2016年10月19日

シリーズ4 僕が変われば周囲が変わる!

いちぶんネットは、第1回いちかわ市民ミュージカル実行委員有志で立ち上げた。来年で設立15周年、NPO法人化14周年になる。
 子どもからお年寄りまで、障害があろうがなかろうが、みんな集まって舞台芸術活動を楽しみながら新しい街をつくろう!と呼びかけながら様々な活動を生み出してきた。
 それらをリードした僕は独裁者だった。
 芸術創造に集団指導体制はなじまない。思いつきと企画力に僕は自信がある。提案した活動にみんなが面白がってくれて、怒鳴られながらも付いてきてくれる仲間がいて、今日まで突っ走ってきた。常に赤字に振り回されるとはいえ、気づけば放課後デイサービスや稽古場まで築き上げてきたではないか。
 現時点で、既に動いてる、早急に動かさなきゃならない事業は、市民M総括・コント・劇団JAMBOワークショップ・来年度助成金申請・事務局体制確立etc、関係団体で波瀾ばんばん座公演「私は今日まで生きてきました」・市川邦楽連盟「瞼の母」etc…目白押しだ。
 何かが終わり、また慌ただしく何かが始まろうという隙間に僕の事故は起きた。「おい、待て!考えろ!」という天の声と気づかないで、なんの教訓を得るか。
 迷惑をかけて申し訳ないこの事態をきっかけとして、いちぶんネットは変わらねばならない。みんなの創意工夫を集中させて、いちぶんネットを再生しよう! 僕が参加できないならみんなで工夫して乗り越えていこう。おお、青春の激情に年齢などなんの関係があるか。僕はベッドで来年のチャレンジドMの、再来年の市民Mの、念願の永井荷風の台本を書くのだ。4年後の市民M10周年まで燃えに燃えまくるのだ…!
 と興奮すれば、従来と何も変わらない事態が続きそうだ。
 まっ、いいか! 面白けりゃいいのだあ!
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2016年10月16日

シリーズ3 リハビリは希望への道!

手術後は個室に映った。大部屋の環境を哀れんだ奥さんが奮発してくれたようだ。
 術後三日目からリハビリが始まった。金属のプレートと5,6本のボルトでつなぎ合わされた大腿骨の痛みは薬で抑えられていて、曲げない限りほとんど苦痛はない。
 担当してくれる若いかわいいNくんに励まされて十日ほど寝込んでたベッドから離れた。水平から縦の生活に復帰した。左足一本では10秒と立てない。使わなかったあちこちの筋肉がすっかり衰えていたのだ。
 車椅子に移る。車椅子をこぐ。初めての体験! リハビリ室のベッドに移る。Nくんが傷口周辺の筋肉を揉みほぐしてくれる。痛い。平行棒を伝って歩く。松葉杖を試してみる。あれやこれやで1時間、これだけで、すっかり疲労困憊。
 でもなんて感動的なんだろう!
 久しぶりにかいた汗が懐かしい。窓から入る風が清々しい。木立でさえずる小鳥たちが愛おしい。リハビリは命の輝きを取り戻す希望への道だ。大げさだけど、僕は心から感動した。僕の前にはまだまだ切り拓けそうな道がある。希望への道がある。
 なんとも味気ない病院食は、食物に贅沢だった僕の夕食一食分を三回に分けて出してくれる低カロリー食だ。これでリハビリに励めば、退院する頃には素晴らしく若い肉体を取り戻していることだろう。
 借りたパソコンでそれなりの仕事もできるようになった。USBで事務局との情報のやりとりもできる。テレビはニュースだけにして読書三昧の毎日だ。来年のチャレンジド・ミュージカル第11回公演の台本も書いてしまおう。念願の永井荷風物にも挑戦しよう…。
 ただ、仕事の中身は変わっていくだろう。これまでのように次から次と目まぐるしく走り回ることはないだ
 その近未来のイメージは次回のノートで。
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2016年10月13日

シリーズ2 命には限りがある!

