり、いろんな人たちと忙しく接している毎日だったのが、病院の個室で寂しい時を過ごしている今は孤独に敏感になっているのかもしれませんが、自爆犯の彼もSNSで心情を発信していたらしいけど、誰も反応してくれなかったとしたら、むしろ孤独は一層深まっていくでしょう。
 彼の日常生活の周囲にどんな人間関係を築いていたかが気になります。彼にもそういう人間関係はあったのかもしれないし、そういう薄い関係では収まらなかった暴発だったかもしれません。それに、この年代の男がそう簡単に本音をさらけ出すとは思えませんから、根拠は薄弱ですが、それでも彼の周囲にちょっとした愚痴にも反応してくれる共感的人間関係といったものがあったら、どこかでブレーキがかかったのではないでしょうか。
 “孤独”は創造の原点です。一人静かに考える時間が大切なことは言うまでもありませんが、自分や家族以外に、職場や学校や地域や趣味の世界などに、もうひとつの人間関係を築いていくことがやっぱり大事なんだと思います。
 市川という町で僕が、そして僕の友人たちが築いている人間関係があれば、こんなにも悲惨な孤独の闇を生み出さずに済んだものをと悔やまれます。
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2016年10月28日

シリーズ6 本を読むしかない

毎朝4時過ぎには目覚めて、病窓から白みゆく秋の空を見つめています。闇から光彩へと染まっていく空がなんとも素敵なのです。
 それからコーヒーを飲みながらすぐ読書です。この際、普段読む余裕のない読書を楽しもうと、次から次と乱読しています。
 ここ数日は天童荒太の、児童虐待をテーマにした家族狩りという5部に渡る長編、この作家が描く世界は気分が落ち込みます。人間の業をグッと突きつけられて脅迫されるかのようです。
 僕は先の市民ミュージカルで「子どもの苦しみ」に挑戦しようとしたけれど、やっぱり無理でした。どうも本質が浮かび上がらないし、何より、こんな重苦しいテーマに子どもたちを付き合わせるのも酷だと気づいた瞬間に、意欲も萎えてしまいました。
 とても重要なテーマだと誰もが理解しているくせに、それを舞台化できないってことが、表現者でありたい僕にはとても辛く、力不足を感じました。
 日本のどこかの家庭内で繰り広げられる子どもへの虐待行為や、世界中の戦争下で死んでいく子どもたちを前に、「この現状にお前は何もしないのか?」と突きつけられて答えられる人間はいないでしょう。
 でも、小説や演劇ならそれが可能かもしれません。フィクションでは現状を何ひとつ変えられないだろうけど、人間の心の中の何かを変えられるかもしれない。身近にこじ開ければいくらでも転がってる悲劇的な素材でありながら、誰もが目にも耳にもしたくないといったテーマを、何とか感動的に描ける方法はないものか、諦めないで考えようと思います。
 そう、暇だから、今の内にこれから上演するであろう台本をいくつか溜め込んでおきましょう。
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2016年10月21日

