東京オリンピック開催が決まってテレビが賑わってますね。僕はイスタンブールを押してました。混乱するイスラム世界の調和にとって絶好の機会になると思っていたんだけど残念です。
話題沸騰の中で、「7年後、果たして俺は生きているか?」と老年世代の誰もが自問したことでしょうね。そして福島の原発解決、迫り来る南西大地震、夏の異常気象など、「引き受けて大丈夫か?」という不安がとっさに浮かんでしまうなんて、僕らが生きている現在はなんという不安に満ちた時代なのでしょうね。
ともあれ、僕ら老年世代には前回の東京オリンピックの興奮振りが心に焼き付いています。確かに当時の日本人に大きな自信を植え付けてくれました。柳の下に二匹目のドジョウがいるかどうかはわかりませんが、7年後を見据えて何かを考えていく機会なんてそうはありません。夢あふれる具体的な国民的課題ができて、日本人の一つの希望につながれば、経済は好転するだろうし、福島原発だって本気で解決を迫られるだろうし、マア良かったといえるんじゃないかと思います。
僕はむしろパラリンピックの変化と発展に期待しています。これまで付け足しのように開催されてきたパラリンピックが質量ともに充実して、障害のある人が堂々とスポーツや文化活動を楽しめるようになる、そんな時代の切り札になっていくことに夢をつないでいこうと思います。日本の偉いさんがそういう風に新しい時代を先取りしてくれたらと願ってやみません。
今日はすっかりいい天気。女房は実家に、息子は旅行に出かけて、僕はしばしチャビと二人きりの生活。掃除して選択して布団干してごみ出して、「今日は休み!」と自己宣言。フフフフ・・・思わず微笑んでしまいます。
2013年09月09日
2020年東京オリンピックパラリンピック開催
posted by ヨッシー at 13:18| Comment(0)
| 個人的分野
2013年08月18日
命を終えるということ
施設にいる100歳の母の様態が思わしくないとのことで、覚悟の礼服持参でちょっと長く郷里に帰っていました。
空調の効いた施設とはいえやはり暑さがこたえるのか、母は食事が取れなくなったり眠れなかったりします。点滴を受けてまた元気になり、またしばらくすると元気がなくなる。点滴を受ける回数が多くなっていきます。17日は亡き父の13回忌で多くの親類が集まり、母を次々と見舞いました。母も興奮していました。
法事のために仏壇のある今は誰も住まなくなった実家を掃除しました。庭は荒れ果て屋内はすすがはびこって、誰も住まなくなった家は一気に廃れるものですね。幼かった頃の思い出と悲しみが襲い掛かってきて、かえって力が入り熱中症になりかけました。母が可愛がっていた猫がまだ居ついていました。兄が時々えさやりに通っていますが、母の姿が見えなくなって久しいことをあの猫はどう感じているのでしょうか。
母を見ていると「役割を終えた命が消えていく」という実感が強くします。「死ぬ」というのとはちょっとちがいます。だから寂しくはあっても悲しみはそう強く感じません。「ありがとう」と呟くばかりです。父の時もそうでした。天寿を全うする両親は幸せですね。
その施設は、最期は病院にいかないで施設の中で見取りを遂行してくれるそうです。聞けば、人間が死ぬことは法律的には簡単なことではないんですね。「命を終えようとしている人」が何故「命を助ける」病院の関与を受けねばならないのでしょう。我々息子は本当は母の家で見取りたいのですが、そうもいかず、施設で見取ってもらうことを選択しました。もう間もなく本当の終わりを迎えるでしょう。
5日ばかりの休暇の間に、いろいろな情報がパソコンにたまっていました。また今日から多忙な生活が始まります。生きていられればこその忙しさ・・・喜んでこの多忙さに立ち向かおうと思っています。
空調の効いた施設とはいえやはり暑さがこたえるのか、母は食事が取れなくなったり眠れなかったりします。点滴を受けてまた元気になり、またしばらくすると元気がなくなる。点滴を受ける回数が多くなっていきます。17日は亡き父の13回忌で多くの親類が集まり、母を次々と見舞いました。母も興奮していました。