 今の年寄りはみんな大病院で寿命を終えるんだね。
 その寿命を、あれこれ医術を凝らしてなんとか長引かせようとしている、これが現代の医療なのだね。「これでいいのかしらん?僕もこのように死んで行くのかしらん?」
 ともかく、病院というところは何も楽しいことがない。そういう状況下で僕は何を考えたか・・・。
 まずは、「ああ、バカをした!あんなことしなければ良かった!」などと当然のごとく後悔した。自分を責めた。でも、過ぎ去った時間は戻らない。くよくよマイナス思考の自己否定を重ねるより、プラス思考に切り替えよう!
 そして発見した真実は、「命が助かった!」という喜び。「転倒しない方法はあっただろうし、別の道を行けば良かったのかも。軽傷ですんだかも知れないし死んだのかもしれない」…人生は、何が起きるか本当にわからない、全く偶然と繰り返しのできごとの連続性なのだ。
 ただはっきりしてるのは「命には限りがある」ということ。だから、何かを選択すべき岐路に立った時、慎重に熟考するのもいいが、自分が今本当にやりたい道を行くべきなのだ。明日何が起きるかわからない。今という時間は二度と味わえないのだ。
 僕は67歳4ヶ月の肉体と精神を持って生きているという現実を見つめよう。もう無理に若ぶるのはやめよう。
 病院のベッドで一泊した朝、突然こんな思いが閃いた。
 “寝に帰るだけの街”で何かに押されるように始めたこの15年の活動はほんとに楽しかった。演劇人としての大きな壁を越えられずに苦しんでいた僕を生き返らせてくれた。その象徴的な事業のいちかわ市民ミュージカルはあと2回、4年で10周年を迎える。いちぶんネット設立20周年になる。それまでは責任を持ってやりぬこう。鮮明に素直にそう思った。
 と気づけば、結構プラス思考で生きている自分にかなり驚いた。若い頃の僕はこんな楽天的な人間ではなかった。小学生時代までの自由奔放な自分に戻った感じだ。
 僕らの周りには、あれこれ思い迷って苦しんでいる人がいっぱいいる。あれこれ悩んだってなんにもならない、人はなるようにしかならないのだ。そう僕は実感するのだが、悩める人たちはそうは考えられないのだろうね。人間は難しい。
posted by ヨッシー at 08:13| Comment(0) | 個人的分野

2016年10月11日

緊急シリーズ1 人生、何が起きるかわからない!

ご無沙汰してすみません。
 そして、ご迷惑をおかけした皆さん、全く申し訳ありません。
 9月23日夕刻、小雨、傘をさしながら自転車を片手運転していて(皆さん、これほど危険な行為はありません。雨に濡れてもいいから絶対にやめましょう!)、自宅まで300mという真間の下り曲がり坂に差し掛かったところで、対抗してきた車と遭遇。避けようとして一人勝手に転倒。滑って転んだ右足の太ももに自転車のハンドルがガツンとぶつかってきた。僕の人生が変わった瞬間だ!
 「またやった!」(2年前の酔っ払い事故)と後悔しながら持ち上げた僕の右脚はブランブランの状態。救急搬送された国府台病院から、手術を受け入れてくれた北国分の一条会病院に再搬送されて、告げられた手術日は30日。
 見せられたCTスキャンの3D写真は、まるで映画「2001年宇宙の旅」で猿たちが振り回してボッキリと折れて飛び散った人間の骨だった。大腿骨粉砕骨折。病院関係者も「これだけ見事に断絶してる骨折例も珍しいわねえ!」と驚く。この写真は僕の宝物になるだろう。
 痛み止めの薬が効いているとはいえ(最近の医術はほんとに痛くないように処理されるね)、全く体を動かせないまま1週間もベッドに寝たきりで手術日を待たなきゃならないのか!
 運び入れられた6人部屋のベッドに横たわる人たちはすべて後期高齢者、お隣りの男性などはか細く唸りながら一日中眠ってばかりの有様。廊下越しには一日中大声で幻聴的な会話を繰り広げるおばあさんやちょっとしたことで「痛い!虐待だ!」と叫ぶおじいさんなど、終末期の人間の生々しさが暴かれる。
 カーテンも閉ざした鬱屈した異臭漂う大部屋のベッドの上で、僕はまる1週間をただ手術を待つだけの時間を過ごすのだ。
 幸運にも(運がいいのか悪いのか?)大腿骨以外は全くどこも異常がなくて、意識も元通りの半ボケ並みながら変わりはないだけに、この環境は辛い。
 果たして僕の脳裏にどんな思いが去来するのか、シリーズでお伝えしよう。なにせ暇な病院暮らしだから3日置きくらいに覗いてください。ご期待を!
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2016年08月09日