シリーズ5 拘禁ノイローゼ

術後1週間目から始まったリハビリ、これがなかなか大変だったのです。
 ギブスを外し、抜糸も済んだ右足は、左足の倍近くに膨れ上がっております。というより、何でもなかった左足があまりにも細くなってしまったのに愕然。筋肉は使わなければ本当に細く細くなってしまうのですね。脳もそうなのでしょう。みなさん、筋肉や脳はどんどん使いましょう。
 左足1本では立てません。そこからのリハビリです。180度折れ曲がるはずの膝が、周辺の筋肉がすっかり固まってしまって15度と曲がらない。無理に折ろうとすると悲鳴を上げるばかりの痛さが走る。
 たった1時間ばかりのリハビリタイムは結構体力を消耗します。痛みに耐えるというだけで、相当なエネルギーを消費しているのでしょうね。ほかに何もしてないのに夜はぐっすり眠れます。
 そんな状態で10日ばかりを過ごしたある日の夜、突然何もかも嫌になってしまいました。くだらないテレビも、積み重ねた本も、構想し始めた台本も、何もかもやる気がなくなって、喚き立てたくなりました。おそらく拘禁ノイローゼの軽い症状が出たのでしょう。人は何の変化も起きない生活には耐えられなく出来ているのです。生きていくこと自体が変化なのですから、当然でしょう。ベッドから起き上がって一人で体操とリハビリを始めました。曲がらなかった膝に変化を見つけました。それだけで気分は安らぎます。
 そう、人の一生はまさに旅なのですね。一瞬一瞬の変化と遭遇しながら、終わりへの旅を続けていくのですね。「代わり映えのない暮らし」とか「なんの変化も成長もない毎日」なんてのはないのです。状況はどんどん変わっていく。それをつなげて成長へと導くのは、私たち自身の責任です。
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2016年10月19日

シリーズ4 僕が変われば周囲が変わる!

いちぶんネットは、第1回いちかわ市民ミュージカル実行委員有志で立ち上げた。来年で設立15周年、NPO法人化14周年になる。
 子どもからお年寄りまで、障害があろうがなかろうが、みんな集まって舞台芸術活動を楽しみながら新しい街をつくろう!と呼びかけながら様々な活動を生み出してきた。
 それらをリードした僕は独裁者だった。
 芸術創造に集団指導体制はなじまない。思いつきと企画力に僕は自信がある。提案した活動にみんなが面白がってくれて、怒鳴られながらも付いてきてくれる仲間がいて、今日まで突っ走ってきた。常に赤字に振り回されるとはいえ、気づけば放課後デイサービスや稽古場まで築き上げてきたではないか。
 現時点で、既に動いてる、早急に動かさなきゃならない事業は、市民M総括・コント・劇団JAMBOワークショップ・来年度助成金申請・事務局体制確立etc、関係団体で波瀾ばんばん座公演「私は今日まで生きてきました」・市川邦楽連盟「瞼の母」etc…目白押しだ。
 何かが終わり、また慌ただしく何かが始まろうという隙間に僕の事故は起きた。「おい、待て!考えろ!」という天の声と気づかないで、なんの教訓を得るか。
 迷惑をかけて申し訳ないこの事態をきっかけとして、いちぶんネットは変わらねばならない。みんなの創意工夫を集中させて、いちぶんネットを再生しよう! 僕が参加できないならみんなで工夫して乗り越えていこう。おお、青春の激情に年齢などなんの関係があるか。僕はベッドで来年のチャレンジドMの、再来年の市民Mの、念願の永井荷風の台本を書くのだ。4年後の市民M10周年まで燃えに燃えまくるのだ…!
 と興奮すれば、従来と何も変わらない事態が続きそうだ。
 まっ、いいか! 面白けりゃいいのだあ!
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2016年10月16日

シリーズ3 リハビリは希望への道!