法事のために仏壇のある今は誰も住まなくなった実家を掃除しました。庭は荒れ果て屋内はすすがはびこって、誰も住まなくなった家は一気に廃れるものですね。幼かった頃の思い出と悲しみが襲い掛かってきて、かえって力が入り熱中症になりかけました。母が可愛がっていた猫がまだ居ついていました。兄が時々えさやりに通っていますが、母の姿が見えなくなって久しいことをあの猫はどう感じているのでしょうか。
母を見ていると「役割を終えた命が消えていく」という実感が強くします。「死ぬ」というのとはちょっとちがいます。だから寂しくはあっても悲しみはそう強く感じません。「ありがとう」と呟くばかりです。父の時もそうでした。天寿を全うする両親は幸せですね。
その施設は、最期は病院にいかないで施設の中で見取りを遂行してくれるそうです。聞けば、人間が死ぬことは法律的には簡単なことではないんですね。「命を終えようとしている人」が何故「命を助ける」病院の関与を受けねばならないのでしょう。我々息子は本当は母の家で見取りたいのですが、そうもいかず、施設で見取ってもらうことを選択しました。もう間もなく本当の終わりを迎えるでしょう。
5日ばかりの休暇の間に、いろいろな情報がパソコンにたまっていました。また今日から多忙な生活が始まります。生きていられればこその忙しさ・・・喜んでこの多忙さに立ち向かおうと思っています。
posted by ヨッシー at 10:43| Comment(0)
| 個人的分野
2013年07月04日
K K君
K君は20代後半、チャレンジド・ミュージカルに何度も出演している青年だ。
先日こんな相談を受けた。母子家庭だが、最近母親が病弱で一人暮らしを求められている。自分は施設や共同生活には不向きだが、といって一人暮らしをやっていく力もない。ヨッシーが世話をしてくれないかというのだ。
市民活動に関わりだしたこの10年、いろんな“人生相談”を受けてきたが、とうとうこういう現実と向き合わねばならないかと、考え込んでしまった。
「面白いかも」と始めたチャレンジド・ミュージカルを通して、それまで気にも留めなかった障害児・者のいろんな現実を学んできた。ぼくは芸術指導者であって福祉活動家ではない。彼らと心を通わすことは好きでも、人生の面倒まで見ることはできない。そういうスタンスでやってきたつもりだが、10年もやってるとそう割り切れることばかりでもない。
K君は「だまされる」という言葉をよく使った。いろんなつらい目に会ってきたのだろう。K君のように、一人立ちを望みながらできないでいる人間、いざという際の支援を求めている人間にどう関わればいいのだろうか? 家族で稽古を楽しむ姿を見ながら、この親が年老いた時、この子たちはどのような生活をしていくことになるのだろうか?
一昨日も「国際ユニバーサルアートタウン」の設立準備会の世話人をお願いする会合を持った。僕が代表になれば、どういう責任が覆いかぶさってくるのか、実はまるで実感がない。ぼくはどういう風に彼らの人生と向き合っていくのか、僕自身の人生がどう変わっていくのか、・・・オロオロしながら、チョロチョロしながら、なるようにしかならない人生というものに、興味半分で、僕という人間を見つめている。
先日こんな相談を受けた。母子家庭だが、最近母親が病弱で一人暮らしを求められている。自分は施設や共同生活には不向きだが、といって一人暮らしをやっていく力もない。ヨッシーが世話をしてくれないかというのだ。
市民活動に関わりだしたこの10年、いろんな“人生相談”を受けてきたが、とうとうこういう現実と向き合わねばならないかと、考え込んでしまった。
「面白いかも」と始めたチャレンジド・ミュージカルを通して、それまで気にも留めなかった障害児・者のいろんな現実を学んできた。ぼくは芸術指導者であって福祉活動家ではない。彼らと心を通わすことは好きでも、人生の面倒まで見ることはできない。そういうスタンスでやってきたつもりだが、10年もやってるとそう割り切れることばかりでもない。
K君は「だまされる」という言葉をよく使った。いろんなつらい目に会ってきたのだろう。K君のように、一人立ちを望みながらできないでいる人間、いざという際の支援を求めている人間にどう関わればいいのだろうか? 家族で稽古を楽しむ姿を見ながら、この親が年老いた時、この子たちはどのような生活をしていくことになるのだろうか?