平成の玉音放送

 日本には憲法で保障された基本的人権を付与されていない人がいる。天皇家の人々だ。
 学生の頃、僕は天皇制を日本の古い国家体制と人権抑圧の象徴として憎んだ。70年前の8月15日の玉音放送はまさに古い日本がガラガラと崩壊する感動的な音だった。
 昨日、平成の玉音放送があった。
 天皇の主張に賛同する。そのことより、今思うのは、連綿と続いた天皇制度の一員としての自らを受け入れ、国民の元首ではなく象徴という新しい憲法下の意義を模索し築き上げてこられた天皇という人間への敬意だ。
 イギリス流のヒューマニズムを身に着けた天皇は、これまでリベラル保守主義者と見えるほどの言動を示されてきた。しかし彼は天皇であらねばならない。制度と個人との狭間で想像すら難しい葛藤を生きられたに違いない。
 民主化された日本のような国では「制度下の葛藤」はなくなりつつある。離婚の増大にみるように、苦しければ逃げろ!となる。自由ばかりが謳歌され身勝手やだらしなさに歪曲されて、自由の本当の美しさが汚されていく。
 身分や制度を守れというのが保守の神髄だと思うのだが、確かに今は、何か大きな壁と真っ向から向き合って個人を考えるという機会が少なくなっている(会社組織を除けば)。「何もかもからの自由を求める」「国民の象徴など不要」と考えていた若い僕は、「象徴という微妙で繊細な立場の意義」や「制度や壁とどう折り合いをつけていくか」を考える老いた僕に変わっていった。
 そういう意味で、制度下に生きる人間の苦悩と闘いつつ、国民の象徴としての存在の輝きを追求してこられた天皇を、僕は美しいと思う。
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2016年05月15日

慶きこと 三つ

 嬉しいことが続いて二つあった。
 一つ  息子が土曜日に結婚式を挙げた。浦安のホテルの眼が二つも飛び出るような高額のワンパターン進行だったが、たくさんの友人が駆けつけてくれた。小学校から高校までの友人、大学クラブの同期、会社の同僚、そして二人を結びつけてくれたバイトの仲間たち(大学の4年間のバイト仲間の紹介で彼女と出会ったそうだ)…。
 優しくはあるが嫌とは言えない頼りない息子(という僕の目)が、こんなにも多くの友人たちに愛されて育っていったのか。眼が一つ飛び出るような発見だった。
 会場中をペコペコ頭を下げながらお酌して回った。我が人生で一度もないことだ。「こんなに笑う顔を見たことがない」と親戚が言っていた。よほど嬉しかったのだろう。「息子だけでなく、僕とも仲良くしてくれ」と親の挨拶、これも受けた。

 二つ  いちぶんネットが「創造と交流の拠点スペース」を持つことになった。
 京成八幡駅から徒歩2分、人通りの多い登校路にテラスを張り出したガラス張りの「何をやってるのか?」気になる雰囲気の空間、チャレンジド活動でお世話になっている方が大家さんでサービスもしてくれた。6月から使用開始だ。
 理事会では経営や管理に危惧する意見は出たが、みな一様に「面白い!やろう!」と即決だった。いちぶんネットも来年法人化15周年、問題山積だが、やっぱり帰るところは「面白いことをやろう!」だ。僕はつくづくと思うのだ。社会的活動を目的とするNPOと言えど、義務や理屈で動いていては疲れる、飽きる。面白いと思えることだけやっていればいい。面白いと思った人たちが集まる。そして、より面白いことに発展していく。
 いちぶんネット15年の歴史がそれを証明している。このスペースで何を生み出していくか…興味ある方はぜひ遊びに来てください。
 さて、三つ目の良きこと、いちミューの稽古場へ出かけよう。今日もいい天気だ。
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2016年03月25日

春だというのに…

 柔らかな日差しを受けて木々の梢に色とりどりの花が咲き、そこに集まる鳥たちも皆つがいとなっていて微笑ましい。あと三日もすれば桜も満開らしい。
 いい季節ですね。
 僕の家のお向かいは広大な庭を持つ空き家、その向こうには斜面林が広がっていて、そこに鶯が住んでいます。2月の終わりから啼きだして、始めチョロチョロ、中パッパ、今じゃ立派に大人の声で歌っています。
 こういう環境を守ってほしいと思うけど、お向かいの土地を相続される方にとっては頭を悩ます問題でしょうね。
 相続問題! 
 いやあ、相続手続きって大変なんですね。教員一筋だった義父の逝去で相続問題に直面した一人娘の妻はあれやこれやの手続きが必要とかで、別に資産を残したわけでもないのに、ついに税理士まで頼む始末。
 相続税の対象額も切り下げられたから、兄弟の少ない家族は気をつけた方がいい。国家に税金として持って行かれるなら、やっぱり資産家はNPOに寄付しておくべきですね。
 なんだか、がめつい発想が浮き上がった。自然を愛でたいのに、眼前の作業に追われっぱなしでいるのがつらく、このところ精神状態が良くない。ああ、温泉に行きたいですなあ!
posted by ヨッシー at 12:43| Comment(0) | 個人的分野