手術後は個室に映った。大部屋の環境を哀れんだ奥さんが奮発してくれたようだ。
 術後三日目からリハビリが始まった。金属のプレートと5,6本のボルトでつなぎ合わされた大腿骨の痛みは薬で抑えられていて、曲げない限りほとんど苦痛はない。
 担当してくれる若いかわいいNくんに励まされて十日ほど寝込んでたベッドから離れた。水平から縦の生活に復帰した。左足一本では10秒と立てない。使わなかったあちこちの筋肉がすっかり衰えていたのだ。
 車椅子に移る。車椅子をこぐ。初めての体験! リハビリ室のベッドに移る。Nくんが傷口周辺の筋肉を揉みほぐしてくれる。痛い。平行棒を伝って歩く。松葉杖を試してみる。あれやこれやで1時間、これだけで、すっかり疲労困憊。
 でもなんて感動的なんだろう!
 久しぶりにかいた汗が懐かしい。窓から入る風が清々しい。木立でさえずる小鳥たちが愛おしい。リハビリは命の輝きを取り戻す希望への道だ。大げさだけど、僕は心から感動した。僕の前にはまだまだ切り拓けそうな道がある。希望への道がある。
 なんとも味気ない病院食は、食物に贅沢だった僕の夕食一食分を三回に分けて出してくれる低カロリー食だ。これでリハビリに励めば、退院する頃には素晴らしく若い肉体を取り戻していることだろう。
 借りたパソコンでそれなりの仕事もできるようになった。USBで事務局との情報のやりとりもできる。テレビはニュースだけにして読書三昧の毎日だ。来年のチャレンジド・ミュージカル第11回公演の台本も書いてしまおう。念願の永井荷風物にも挑戦しよう…。
 ただ、仕事の中身は変わっていくだろう。これまでのように次から次と目まぐるしく走り回ることはないだ
 その近未来のイメージは次回のノートで。
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2016年10月13日

シリーズ2 命には限りがある!

 今の年寄りはみんな大病院で寿命を終えるんだね。
 その寿命を、あれこれ医術を凝らしてなんとか長引かせようとしている、これが現代の医療なのだね。「これでいいのかしらん?僕もこのように死んで行くのかしらん?」
 ともかく、病院というところは何も楽しいことがない。そういう状況下で僕は何を考えたか・・・。
 まずは、「ああ、バカをした!あんなことしなければ良かった!」などと当然のごとく後悔した。自分を責めた。でも、過ぎ去った時間は戻らない。くよくよマイナス思考の自己否定を重ねるより、プラス思考に切り替えよう!
 そして発見した真実は、「命が助かった!」という喜び。「転倒しない方法はあっただろうし、別の道を行けば良かったのかも。軽傷ですんだかも知れないし死んだのかもしれない」…人生は、何が起きるか本当にわからない、全く偶然と繰り返しのできごとの連続性なのだ。
 ただはっきりしてるのは「命には限りがある」ということ。だから、何かを選択すべき岐路に立った時、慎重に熟考するのもいいが、自分が今本当にやりたい道を行くべきなのだ。明日何が起きるかわからない。今という時間は二度と味わえないのだ。
 僕は67歳4ヶ月の肉体と精神を持って生きているという現実を見つめよう。もう無理に若ぶるのはやめよう。
 病院のベッドで一泊した朝、突然こんな思いが閃いた。
 “寝に帰るだけの街”で何かに押されるように始めたこの15年の活動はほんとに楽しかった。演劇人としての大きな壁を越えられずに苦しんでいた僕を生き返らせてくれた。その象徴的な事業のいちかわ市民ミュージカルはあと2回、4年で10周年を迎える。いちぶんネット設立20周年になる。それまでは責任を持ってやりぬこう。鮮明に素直にそう思った。
 と気づけば、結構プラス思考で生きている自分にかなり驚いた。若い頃の僕はこんな楽天的な人間ではなかった。小学生時代までの自由奔放な自分に戻った感じだ。
 僕らの周りには、あれこれ思い迷って苦しんでいる人がいっぱいいる。あれこれ悩んだってなんにもならない、人はなるようにしかならないのだ。そう僕は実感するのだが、悩める人たちはそうは考えられないのだろうね。人間は難しい。
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2016年10月11日

緊急シリーズ1 人生、何が起きるかわからない!

