2016年12月11日

メールのやり取りは対話ではない!

 昨10日(土)、いちかわ市民ミュージカル実行委員会の総括会議があった。
 出発点が遅れた今回の実行委員会はいろいろ大変だったし、一方で、実行委員の一人ひとりが「担うべき役割を全うする」とばかりに奮闘してどうにか乗り切ったようで、その辺りにさすが16年間の蓄積の成果と僕などは評価するのだが、ともかく大変だった(らしい)。
 昨日の会議は、「今後の課題」をいくつか具体的に確認する場となるのかと思いきや、終演後、まだ会議の場で一度も自分の言葉で振り返りの総括を述べてなかったようで、つまり昨日はそういう場となった。
 実行委員の一人ひとりから、いろいろ「大変」だったことや「孤独」だったことや「加重負担」だったことなどが涙や緊張とともに述べられて、「それでも一所懸命やった、やってよかった」とまとめられていた。
 強烈に感じたことが二つあった。
 みんなが誉めてもらいたがっている。当たり前だ、苦労したのだもの。人は誰もが褒められたい、認められたい。誉めてあげれば、認めてあげれば、ほとんどの苦労など吹き飛んでしまうのだ、ということ。大人でもそうなのだから、子どもなどまさにそうなのだろう。本当にお疲れさま! 関係者の皆さん、ぜひ実行委員のご苦労に感謝し労わってあげていただきたい。みんなでお互いにもっともっと誉め合おう。
 もうひとつは、メールMLのやり取りでことを決めていってはならないということ。各実行委員の多忙さを配慮して、MLのやり取りでことを進めていこうとしたのだが、この方法は失敗だった。やるべきではなかった。会議の場で顔と顔を向け合って話せば解決したはずのことが、一方通行で言葉足らずのメールのやり取りでは不満と不安が高まるばかりで何一つ良い結果を生まなかったようなのだ。
 メールは人間的ではない。肝に銘じよう。
posted by ヨッシー at 10:31| Comment(1) | 第8回市民M

2016年09月05日

ありがとうございました!

 「夏の光2016〜空に消えた馬へ〜」2ステージ、大変好評りに終演しました。
 ご観劇、ご協力いただいたみなさん、心から感謝申し上げます。
 今回は、当初執筆していた作品が挫折して「中止するか?」といった段階から話し合って公演にたどり着いただけに、感慨もひとしおです。
 おかげさまで、馬と少年の交流を通して戦争の残酷さを描くというテーマがくっきりと浮き出て、改作した赤レンガとの結びつきも簡潔に表現できて、いい舞台になりました。顔を合わせた観客のどなたからも絶賛していただきました。全国市民ミュージカルコンテストが開かれればゴールデングラブ賞は間違いないでしょう(勝手な思い込みですみません)。
 カーテンコールで、観客に向かって「2018年の次回はあなたが出演してください」としゃべってしまいました。みんなで観る、みんなで出演する、みんなで支える…楽しい面白い街になる。市民芸術活動の原点の言葉だと思います。
 とはいえ、実行委員会としては大総括の必要ありです。必要だから、やめるわけにはいかないから、みんなが望んでいるからと、体の芯から面白がらず義務感だけで活動してるんじゃないかと思える人を見ると、無理しないでと解放してあげたくなります。少子高齢化とともに、320人から140人近くへと減少した出演者数が象徴するように、今までの規模ややり方にこだわるわけにもいかないし、新しい創造実践論を打ち立てるべきでしょう。
 ほぼ同じメンバーが16年にも渡って活動してきたこと自体驚きであり成果でもあるのですが、続けることを自己目的にすべきではないのは当然として、子どもからお年寄りの一人ひとりにとって市民ミュージカルが本当に生きる力となっているかを、しっかりと皆で議論し検証し直したいと思っています。
 ありがとうございました!
posted by ヨッシー at 11:39| Comment(0) | 第8回市民M

2016年09月02日

請う、ご期待!