2016年01月08日

寒中お見舞い申し上げます

 新年の代表挨拶に続き、私個人のご挨拶を申し上げます。
 新年の話題にふさわしくはないのでしょうが、我が吉原家系では、2年前に姉ががんで、追いかけるように母が老衰で、去年は長兄が長く患っていた脳梗塞の人工呼吸器を止めました。その間、次兄が運転中に意識を失って事故を起こし無傷の奇跡に救われる事態となり、私は酔っぱらって耳を突き刺す事件を起こしました。我が家は長く「いたって健康・無事」を誇りにしてだけに、残った二人兄弟はかなり参っていました。
 妻の家族では、義父が間もなく終焉を迎えようとしていますし、義母もやや痴呆が進んで、一人娘の妻も新潟への介護の往復で心身ともに疲れがたまっている様子です。
 どこの家族も似たような状態だと思いますが、高齢化社会の現実はかなり重いですね。
 「近頃弱気な発言が出ますね」と指摘されて「そうだろな」と気分が沈んだのはそういう背景があったのでしょう。加えて、私自身の加齢という当たり前の事態に驚きとともに怯えていたのかもしれません。
 とはいえ、不幸の峠もそろそろ終わりでしょうし、僕の残された時間も限りがあるのだぞと天が教えてくれているのでしょう。もう愚痴っぽい言動をやめて、持ち前の楽天主義を回復して、気分を引き締めて新年に向かっていこうと思います。
 まずは、いちミュー文化祭典を楽しんで、次回の市民Mの台本を書き直して体制つくりに励みます。5月には息子の結婚式が待ってます。その内、いちぶんネットの新しい拠点が開店します。
 本年も楽しくやっていきましょう!
posted by ヨッシー at 09:43| Comment(0) | 個人的分野

2016年01月01日

“誉め出し”に挑戦!

 新年明けましておめでとうございます。
 好天に恵まれて、近くの陸上競技場からは新春いちかわマラソンのアナウンスも聞こえてきます。まずはさわやかな新年の幕開けでしょうね。
 今年は“誉め出し”を実践しようと思います。以前にも書きましたが、やっぱり実践は難しい、なかなか身に付きません。
 演出には“だめ出し”という行為があります。稽古の修正点を指摘していくのですが、最終の通し稽古段階ではそれこそ“ダメ指摘”のオンパレードになってしまいます。これを変えようと思います。
 ともかく“誉めよう”と思います、お芝居だけでなく、人生上で出会う人のすべてに対して。
 云はば自己変革を迫ることになります。相手を“誉める”ことほど難しいことはありません。日本人の特に男は皆そうでしょう。“叱る言葉・けなす言葉”なら機関銃のようにまくしたてる人は満ち満ちていますが、“誉める言葉”を爽やかに並べられる人をあまり見たことがありません。
 ぼくも他人の悪口が大好きです。相手の弱点・難点にすぐ目が行ってコケ降ろして自己満足に耽ります。そういう人格・人生を過ごしてきました。それを変えてみたくなっているのです。そういうことに嫌気がさしているのです。
 去年は禁煙に挑戦して勝利しました(今のところ)。今年は“誉め出し”に挑戦します!
 本年もよろしくお付き合いください。
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2015年11月19日

本物の人生

 僕の甥っ子の妻が子宮がんで亡くなった。46歳だった。
 夫はビオラ、妻はバイオリン、夫婦ともに演奏家だった。
 何でもそうだが、クラッシック界でも、その道を続けるには大変な努力がいる。「夫婦というより同志でした」。何よりも大好きな音楽を最上に置いた。
 がんと分かった時、「それとどう向き合うか?」を夫婦でしっかり話し合ったそうだ。子どもはいない。夫婦には、妻には、音楽しかない。演奏家というのは想像以上に酷な世界で、三日練習を休むと格段に腕が落ちるそうだ。
 そこで、手術には踏み切らず、演奏や練習生活と治療とを両立させる方法を選んだ。誰にも知らせなかった。症状が悪化した時でも練習を怠らなかった。バイオリンこそが彼女の人生だったからだ。
 「短いけれども、本当に充実した人生でした」と甥っ子が振り返る。
 芸術家の人生とは何とも壮絶なものだね。若いのに、本物という気がする。あれもこれもと気が散って、ちゃらちゃら生きてる自分が恥ずかしくなる。思えば、郷里の実家で話した時も、静かだけれども勝ち気で真っ白な女性だった。
 式場には、彼女の武器であり人生そのものだったバイオリンが飾られていた。
 夫と仲間たちが葬送の四重奏を演奏した。寝棺の傍で、それがいまにも音を奏でそうな気がした。追悼!
posted by ヨッシー at 16:23| Comment(0) | 個人的分野

2015年10月26日

50年という歳月…!