ご無沙汰してすみません。
 そして、ご迷惑をおかけした皆さん、全く申し訳ありません。
 9月23日夕刻、小雨、傘をさしながら自転車を片手運転していて(皆さん、これほど危険な行為はありません。雨に濡れてもいいから絶対にやめましょう!)、自宅まで300mという真間の下り曲がり坂に差し掛かったところで、対抗してきた車と遭遇。避けようとして一人勝手に転倒。滑って転んだ右足の太ももに自転車のハンドルがガツンとぶつかってきた。僕の人生が変わった瞬間だ!
 「またやった!」(2年前の酔っ払い事故)と後悔しながら持ち上げた僕の右脚はブランブランの状態。救急搬送された国府台病院から、手術を受け入れてくれた北国分の一条会病院に再搬送されて、告げられた手術日は30日。
 見せられたCTスキャンの3D写真は、まるで映画「2001年宇宙の旅」で猿たちが振り回してボッキリと折れて飛び散った人間の骨だった。大腿骨粉砕骨折。病院関係者も「これだけ見事に断絶してる骨折例も珍しいわねえ!」と驚く。この写真は僕の宝物になるだろう。
 痛み止めの薬が効いているとはいえ(最近の医術はほんとに痛くないように処理されるね)、全く体を動かせないまま1週間もベッドに寝たきりで手術日を待たなきゃならないのか!
 運び入れられた6人部屋のベッドに横たわる人たちはすべて後期高齢者、お隣りの男性などはか細く唸りながら一日中眠ってばかりの有様。廊下越しには一日中大声で幻聴的な会話を繰り広げるおばあさんやちょっとしたことで「痛い!虐待だ!」と叫ぶおじいさんなど、終末期の人間の生々しさが暴かれる。
 カーテンも閉ざした鬱屈した異臭漂う大部屋のベッドの上で、僕はまる1週間をただ手術を待つだけの時間を過ごすのだ。
 幸運にも(運がいいのか悪いのか?)大腿骨以外は全くどこも異常がなくて、意識も元通りの半ボケ並みながら変わりはないだけに、この環境は辛い。
 果たして僕の脳裏にどんな思いが去来するのか、シリーズでお伝えしよう。なにせ暇な病院暮らしだから3日置きくらいに覗いてください。ご期待を!
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2016年08月09日

平成の玉音放送

 日本には憲法で保障された基本的人権を付与されていない人がいる。天皇家の人々だ。
 学生の頃、僕は天皇制を日本の古い国家体制と人権抑圧の象徴として憎んだ。70年前の8月15日の玉音放送はまさに古い日本がガラガラと崩壊する感動的な音だった。
 昨日、平成の玉音放送があった。
 天皇の主張に賛同する。そのことより、今思うのは、連綿と続いた天皇制度の一員としての自らを受け入れ、国民の元首ではなく象徴という新しい憲法下の意義を模索し築き上げてこられた天皇という人間への敬意だ。
 イギリス流のヒューマニズムを身に着けた天皇は、これまでリベラル保守主義者と見えるほどの言動を示されてきた。しかし彼は天皇であらねばならない。制度と個人との狭間で想像すら難しい葛藤を生きられたに違いない。
 民主化された日本のような国では「制度下の葛藤」はなくなりつつある。離婚の増大にみるように、苦しければ逃げろ!となる。自由ばかりが謳歌され身勝手やだらしなさに歪曲されて、自由の本当の美しさが汚されていく。
 身分や制度を守れというのが保守の神髄だと思うのだが、確かに今は、何か大きな壁と真っ向から向き合って個人を考えるという機会が少なくなっている(会社組織を除けば)。「何もかもからの自由を求める」「国民の象徴など不要」と考えていた若い僕は、「象徴という微妙で繊細な立場の意義」や「制度や壁とどう折り合いをつけていくか」を考える老いた僕に変わっていった。
 そういう意味で、制度下に生きる人間の苦悩と闘いつつ、国民の象徴としての存在の輝きを追求してこられた天皇を、僕は美しいと思う。
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2016年05月15日