一昨日も「国際ユニバーサルアートタウン」の設立準備会の世話人をお願いする会合を持った。僕が代表になれば、どういう責任が覆いかぶさってくるのか、実はまるで実感がない。ぼくはどういう風に彼らの人生と向き合っていくのか、僕自身の人生がどう変わっていくのか、・・・オロオロしながら、チョロチョロしながら、なるようにしかならない人生というものに、興味半分で、僕という人間を見つめている。
posted by ヨッシー at 10:26| Comment(0)
| 個人的分野
2013年06月25日
仕事とは?
我が家にチャビという1歳半の犬がいます。
里親探しのNPO施設から生まれて半年で貰われてきて、もう一年なります。よほど怖い体験があったのでしょう。ものすごい怖がりで、子どもも自動車も嫌い、散歩も嫌い、いわゆる可愛げのない子で、嬉しくても尻尾を振らない犬なんて初めてです。これではいざという時に困ると、女房が家庭教師をつけました。
週に一度やってくるその女性が一時間ばかり付き合って、いろいろと指導法や付き合い法を教えてくれます。さすがその道のプロ、日ごとに成長していくチャビ、だいぶん落ち着きました。今では僕との一時間の散歩を楽しめるようになりました。
仕事とは? 職業とは? と考えてしまいます。我々はまず就職を考えます。今ある職業欄の中から自分にふさわしい職種を選択します。まるでそれらがお金稼ぎのすべてであるように。中には資格ばかりとって安心してるばかりの人もいます。
でも、仕事を自ら生み出していく方法もあるのだとその女性を見て感じます。まだ詳しく聞いていないのですが、犬が好きで好きで、気づいたらアメリカに渡って犬との付き合い方を学んで帰ってきました。資格を必要とするのかどうか知りませんが、自分で近所にビラを撒いて「犬の家庭教師」を宣伝しました。結構忙しくニーズがくるようです。
今ある秩序に飲み込まれるのと自分から新しい価値を生み出していくのと、世の中と向き合う人間の質の違いを感じます。仕事は自分で生み出していくものです。好きなことをどんどん追求していき、そこにニーズが生まれれば、お金が動き感謝されます。それで食べていけるようになったら00業という職種が生まれるのです。仕事の原点はまさに創造なんですね。
里親探しのNPO施設から生まれて半年で貰われてきて、もう一年なります。よほど怖い体験があったのでしょう。ものすごい怖がりで、子どもも自動車も嫌い、散歩も嫌い、いわゆる可愛げのない子で、嬉しくても尻尾を振らない犬なんて初めてです。これではいざという時に困ると、女房が家庭教師をつけました。
週に一度やってくるその女性が一時間ばかり付き合って、いろいろと指導法や付き合い法を教えてくれます。さすがその道のプロ、日ごとに成長していくチャビ、だいぶん落ち着きました。今では僕との一時間の散歩を楽しめるようになりました。
仕事とは? 職業とは? と考えてしまいます。我々はまず就職を考えます。今ある職業欄の中から自分にふさわしい職種を選択します。まるでそれらがお金稼ぎのすべてであるように。中には資格ばかりとって安心してるばかりの人もいます。
でも、仕事を自ら生み出していく方法もあるのだとその女性を見て感じます。まだ詳しく聞いていないのですが、犬が好きで好きで、気づいたらアメリカに渡って犬との付き合い方を学んで帰ってきました。資格を必要とするのかどうか知りませんが、自分で近所にビラを撒いて「犬の家庭教師」を宣伝しました。結構忙しくニーズがくるようです。
今ある秩序に飲み込まれるのと自分から新しい価値を生み出していくのと、世の中と向き合う人間の質の違いを感じます。仕事は自分で生み出していくものです。好きなことをどんどん追求していき、そこにニーズが生まれれば、お金が動き感謝されます。それで食べていけるようになったら00業という職種が生まれるのです。仕事の原点はまさに創造なんですね。
posted by ヨッシー at 10:00| Comment(0)
| 個人的分野
2013年05月08日
私事で恐縮ですが・・・
5月連休の数日、郷里の母に会ってきました。