 5月7日から始まった市民ミュージカルの稽古がいよいよ実を結ぶ日が来た。
 4か月という稽古期間も、実質的には週2回だから30回くらいの稽古にすぎないのだが、出演者たち、特に小さな子どもたちはどう感じたんだろう。
 ほぼ全員がそろった最後の稽古では皆いい表情をしていた。まだ学校にも行っていない幼児ですら、真剣で陽気な気配がいっぱいだった。11時から2回の通し稽古とダメ出し・修正を重ねて、終わったのが18時。どんなにか疲れたことだろうに、最後の最後まで表情を輝かせていた。ジーンときた。1年の3分の1を費やした舞台だ、この子たちの心に長い暑い熱い楽しい時間だったと記憶されることを切に願う。
 僕としてもやれるだけのことはやった。いい舞台に仕上がったと思う。実行委員会も組織的な動きとしては改善点も顕著だが、一人ひとりの奮闘でもって、どうにか乗り越えた。
 我が町市川で市民ミュージカルを初めて15年、僕も、最初から活動してきた実行委員やスタッフも、みな歳を取った。年々出演者も減っていく。そろそろ限界かなと思いつつ、また取り掛かってみると稽古場でいろんなドラマが生まれる。
 年齢を問わず、「自分を生き直そう」という姿を直視することもある。ひと皮むけた表情の豊かさを堪能できることもある。大げさではない、人間が成長していく姿が稽古場のあちこちで見られるのだ。こういう事態に出会うと、こういう現場をなくしてはならないと思う。市民活動の大切さを実感する。
 さあ、4日の日曜日には、さらにヒートアップしたドラマが待っていることだろう。
 会場を涙と笑いと感動の渦に巻き込んでみせる。
 請う、ご期待!
posted by ヨッシー at 08:13| Comment(0) | 第8回市民M

2016年08月22日

実行委員会の成熟

 台風直下、すごい雨が降ってます。
 危ぶまれたリオオリンピックも無事終了しました。
 そして、「夏の光2016」もあと2回の稽古を残すのみとなりました。
 構成もテンポもよく、役者たちにもやっと豊かな表情が生まれだして、なかなかの仕上がりです。ご期待ください。
 今回は実行委員のなり手も少なくなって一時はどうなるかなと思ったものですが、しかしやはり16年間の歴史の蓄積はすごいものです。
 人手が足りないわけだから、一人ひとりがかなりな仕事を背負い込むことになります。誰かに手伝ってと声をかけても誰も手を挙げてくれない時もあります。その時、普通は「誰も手伝ってくれないから、やめた」となるのですが、今の実行委員は「だったら、一人でやる」と行動します。
 「協賛広告は私」「観客動員の訴えは私」「パンフレット作製は私」「衣装道具作成は私」「子どものサポートは私」「託児サポートは私」etc…という風に、担当者が(しょうがなく)(時には泣きながら、怒りながら)作業を進めてくれています。勢い余って、善意の提案がまるで決まったことのように独走して、周囲との軋轢を生むようなこともありますが、でも縮こまって何も動かない組織より、少し出しゃばって衝撃が起きる組織の方がよほど魅力的です。
 皆働きながらの多忙な時間の中で、こんなにもエネルギーを注ぎ込んで、ボランティア活動の成果を明確に見える形で社会を発展させていくという姿勢が、これからの社会を支えていくことになるとつくづく感じます。しかもそれを面白がりながら。
 いつまでも過酷な個人負担に甘えていることもできないし、そろそろ本格的総括は必要だとも認識していますが、こういう人たちが身近にいると、なんだかやっぱり、もっと楽しいことがもっと面白うことがやれるんじゃないかとつい幻想が拡大してしまうのです。
posted by ヨッシー at 11:24| Comment(0) | 第8回市民M

2016年08月15日

2泊3日、ミュージカル合宿!