慶きこと 三つ

 嬉しいことが続いて二つあった。
 一つ  息子が土曜日に結婚式を挙げた。浦安のホテルの眼が二つも飛び出るような高額のワンパターン進行だったが、たくさんの友人が駆けつけてくれた。小学校から高校までの友人、大学クラブの同期、会社の同僚、そして二人を結びつけてくれたバイトの仲間たち(大学の4年間のバイト仲間の紹介で彼女と出会ったそうだ)…。
 優しくはあるが嫌とは言えない頼りない息子(という僕の目)が、こんなにも多くの友人たちに愛されて育っていったのか。眼が一つ飛び出るような発見だった。
 会場中をペコペコ頭を下げながらお酌して回った。我が人生で一度もないことだ。「こんなに笑う顔を見たことがない」と親戚が言っていた。よほど嬉しかったのだろう。「息子だけでなく、僕とも仲良くしてくれ」と親の挨拶、これも受けた。

 二つ  いちぶんネットが「創造と交流の拠点スペース」を持つことになった。
 京成八幡駅から徒歩2分、人通りの多い登校路にテラスを張り出したガラス張りの「何をやってるのか?」気になる雰囲気の空間、チャレンジド活動でお世話になっている方が大家さんでサービスもしてくれた。6月から使用開始だ。
 理事会では経営や管理に危惧する意見は出たが、みな一様に「面白い!やろう!」と即決だった。いちぶんネットも来年法人化15周年、問題山積だが、やっぱり帰るところは「面白いことをやろう!」だ。僕はつくづくと思うのだ。社会的活動を目的とするNPOと言えど、義務や理屈で動いていては疲れる、飽きる。面白いと思えることだけやっていればいい。面白いと思った人たちが集まる。そして、より面白いことに発展していく。
 いちぶんネット15年の歴史がそれを証明している。このスペースで何を生み出していくか…興味ある方はぜひ遊びに来てください。
 さて、三つ目の良きこと、いちミューの稽古場へ出かけよう。今日もいい天気だ。
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2016年03月25日

春だというのに…

 柔らかな日差しを受けて木々の梢に色とりどりの花が咲き、そこに集まる鳥たちも皆つがいとなっていて微笑ましい。あと三日もすれば桜も満開らしい。
 いい季節ですね。
 僕の家のお向かいは広大な庭を持つ空き家、その向こうには斜面林が広がっていて、そこに鶯が住んでいます。2月の終わりから啼きだして、始めチョロチョロ、中パッパ、今じゃ立派に大人の声で歌っています。
 こういう環境を守ってほしいと思うけど、お向かいの土地を相続される方にとっては頭を悩ます問題でしょうね。
 相続問題! 
 いやあ、相続手続きって大変なんですね。教員一筋だった義父の逝去で相続問題に直面した一人娘の妻はあれやこれやの手続きが必要とかで、別に資産を残したわけでもないのに、ついに税理士まで頼む始末。
 相続税の対象額も切り下げられたから、兄弟の少ない家族は気をつけた方がいい。国家に税金として持って行かれるなら、やっぱり資産家はNPOに寄付しておくべきですね。
 なんだか、がめつい発想が浮き上がった。自然を愛でたいのに、眼前の作業に追われっぱなしでいるのがつらく、このところ精神状態が良くない。ああ、温泉に行きたいですなあ!
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2016年01月08日