百歳五ヵ月の母は、ひとり暮らしをしていた1年半前にこけて骨折して入院して以来、もう実家には戻れず病院と療養所生活、人生をあきらめたような寂しげな表情が目立ってボケも徐々に進行していきました。シニア劇団公演「飢餓海峡」の本番前に体調が悪化したと連絡を受けて見舞いに行ったわけです。年の割には地の力が強くどうにか危機を乗り越えて安堵しましたが、こうやって幾たびか危機を繰り返して命を終えていくのでしょう。時々反応してくれるのが嬉しく、母の顔中いっぱいのキスをしてしまいました。
誰もいない実家には大きな仏壇があります。その前に座って93歳で逝った父に母の様態を報告していると突然激しく泣けてきました。涙ばかりでなくよだれまで流れ出る様に自分自身の老状を見ていっそう悲しくなるばかり・・・こういう時、人生無常、色即是空空即是色、生まれた一つの命が一つの命を生み自らは消えていく、人間の本質もまた然り、それ以上の何を得ようというのか・・・といった仏教的諦念観に包まれてしまいます。
そして自然に「ありがとう」と何度も何度も仏前で呟いていました。僕という命を生んでくれた父母への素直な感謝の言葉が「ありがとう」という言葉であったことに安堵しました。自分を素直に肯定できる今を嬉しく思えたのです。
6日、「ドングリコッコとコッココッコの冒険」の稽古が始まりました。小さな子どもたちと一緒に、生まれてきた喜びを噛みしめられるようなひと時を存分に楽しみたいと思います。
百歳五ヵ月の母は、ひとり暮らしをしていた1年半前にこけて骨折して入院して以来、もう実家には戻れず病院と療養所生活、人生をあきらめたような寂しげな表情が目立ってボケも徐々に進行していきました。シニア劇団公演「飢餓海峡」の本番前に体調が悪化したと連絡を受けて見舞いに行ったわけです。年の割には地の力が強くどうにか危機を乗り越えて安堵しましたが、こうやって幾たびか危機を繰り返して命を終えていくのでしょう。時々反応してくれるのが嬉しく、母の顔中いっぱいのキスをしてしまいました。
誰もいない実家には大きな仏壇があります。その前に座って93歳で逝った父に母の様態を報告していると突然激しく泣けてきました。涙ばかりでなくよだれまで流れ出る様に自分自身の老状を見ていっそう悲しくなるばかり・・・こういう時、人生無常、色即是空空即是色、生まれた一つの命が一つの命を生み自らは消えていく、人間の本質もまた然り、それ以上の何を得ようというのか・・・といった仏教的諦念観に包まれてしまいます。
そして自然に「ありがとう」と何度も何度も仏前で呟いていました。僕という命を生んでくれた父母への素直な感謝の言葉が「ありがとう」という言葉であったことに安堵しました。自分を素直に肯定できる今を嬉しく思えたのです。
6日、「ドングリコッコとコッココッコの冒険」の稽古が始まりました。小さな子どもたちと一緒に、生まれてきた喜びを噛みしめられるようなひと時を存分に楽しみたいと思います。
posted by ヨッシー at 11:02| Comment(0)
| 個人的分野
2012年10月24日
老愁は葉の如く・・・
金木犀の香りも薄れたというのに、秋の気配はまだ本物ではない。今年はマツタケも牡蠣も不作だそうな。
先日、下北半島の温泉めぐりで久し振りのリフレッシュを堪能したのに、また日常に忙殺されている。一つひとつの仕事や段取りに時間がかかりすぎるようになった。面倒臭がったり後回しや無視する事柄が増えていく。机に向かう際にエイッ!という気合が必要な日が多くなった。夜はもう電話にも出たくない。永井荷風さんの断腸亭日乗のうじうじした心境が心にピッタリしてくる。秋は生き物を物悲しくさせる季節であるらしい。
「コントdeげき隊!」の稽古は、そろそろ公演依頼も入りだして熱を帯びてきた。台詞を覚えたり、大声を出したり、瞬時に反応したり、「演劇は老化防止の最高の手段だ」と強調するぼく自身が役者の名前をど忘れしたりダメ出しで息切れしたりする始末。そういえば、シニア劇団の俳優たちと船橋の古い建物や遊郭地跡を探索した後のカラオケで、歌い終わった後息切れしたのがショック。秋は営みの終わる季節なのか。