24日(土)、郷里の滋賀の彦根で中学校の同期会があった。もうこの先はないかもしれないと、無理して日帰り参加した。
 当時360人いた同学年で集まったのは60人ほど。見渡せば、しわくちゃのカビ臭い顔ばかりがズラ〜と並んで、みんな見事なジジババになっていた。もちろん、ごく一部を除いて、名札と顔を確認しながらでないと昔を思い出せない。
 驚いたのは記憶の不思議! 昔のあれこれを楽しく語り合ってるうちに、どうも食い違いが起きてくる。「何の話をしてんのや!?」、ついガキに帰ってわめき立てる。相手のエピソードにまるで記憶がない。僕のエピソードに相手は明らかな?モード。50年という歳月の残酷さを見る思い。
 面白い女がいた。最近プロの演歌歌手になったそうだ。歌が好きで長くインディーズ?で歌ってたのが認められて、プロを進められたそうだ。車1台に機材を積んで、自分で運転しながらあちこち歌い回っているそうだ。その名は堀絵依子、琵琶湖や滋賀の歴史を刻んだ演歌を広げているという。
 僕らは昭和24年生まれ。戦争を知らずに生まれ、すぐ朝鮮戦争の特需景気に見舞われ、その後はあれよあれよという間に豊かに贅沢になっていった世代、全く幸運で一番偉そうにしている世代、それでも決して好き勝手にというか本当の自由な生き方は身につかなかった世代・・・そんな雰囲気が濃厚な同期会の一夜だった。
posted by ヨッシー at 08:54| Comment(0) | 個人的分野

2015年07月01日

チンピラ

 自民党の若手議員たちのマスコミ批判が話題を呼んでいる。
 阿部政権の安保法案や沖縄政策を批判するマスコミを黙らせるために、言論で対抗するのではなく「黙らせるためにはつぶすのが一番。広告を出さないよう経団連に圧力を」というのだから、何とも虫唾の走る無知で無謀で無粋で恥知らずで腹立たしい連中だ。
 80年前、時の日本政府がどんどん戦争を準備して法体制を整え世論を国防一色に引っ張ろうとしていった時、まだかなりの日本人はそれを「無謀」と見ぬき反対していた。それがあっという間に戦争一色に染まっていった。最後は、爆弾や焼夷弾の雨あられ降る中で、「なぜこんな悲惨な状態になったのか?」を問い直すこともなく「憎っくき米兵め!」と国民一丸となって崩壊していった。
 そういう状態に追い込んだ大きな存在が、ああいう「権力を笠にきた、あるいは権力におもねるチンピラたち」なのだ。反対の声を上げる誰彼を捕まえては、暴力的にあるいは巧妙な圧力で封じ上げていった。もちろん議員ばかりではない。そういうチンピラは権力機構の周りに無数に巣をつくっている。自身の立場を強めるためには、ちっとばかしの甘い汁を吸うためには、国民一般の行く末などどうでもいいのだ。いや、権力周辺ばかりでもあるまい。我々の暮らしの中でもいっぱいいる。
 悲しいかな、それが人間という存在でもある。でも、それと闘うのもまた人間なのだ。ああいうチンピラをのさばらせてはいけない。
posted by ヨッシー at 08:33| Comment(0) | 個人的分野

2015年05月19日

お誕生日おめでとうございます!