 12日(金)〜14日(日)の3日間、市川少年自然の家でのミュージカル合宿を終えた。
 初日の夜こそ、交流会でゲームや何とか流星群の観察を楽しんだものの、翌日からは稽古稽古稽古、最終日は子どもたちもさすがに疲れた表情を見せたが、大変成果のある合宿だった。
 風邪をひいて咳が止まらず、会館内禁酒だというので宿泊を渋っていた僕だが、何とか持ちこたえられた。最終日は公開通し稽古となって、関係者にも見てもらった。どんな舞台になるか期待は高まったことと思う。
 小学2年生の子がいる。この子のとっさの表現力には注目するものがあって、将来の主役候補ぐらいに思っているのだが、なんとも集中力が足りない。すぐ周りに話しかけてしまう。見ている親が周りへの配慮から「この子は出さない」と叱る。叱られた子は涙を浮かべる。親の期待と不安が子どもへのプレッシャーとなる。活動を熱心にサポートしてくれる親によく見る現象だ。それを見ると僕らは子どもを守りたくなり、親を説得する。でも、稽古中に相変わらず隣りの子と談笑する姿を見て、僕らもまたカッとなる。
 でもこれが小学2年生の真の姿なのだ。こういう体験の一つひとつが彼の血肉となっていくのを信じるしかない。稽古場には不思議な神様がいる。僕らの一人ひとりを見守ってくださる、成長を見届けてくださる神様が。親御さんたち、お願いです、子どもは大人の期待通りには動きません。彼から貴重な体験の場を奪わないでください。あれこれ気をもむのを諦めて、最後は稽古場の神様にお任せしましょう。
 残り4回の稽古、最後の追い込みに入っていく。13番最高の人気逃げ馬シミンミュージカルのラストスパートに注目ください!
posted by ヨッシー at 11:01| Comment(0) | 第8回市民M

2016年08月01日

荒通し稽古!

 31日(日)、市民ミュージカル「夏の光2016」の初めての荒通し稽古を行った。
 祖父役が膨大な台詞をしっかり頭に叩き込んでくれていたおかげで、全体としてはうまく進行した。上演時間も大幅に短縮されて、引き締まったいい舞台になると思う。今後は何度も通し稽古を重ねて、役者の表現力向上に努めたい。
 気になることが一つ。残念ながら子どもたちの欠席が目立つ。稽古の成果も蓄積されて行かない。子どもたちにやる気がないわけでもサボッているわけでもない。今は、「夏休みだ、さあ稽古に集中!」とはいかないようだ。部活と塾を先頭に、いろんな課題が子どもたちを待っている。少なくなった子どもたちへの期待が、「あらゆる分野で才能を発揮せよ!」とばかりに押し付けられているのではないか。
 思えば16年前の第1回公演は出演者320名、子どもは250名近かった。稽古場となった体育館に子どもがうじゃうじゃいた。皆が勝手にしゃべりだすと会場内に声がウワ〜ンと渦巻いた。それを一喝して抑え込むのにエネルギーがいり、また快感でもあった。今は数少ないゆえに、無駄口の中身までが聞こえてくる。つい苛立って叱ることになる。叱っている自分はいやだ。
 少子化の影響は誠に深刻だ。子どもと向き合うどこの団体でも存続が危ぶまれる事態が広がっていると聞く。と言って、役割が必要ではなくなったということではもちろんない。むしろ子どもの抱えるストレスはいや増している。そして、「舞台芸術表現活動の持つ不思議な力」がますます必要とされていくのだ。
 市民ミュージカルの根を絶やしてはならないけれども、その魅力を最大限に発揮する場として、そろそろ勇気をもって有り様を見直していく必要があるとは思う。
 とはいえ、今は作品づくりに集中。叱るのではなく誉める。面白がらせる。夢中にさせる。指導者の力量が問われている。
posted by ヨッシー at 11:17| Comment(0) | 第8回市民M

2016年07月28日

障害者なんていなくなればいい!?