チャレンジド・ミュージカルの稽古が始まろうとしている。台本が思うように仕上がらずスタッフたちに迷惑をかけているが、もう時間切れ、後は現場で悩むしかない。秋は虫の声と年寄りの愚痴が賑やかだ。
助成申請の季節だ。いちぶんネットの事業で助成金なしで済むのは一つもない。普段全くのボランティアで関わってくれてる理事たちにお金の負担まで強いるのは忍びないから、あれやこれや貪欲に書類を積み重ねて申請する。その作業が時間を奪う。来年の秋はどうしてることやら。
先日、下北半島の温泉めぐりで久し振りのリフレッシュを堪能したのに、また日常に忙殺されている。一つひとつの仕事や段取りに時間がかかりすぎるようになった。面倒臭がったり後回しや無視する事柄が増えていく。机に向かう際にエイッ!という気合が必要な日が多くなった。夜はもう電話にも出たくない。永井荷風さんの断腸亭日乗のうじうじした心境が心にピッタリしてくる。秋は生き物を物悲しくさせる季節であるらしい。
「コントdeげき隊!」の稽古は、そろそろ公演依頼も入りだして熱を帯びてきた。台詞を覚えたり、大声を出したり、瞬時に反応したり、「演劇は老化防止の最高の手段だ」と強調するぼく自身が役者の名前をど忘れしたりダメ出しで息切れしたりする始末。そういえば、シニア劇団の俳優たちと船橋の古い建物や遊郭地跡を探索した後のカラオケで、歌い終わった後息切れしたのがショック。秋は営みの終わる季節なのか。
チャレンジド・ミュージカルの稽古が始まろうとしている。台本が思うように仕上がらずスタッフたちに迷惑をかけているが、もう時間切れ、後は現場で悩むしかない。秋は虫の声と年寄りの愚痴が賑やかだ。
助成申請の季節だ。いちぶんネットの事業で助成金なしで済むのは一つもない。普段全くのボランティアで関わってくれてる理事たちにお金の負担まで強いるのは忍びないから、あれやこれや貪欲に書類を積み重ねて申請する。その作業が時間を奪う。来年の秋はどうしてることやら。
posted by ヨッシー at 08:50| Comment(0)
| 個人的分野
2012年04月23日
温泉旅行
いちぶんネット恒例の春の温泉旅行で仲間と一緒に仙台秋保温泉に遊んできました。まだ桜も蕾で肌寒い気候でしたが、震災被災地の方々には申し訳ない、また毎日生活に悪戦苦闘しておられる方にも申し訳ない、存分に楽しんできました。
中には仙台で開催された子ども環境学会にチャレンジド・ミュージカルの実践報告に出向く奇特な方がいましたが、主催者である僕はそういうことはすべて人に任せて、飲んで食って温泉に浸かって散歩してという享楽三昧でした。
帰市後はM&Mのライブへ。いちかわ市民ミュージカルで出会った若いデュオで会場は50人ばかりで満員盛況。ここでも盛大に飲み食い。この二日で1kgは太っちまったでしょう。
市民M参加を切っ掛けにスタッフ専門家や役者修行に進んでいった若い人もいます。老後の生きがいを見つけた人もいます。くっついちまったカップルもいます。自分が関わったイベントでどんどんやる気を出して成長していく人を見るのは最高の気分、正直誇らしくもあります。帰り道、歌詞が一つ浮かびました。デュオの作曲家に送ればいい曲にしてもらえるかしら。
さて、これからは第6回いちかわ市民ミュージカルの出演者募集が本格化します。募集チラシがどうやら市内の生徒に配布されたようで参加申し出が続いています。そういえば稽古開始ももう間近、それまでに準備しておかねばならない作業が目白押しです。たっぷり遊んだからやる気は十分、一つひとつ片付けていきましょう。
中には仙台で開催された子ども環境学会にチャレンジド・ミュージカルの実践報告に出向く奇特な方がいましたが、主催者である僕はそういうことはすべて人に任せて、飲んで食って温泉に浸かって散歩してという享楽三昧でした。
帰市後はM&Mのライブへ。いちかわ市民ミュージカルで出会った若いデュオで会場は50人ばかりで満員盛況。ここでも盛大に飲み食い。この二日で1kgは太っちまったでしょう。