 と、この場を借りて、自分自身にご挨拶。
 今日19日、僕は66歳になりました。この数字が恥ずかしくてなりません。なぜなんだろう?他の方はどうなんだろう? 
 奥さんからは手作りのカードを貰いました。「他に何が欲しい?」と言われても、もう何が欲しいわけでもない。物欲も性欲も創造欲も減少して、どんどん枯れていくのがわかる。わずかばかりの年金が貰えることで、思いきり働こうというエネルギーもなくなっている。もう土俵を明け渡すべきなのだ。
 まあ、それが人生というもの、愚痴りだしたら切りがない。孔子によると僕らの世代を白秋と呼ぶ。別名「従耳」、「人の言葉を素直に聞きなさい」ということらしい。
こいつはいい言葉だ。最近実感している課題がまさにこれ、「人の意見を聞く」。もう何もかも一人で突っ走ってたって駄目。人の声を聴いて、良き方向に導く「村の長老」的存在になるのだ。フフフ、ホホホ…歯の抜けた顔で笑う爺様になるのだ・・・・!?
 いやだ! なりたくない!
 不惑なんてありえない。いくつであろうが人は迷うものだ。これからも、迷って、悩んで、馬鹿をして、面白く生きよう。それが俺だ!
posted by ヨッシー at 11:59| Comment(0) | 個人的分野

2014年09月24日

青春はかくも懐かしく…

25歳くらいからの5年間、アルバイトのつもりで一緒に子ども向けの芝居をやっていた仲間たちと新宿で再開した。朝早くから学校の体育館を上演して回った。初めて北海道への巡演も経験した。あれからもう40年近くもたったんだ。みんな顔の筋肉がぶら下がり、白髪もはげも目立ったが、顔だちは変わらず、話口調も昔のままだったのがおかしい。
何の能力もないくせに他人に厳しく自分には甘く、身勝手で偉そうで無責任だった若かりし頃の僕、裏切ったり喧嘩したり甘え合ったり、恋だ愛だと騒ぎ合ったりしていた時間が一気に蘇った。
当時付き合ってた女性は乳がんで亡くなっていた。まだ役者で居続ける奴もいれば、とうに辞めて家族を支えてきたやつもいる。40年の歴史を皆はどう生きてきたのか、じっくり聞きだすには時間が少なすぎたが、あの頃は確かに青春を生きていたと何とも懐かしい感慨を味わった。
それにしても歩行者天国の新宿の雑踏ぶりには目がくらんだ。この雑踏の中で、毎晩のように安酒で飲み狂ったり麻雀にうつつを抜かしたりていたんだなあ。
深夜に帰宅した我が家のなんと静かな今の暮らしか。家族は寝静まり、馬鹿犬だけが玄関に迎えに来る。
今日まで僕はどう生きてきたのか、そして残りの月日をどう生きるのか…撫でている犬の体が妙に暖かい。
posted by ヨッシー at 08:43| Comment(0) | 個人的分野

2013年09月26日

雑感いくつか

 市川のROMさん、コメントをありがとう。「HPなんとかしないとね」と事務所でもいつも話題にしてるんだけど、その能力がありません。何かを変革するには、やはりそのイメージと能力が必要なんだと痛感します。どなたか助けていただけないかしら。
 25日、チャレンジド・ミュージカル第9回公演のプランナー会議があり、プランの大枠が固まりました。今回はシンガーソングライター井上ともやす氏も参加して「宮沢賢治とオノマトペ」に挑戦します。改めて賢治の作品のいくつかを読み直して“言葉の力”を感じています。思いを深めながら言葉を磨き上げていく、逆に言葉を練り上げながら思いを深めていく。人間に与えられた言葉を大切にしないと人間がますますバカになっていくし社会が単純で怖ろしいものになります。話題のヘイトスピーチやある民族を単純に軽蔑したりするのもその最たるもの、僕らは言葉を日常的にももっともっと大切にしていきたいものです。
 “出会い”をテーマに、ラベルのボレロ全曲15分のダンスにも挑戦します。今回は、これまで避けてきたチャレンジドたちとプロとの競演(というのは、プロが前面に立って子どもたちがまるで刺身のつまになってしまう舞台を多々不快な気分で見てきたからですが)にも踏み込むつもりです。過去8回の公演に参加してきたチャレンジドたちが、人間的にどのように成長してきたかを検証するシーンも組み入れようと思っています。ともあれ、面白がりながら新しい表現の可能性に大いにチャレンジしていこうと思います。
 ところで、市民会館が使えなくなったことが市川の市民文化活動に与える影響はかなり大きいですね。行徳文化ホールI&Iでは会場費と付帯設備費が4倍も多くかかってしまうのです。規模の小さい活動団体はみな四苦八苦していることでしょう。文化会館や公民館の会場費値上げも検討されているし、市民会館の建て直しは民間企業との共同開発という方法を選択されるとI&Iのように会場費の高騰を招く恐れもあります。
 市民文化活動の停滞は世知辛い世の中をますます雰囲気悪くしかねないものです。僕は行政への要求運動は好きではないけれど、せめて市民の足を引っ張ることだけはしないで欲しいと願わざるを得ません。
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2013年09月09日