 24日(日)の市民ミュージカルの稽古場に、10万人分のガス壊疽ワクチンを製造するために、当時勤労動員中学生として馬の生き血を抜く作業にあたられた生き証人の方に来ていただき、いろんなお話を伺った。
 当時13歳、「馬が怖い!作業が恐ろしい!」と感じたのは束の間で、「国のため、兵隊さんのため、一滴の血も無駄にするな!」と朝から夕方まで休みなしの作業だったという。本当に、あの頃(70年前の、今はもうほとんどの人が体験したことのない戦争での話だが)、子どもから老人まで、国民が一丸となって戦争というわけのわからない緊張事態に向かうばかりの毎日だったのだと改めて驚く。嫌がったり反抗したいする人は非国民として排除された。
 中学生を演じる子どもたちも熱心に質問していた。さすがに気が入ってきたのだと喜ぶ。

 といい気分でいたら、とんでもないニュースが飛び込んできた。相模原市の障害者施設での虐殺だ。
 犯人がどういう人物なのかはどうでもいい。弱者の生存権を否定するその精神に激しい怒りを感じた。自分のコンプレックスを弱い者への迫害でしか克服できない、ゆがんだ心のありようが憎い。「障がい者なんていなくなればいい」とは戦争中に叫ばれた言葉だ。戦争の邪魔だという訳で、ドイツでは障害者は虐殺された。
 これは理屈の問題じゃない。人間性の問題だ。命を懸けた、命の多様性をかけた闘いとなる。
 屁理屈を応酬し合ってる場合じゃない。僕はこういう思想を絶対に認めない。許さない。たとえ老いぼれといわれようと、僕は闘う。
 弱者は団結しなければならない!
posted by ヨッシー at 11:21| Comment(0) | 第8回市民M

2016年07月18日

騒然とした時代に…

 近頃ほんとうに、ヨーロッパ中が騒然としだしたね。こわい!こわい!
 息子がイタリアに新婚旅行に行ってるらしいけど、大丈夫だろうか?
 昔は、テロリストという言葉にはアナーキズムという言葉と同じく一種陶酔的な幻惑的な響きがあって、若い僕などちょっぴりロマンを感じたものだ。今ではすっかり変質してしまった。
 フランス・ニースのテロ犯などは宗教とは何の関係もない。秋葉原事件を起こした青年と何も変わらない。個人的絶望と破滅を爆発させただけ。まあ、イスラム云々という大義名分を見つけて犯行に至ったきっかけにはなっただろうけど、こんな個人的爆発に巻き込まれた人たちの救いはどこにあるのか。
 でも、だからこそ恐ろしいといえる。誰もが、個人的な不満と焦燥をこういう形で、それもいとも簡単に爆発させることができる状況になってきたのだ。しかも、冷たい社会の中で、そういう人はますます増えていく。
 いちかわの市民ミュージカルやチャレンジド・ミュージカルにも、「心が傷ついた人たち」の参加は意外と多い。僕はもちろん大歓迎している。猛烈なスピードで効率と結果を求めていく現在の社会に疲れ切った人たちが、しばしの時間を他人と一緒になって歌ったり踊ったりして過ごすだけで、不思議なほど癒されていく。創造的な力を発揮しようと、せめてその時間だけは前向きな自分に没頭できる。ちっぽけな世界だけど、自己啓発セミナーなんかよりよっぽど力になる。一度、チャレンジドたちと同じ舞台に立ってごらんよ、「生きていてよかった!」と再認識するのも大げさじゃないよ。
 誰もが悩みを持っている。一歩先の絶壁を意識しながら踏みとどまっている人たちはいっぱいいる。
 おいでよ、表現活動の仲間になろう! きっと何かが変わる!
posted by ヨッシー at 11:00| Comment(0) | 第8回市民M

2016年07月12日

この間のいくつか…!