寒中お見舞い申し上げます

 新年の代表挨拶に続き、私個人のご挨拶を申し上げます。
 新年の話題にふさわしくはないのでしょうが、我が吉原家系では、2年前に姉ががんで、追いかけるように母が老衰で、去年は長兄が長く患っていた脳梗塞の人工呼吸器を止めました。その間、次兄が運転中に意識を失って事故を起こし無傷の奇跡に救われる事態となり、私は酔っぱらって耳を突き刺す事件を起こしました。我が家は長く「いたって健康・無事」を誇りにしてだけに、残った二人兄弟はかなり参っていました。
 妻の家族では、義父が間もなく終焉を迎えようとしていますし、義母もやや痴呆が進んで、一人娘の妻も新潟への介護の往復で心身ともに疲れがたまっている様子です。
 どこの家族も似たような状態だと思いますが、高齢化社会の現実はかなり重いですね。
 「近頃弱気な発言が出ますね」と指摘されて「そうだろな」と気分が沈んだのはそういう背景があったのでしょう。加えて、私自身の加齢という当たり前の事態に驚きとともに怯えていたのかもしれません。
 とはいえ、不幸の峠もそろそろ終わりでしょうし、僕の残された時間も限りがあるのだぞと天が教えてくれているのでしょう。もう愚痴っぽい言動をやめて、持ち前の楽天主義を回復して、気分を引き締めて新年に向かっていこうと思います。
 まずは、いちミュー文化祭典を楽しんで、次回の市民Mの台本を書き直して体制つくりに励みます。5月には息子の結婚式が待ってます。その内、いちぶんネットの新しい拠点が開店します。
 本年も楽しくやっていきましょう!
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2016年01月01日

“誉め出し”に挑戦!

 新年明けましておめでとうございます。
 好天に恵まれて、近くの陸上競技場からは新春いちかわマラソンのアナウンスも聞こえてきます。まずはさわやかな新年の幕開けでしょうね。
 今年は“誉め出し”を実践しようと思います。以前にも書きましたが、やっぱり実践は難しい、なかなか身に付きません。
 演出には“だめ出し”という行為があります。稽古の修正点を指摘していくのですが、最終の通し稽古段階ではそれこそ“ダメ指摘”のオンパレードになってしまいます。これを変えようと思います。
 ともかく“誉めよう”と思います、お芝居だけでなく、人生上で出会う人のすべてに対して。
 云はば自己変革を迫ることになります。相手を“誉める”ことほど難しいことはありません。日本人の特に男は皆そうでしょう。“叱る言葉・けなす言葉”なら機関銃のようにまくしたてる人は満ち満ちていますが、“誉める言葉”を爽やかに並べられる人をあまり見たことがありません。
 ぼくも他人の悪口が大好きです。相手の弱点・難点にすぐ目が行ってコケ降ろして自己満足に耽ります。そういう人格・人生を過ごしてきました。それを変えてみたくなっているのです。そういうことに嫌気がさしているのです。
 去年は禁煙に挑戦して勝利しました(今のところ)。今年は“誉め出し”に挑戦します!
 本年もよろしくお付き合いください。
posted by ヨッシー at 10:56| Comment(0) | 個人的分野

2015年11月19日

本物の人生

 僕の甥っ子の妻が子宮がんで亡くなった。46歳だった。
 夫はビオラ、妻はバイオリン、夫婦ともに演奏家だった。
 何でもそうだが、クラッシック界でも、その道を続けるには大変な努力がいる。「夫婦というより同志でした」。何よりも大好きな音楽を最上に置いた。
 がんと分かった時、「それとどう向き合うか?」を夫婦でしっかり話し合ったそうだ。子どもはいない。夫婦には、妻には、音楽しかない。演奏家というのは想像以上に酷な世界で、三日練習を休むと格段に腕が落ちるそうだ。
 そこで、手術には踏み切らず、演奏や練習生活と治療とを両立させる方法を選んだ。誰にも知らせなかった。症状が悪化した時でも練習を怠らなかった。バイオリンこそが彼女の人生だったからだ。
 「短いけれども、本当に充実した人生でした」と甥っ子が振り返る。
 芸術家の人生とは何とも壮絶なものだね。若いのに、本物という気がする。あれもこれもと気が散って、ちゃらちゃら生きてる自分が恥ずかしくなる。思えば、郷里の実家で話した時も、静かだけれども勝ち気で真っ白な女性だった。
 式場には、彼女の武器であり人生そのものだったバイオリンが飾られていた。
 夫と仲間たちが葬送の四重奏を演奏した。寝棺の傍で、それがいまにも音を奏でそうな気がした。追悼!
posted by ヨッシー at 16:23| Comment(0) | 個人的分野