2020年東京オリンピックパラリンピック開催

 東京オリンピック開催が決まってテレビが賑わってますね。僕はイスタンブールを押してました。混乱するイスラム世界の調和にとって絶好の機会になると思っていたんだけど残念です。
 話題沸騰の中で、「7年後、果たして俺は生きているか?」と老年世代の誰もが自問したことでしょうね。そして福島の原発解決、迫り来る南西大地震、夏の異常気象など、「引き受けて大丈夫か?」という不安がとっさに浮かんでしまうなんて、僕らが生きている現在はなんという不安に満ちた時代なのでしょうね。
 ともあれ、僕ら老年世代には前回の東京オリンピックの興奮振りが心に焼き付いています。確かに当時の日本人に大きな自信を植え付けてくれました。柳の下に二匹目のドジョウがいるかどうかはわかりませんが、7年後を見据えて何かを考えていく機会なんてそうはありません。夢あふれる具体的な国民的課題ができて、日本人の一つの希望につながれば、経済は好転するだろうし、福島原発だって本気で解決を迫られるだろうし、マア良かったといえるんじゃないかと思います。
 僕はむしろパラリンピックの変化と発展に期待しています。これまで付け足しのように開催されてきたパラリンピックが質量ともに充実して、障害のある人が堂々とスポーツや文化活動を楽しめるようになる、そんな時代の切り札になっていくことに夢をつないでいこうと思います。日本の偉いさんがそういう風に新しい時代を先取りしてくれたらと願ってやみません。
 今日はすっかりいい天気。女房は実家に、息子は旅行に出かけて、僕はしばしチャビと二人きりの生活。掃除して選択して布団干してごみ出して、「今日は休み!」と自己宣言。フフフフ・・・思わず微笑んでしまいます。
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2013年08月18日

命を終えるということ

 施設にいる100歳の母の様態が思わしくないとのことで、覚悟の礼服持参でちょっと長く郷里に帰っていました。
 空調の効いた施設とはいえやはり暑さがこたえるのか、母は食事が取れなくなったり眠れなかったりします。点滴を受けてまた元気になり、またしばらくすると元気がなくなる。点滴を受ける回数が多くなっていきます。17日は亡き父の13回忌で多くの親類が集まり、母を次々と見舞いました。母も興奮していました。
 法事のために仏壇のある今は誰も住まなくなった実家を掃除しました。庭は荒れ果て屋内はすすがはびこって、誰も住まなくなった家は一気に廃れるものですね。幼かった頃の思い出と悲しみが襲い掛かってきて、かえって力が入り熱中症になりかけました。母が可愛がっていた猫がまだ居ついていました。兄が時々えさやりに通っていますが、母の姿が見えなくなって久しいことをあの猫はどう感じているのでしょうか。
 母を見ていると「役割を終えた命が消えていく」という実感が強くします。「死ぬ」というのとはちょっとちがいます。だから寂しくはあっても悲しみはそう強く感じません。「ありがとう」と呟くばかりです。父の時もそうでした。天寿を全うする両親は幸せですね。
 その施設は、最期は病院にいかないで施設の中で見取りを遂行してくれるそうです。聞けば、人間が死ぬことは法律的には簡単なことではないんですね。「命を終えようとしている人」が何故「命を助ける」病院の関与を受けねばならないのでしょう。我々息子は本当は母の家で見取りたいのですが、そうもいかず、施設で見取ってもらうことを選択しました。もう間もなく本当の終わりを迎えるでしょう。
 5日ばかりの休暇の間に、いろいろな情報がパソコンにたまっていました。また今日から多忙な生活が始まります。生きていられればこその忙しさ・・・喜んでこの多忙さに立ち向かおうと思っています。
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2013年07月04日