 9日(土)11時〜13時、あいにくの雨模様にもかかわらず、出演者50名ほどが集まって、中山競馬場内の馬頭観音碑に上演前のご挨拶に伺いました。
 大きな碑にはすでに花も添えられていました。雨に濡れる碑に持参した水をまき、買ってきた花と北海道産のニンジンを添えて、公演の無事成功と安全とを祈ってきました。
 競馬場の外周路をグル〜っと回ると地元の馬頭観音碑があります。こちらは江戸時代から続く観音碑で、地元農家と馬とのつながりの深さがうかがえます。
 それにしても競馬開催中でもないのに、結構な数の人が通ってきてるのに驚きました。場外馬券場になっているのですね。福島でのレースの実況中継を見ながら、皆黙々と新聞にチェックを入れたり馬券を買ったりしてました。
 出演者の一人が試しに買った誕生日の数字の馬券が当たったとかで、ラッキーストライクとはこのこと、一生分の運を使い果たさなきゃいいけど。

 10日(日)は一転して暑い熱い稽古となりました。歌と踊りの基本形はだいたい身についたかと思えて、これからは歌と演技とダンスとが絡み合ったシーンごとの稽古になっていきます。
 市役所からAEDを借りてきました。高齢の俳優さんたちのもしもの時の対策だと表立った理由を挙げましたが、実は僕自身のためでもある。それほど暑い稽古場なのです。

 12日(火)の昼間、いちぶんネットのハクナマタタ事務所で、サラ飯会をやりました。
 ハクナで働く人と都合のついた理事15人ほど(+ハルちゃんの3月目の赤ちゃんの大輝)が、ヨッシー特製カレーライスをおいしくいただきました。具のニンジンはもちろん馬頭観音に奉納したのをもらい下げてきたもの、去年のハクナの活動風景をDVDで鑑賞しながらの息抜きのひと時でした。次回はいつになるかわかりませんが、こういう機会もあっていいでしょう。次回もやっぱりヨッシー特製のカレーライス。ルーの配合にちょっとした変化を添えて…。
posted by ヨッシー at 16:59| Comment(0) | 第8回市民M

2016年07月04日

暑い熱い稽古場紹介!

 2日(土)3日(日)の稽古場はなんともすざましい暑さだった。
 お借りしている生活クラブ生協ベイセンターは市川インター近くの倉庫だ。土日は基本的に営業がお休みなので、2階のだだっ広い倉庫部分を生協の社会貢献事業の一環でお借りできているわけだ。市川市文化会館大ホールの実寸が取れるという貴重な広さがあるので、前回から、そしてその後の僕の関わるお芝居作りの稽古場として貸していただいている(感謝!)。
 内部は、冷房がかかる会議室が1部屋。貴重な演技や合唱の稽古場兼休養室となる。もう一部屋が大きな倉庫、すなわち大稽古。こちらは空調設備なしなので、3方の窓を全開しても、夏は暖房?冬は冷房付き?と疑うばかりの効果的で刺激的なまるで修道場のような稽古場となる。
 午前中、大稽古場で2時間も歌って踊ってした子どもたちの顔は真っ赤だ。休憩!の声で一斉に冷房付きの稽古場に飛び込む。水を飲む。お菓子を食べる。おしゃべりが始まる。それまで合唱の稽古をしていた大人たちは仕方なしに涼しい場所を明け渡す。
 午後からは立場が逆転、今度は大人たちの灼熱の稽古が始まり、また最後には全員合同の稽古で終わるという訳だ。
 途中30分の昼食休憩がある。みんなでお話ししながらひと時を過ごせる楽しさがありながら、1日にペットボトル2本以上の水を飲む。大きな扇風機が何台か大回転してはいるが、稽古中に大勢のボランティア保護者がうちわであおいで風を送る。来週からは市からお借りするAEDを設置して万全を期す予定。
 しかし、この稽古場のおかげでどれほど能率のいい稽古ができることか! 本来はホールに入ってから念入りな舞台リハーサルを繰り返して本番を迎えることが必要なのだが、日本中どこを探してもそんな贅沢をしている団体はない。何せわが日本ときたら、教育・文化予算比率は途上国以下の有様なのだから。
 という訳で、貴重な稽古場で稽古できる喜びを熱く暑く厚く篤く噛みしめながら、毎週土日の稽古は続く。
posted by ヨッシー at 17:10| Comment(0) | 第8回市民M