市民M参加を切っ掛けにスタッフ専門家や役者修行に進んでいった若い人もいます。老後の生きがいを見つけた人もいます。くっついちまったカップルもいます。自分が関わったイベントでどんどんやる気を出して成長していく人を見るのは最高の気分、正直誇らしくもあります。帰り道、歌詞が一つ浮かびました。デュオの作曲家に送ればいい曲にしてもらえるかしら。
さて、これからは第6回いちかわ市民ミュージカルの出演者募集が本格化します。募集チラシがどうやら市内の生徒に配布されたようで参加申し出が続いています。そういえば稽古開始ももう間近、それまでに準備しておかねばならない作業が目白押しです。たっぷり遊んだからやる気は十分、一つひとつ片付けていきましょう。
posted by ヨッシー at 11:07| Comment(1)
| 個人的分野
2012年04月16日
願わくは花の下にて春死なん
と願ったのかどうか、満開の桜の季節に姉が逝きました。74歳でした。まだまだやりたいことが多かった姉は悔しい思いだったでしょう。合掌。
年老いてくると兄弟姉妹の死は特に堪えます。死がほんとに身近なものとして実感させるからでしょうね。僕もそう長くはないでしょう。もう、自分にはどうしようもないことには余り悩まず、自分ができることに集中していこうと思います。
見回すと、いろんなことに悩んでいる人が多い。悩みのない人生などありえないのですが、そして若い頃の悩みもいいものではあるでしょうが、今の僕には「もったいない」、僕自身の手では解決しない悩みや鬱に落ち込んだりしているのがもったいないと実感します。
このところ事務的な仕事に追われています。それはそれで「やるべき課題」だと思うのですが、やはり創造的な時間がほしい。そう思ったら自分でその時間を見つけることです。そうできない不満を口にしても仕方がありません。これまではそれができなかった。できないのを周囲のせいにしてきた。そういう他人のせいにする姿勢だけはもう捨てようと思います。
「悩みとはそんなものじゃない。自分ではどうしようもない悩みに落ち込んでしまうのが人間だ」という意見もあるでしょうが、そういう悩みには鈍感であろうと思います。
なんだか妙にナーバスになっているのは、すぐこの後に続くであろう母や長兄の死を見据えているからでしょうね。悲しいけれども、それは不幸と言うものではない。少なくとも「息子よ、弟よ、お前は残る人生をどう生きるか」と問いかけてくれているのだと思うことにしています。
抹香臭い話になってごめんなさい。
年老いてくると兄弟姉妹の死は特に堪えます。死がほんとに身近なものとして実感させるからでしょうね。僕もそう長くはないでしょう。もう、自分にはどうしようもないことには余り悩まず、自分ができることに集中していこうと思います。
見回すと、いろんなことに悩んでいる人が多い。悩みのない人生などありえないのですが、そして若い頃の悩みもいいものではあるでしょうが、今の僕には「もったいない」、僕自身の手では解決しない悩みや鬱に落ち込んだりしているのがもったいないと実感します。
このところ事務的な仕事に追われています。それはそれで「やるべき課題」だと思うのですが、やはり創造的な時間がほしい。そう思ったら自分でその時間を見つけることです。そうできない不満を口にしても仕方がありません。これまではそれができなかった。できないのを周囲のせいにしてきた。そういう他人のせいにする姿勢だけはもう捨てようと思います。
「悩みとはそんなものじゃない。自分ではどうしようもない悩みに落ち込んでしまうのが人間だ」という意見もあるでしょうが、そういう悩みには鈍感であろうと思います。
なんだか妙にナーバスになっているのは、すぐこの後に続くであろう母や長兄の死を見据えているからでしょうね。悲しいけれども、それは不幸と言うものではない。少なくとも「息子よ、弟よ、お前は残る人生をどう生きるか」と問いかけてくれているのだと思うことにしています。
抹香臭い話になってごめんなさい。
posted by ヨッシー at 08:51| Comment(1)
| 個人的分野