K K君

 K君は20代後半、チャレンジド・ミュージカルに何度も出演している青年だ。
 先日こんな相談を受けた。母子家庭だが、最近母親が病弱で一人暮らしを求められている。自分は施設や共同生活には不向きだが、といって一人暮らしをやっていく力もない。ヨッシーが世話をしてくれないかというのだ。
 市民活動に関わりだしたこの10年、いろんな“人生相談”を受けてきたが、とうとうこういう現実と向き合わねばならないかと、考え込んでしまった。
 「面白いかも」と始めたチャレンジド・ミュージカルを通して、それまで気にも留めなかった障害児・者のいろんな現実を学んできた。ぼくは芸術指導者であって福祉活動家ではない。彼らと心を通わすことは好きでも、人生の面倒まで見ることはできない。そういうスタンスでやってきたつもりだが、10年もやってるとそう割り切れることばかりでもない。
 K君は「だまされる」という言葉をよく使った。いろんなつらい目に会ってきたのだろう。K君のように、一人立ちを望みながらできないでいる人間、いざという際の支援を求めている人間にどう関わればいいのだろうか? 家族で稽古を楽しむ姿を見ながら、この親が年老いた時、この子たちはどのような生活をしていくことになるのだろうか? 
 一昨日も「国際ユニバーサルアートタウン」の設立準備会の世話人をお願いする会合を持った。僕が代表になれば、どういう責任が覆いかぶさってくるのか、実はまるで実感がない。ぼくはどういう風に彼らの人生と向き合っていくのか、僕自身の人生がどう変わっていくのか、・・・オロオロしながら、チョロチョロしながら、なるようにしかならない人生というものに、興味半分で、僕という人間を見つめている。
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2013年06月25日

仕事とは?

 我が家にチャビという1歳半の犬がいます。
 里親探しのNPO施設から生まれて半年で貰われてきて、もう一年なります。よほど怖い体験があったのでしょう。ものすごい怖がりで、子どもも自動車も嫌い、散歩も嫌い、いわゆる可愛げのない子で、嬉しくても尻尾を振らない犬なんて初めてです。これではいざという時に困ると、女房が家庭教師をつけました。
 週に一度やってくるその女性が一時間ばかり付き合って、いろいろと指導法や付き合い法を教えてくれます。さすがその道のプロ、日ごとに成長していくチャビ、だいぶん落ち着きました。今では僕との一時間の散歩を楽しめるようになりました。
 仕事とは? 職業とは? と考えてしまいます。我々はまず就職を考えます。今ある職業欄の中から自分にふさわしい職種を選択します。まるでそれらがお金稼ぎのすべてであるように。中には資格ばかりとって安心してるばかりの人もいます。
 でも、仕事を自ら生み出していく方法もあるのだとその女性を見て感じます。まだ詳しく聞いていないのですが、犬が好きで好きで、気づいたらアメリカに渡って犬との付き合い方を学んで帰ってきました。資格を必要とするのかどうか知りませんが、自分で近所にビラを撒いて「犬の家庭教師」を宣伝しました。結構忙しくニーズがくるようです。
 今ある秩序に飲み込まれるのと自分から新しい価値を生み出していくのと、世の中と向き合う人間の質の違いを感じます。仕事は自分で生み出していくものです。好きなことをどんどん追求していき、そこにニーズが生まれれば、お金が動き感謝されます。それで食べていけるようになったら00業という職種が生まれるのです。仕事の原点はまさに創造なんですね。
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2013年05月08日

私事で恐縮ですが・・・

5月連休の数日、郷里の母に会ってきました。
百歳五ヵ月の母は、ひとり暮らしをしていた1年半前にこけて骨折して入院して以来、もう実家には戻れず病院と療養所生活、人生をあきらめたような寂しげな表情が目立ってボケも徐々に進行していきました。シニア劇団公演「飢餓海峡」の本番前に体調が悪化したと連絡を受けて見舞いに行ったわけです。年の割には地の力が強くどうにか危機を乗り越えて安堵しましたが、こうやって幾たびか危機を繰り返して命を終えていくのでしょう。時々反応してくれるのが嬉しく、母の顔中いっぱいのキスをしてしまいました。
誰もいない実家には大きな仏壇があります。その前に座って93歳で逝った父に母の様態を報告していると突然激しく泣けてきました。涙ばかりでなくよだれまで流れ出る様に自分自身の老状を見ていっそう悲しくなるばかり・・・こういう時、人生無常、色即是空空即是色、生まれた一つの命が一つの命を生み自らは消えていく、人間の本質もまた然り、それ以上の何を得ようというのか・・・といった仏教的諦念観に包まれてしまいます。
そして自然に「ありがとう」と何度も何度も仏前で呟いていました。僕という命を生んでくれた父母への素直な感謝の言葉が「ありがとう」という言葉であったことに安堵しました。自分を素直に肯定できる今を嬉しく思えたのです。

6日、「ドングリコッコとコッココッコの冒険」の稽古が始まりました。小さな子どもたちと一緒に、生まれてきた喜びを噛みしめられるようなひと時を存分に楽しみたいと思います。
posted by ヨッシー at 11:02| Comment(0) | 個人的分野