2016年06月06日

市民ミュージカルの稽古場から

 実行委員長に松丸隆さんが就任された。その名の通り古くからの市川の住人で若宮郵便局長、義父さんが善次郎という名前で、前回のミュージカルを伴に見て感動されたという。稽古場にはボーイスカウトの制服で訪問され、市長や文化振興財団副理事長との懇談も軽やかにこなされ、気さくでフットワークの軽い方だ。
 第1次配役が発表された。配役発表という時間は常に緊張を強いられるものだ。間違った選択をしたら作品に直接影響するし、他人の受かる落ちるを決めることもかなりつらい。こういう時は時間をおかず、役者の表情を見ず、一気に発表してしまうのがコツだ。
 昨日から、合唱の音取り(譜面を正確に読み取ること)を3つのパートに分かれて稽古するようになった。指導者が3人いるからだ。その能率の良さに驚いた。今回の合唱の成果に期待する。
 初演の舞台記録DVDを観ていると、何かにつけテンポののろさが気にかかる。学芸会のような演技もだ。そういう時代の雰囲気だったのか、そこまで表現できずに終わったのか、今回はこれを超えてみせる。シビアに厳しく稽古していこうと思う。
 ところで、メールアドレスの変更をできないままフェースブックをチェックできないでいる。メッセージを送ってくださっている方々、ごめんなさい。でも考えてみたら、生きていくのにほとんど何の影響もない。SNSなんて所詮そういうものか、それともやはりどこかに影響が出るものだろうか、少なくともこんなものに依存してしまうという気が知れない。
 最後に、1日、いちぶんネットのシェアスペースniwa-niwaが京成本八幡駅から徒歩3分の菅野1丁目に本格開業した。ここで何を展開していくか、毎月2回ほど金曜の夜に集まって、皆で飲みながらワイワイガヤガヤおしゃべりしながら企画を貯めていこうと思う。皆さん、楽しんでください!
posted by ヨッシー at 09:57| Comment(0) | 第8回市民M

2016年05月10日

夏の光2016 キックオフ!

 市民ミュージカルの稽古が始まりました。
 すでに5月の段階で、稽古場内はちょっと動いただけでジワ〜ッと汗ばむ気配、この先の暑さが思いやられます。3名ほどの有資格者で救護班を結成して対処するけど、熱中症などにやられないで、全員が舞台で花咲かせるのを願うばかり。
 さて、まだ連休を楽しむ人も多いのか、稽古場に集まったのは100名ちょっと。でもみな一様に緊張と期待とをにじませて、いつものように初日のこの緊張感は何とも気持ちがいい。
 「みんなで楽しく稽古場づくり」と、ベイセンター2階倉庫の床を掃き、リノシートを敷きつめて空ぶき。テープ貼りのちょっと丁寧な作業になると子どもたちは置いてきぼりになるのが気になったが、まずは2時間の予定内で終了。
 キックオフのゲームで交流を深めて、最後はオーディションダンスに挑戦して初日は終了。
 二日目は、演技・歌唱・ダンスの3部門に分かれて恒例の配役のためのオーディション。小学生高学年の表情がいいね。そしてやっぱり男が少ない。日本の男は小学4年生の頃から、「男らしい」スポーツの世界に押しやられちまうんだろうね。見学してた男の子は「サッカーがあるから」と出演しないそうだが、何とも興味深げに稽古風景を見つめていた。おいで、おいで、ミュージカルは楽しいよう〜と、みなが周囲から猛烈な周波を送ってたようだが、効果は如何に?
 翌日、さっそく配役表を埋めていった。スポッとはまった役どころもあれば、どうにも埋まらない役がある。出演者が少なすぎるのか? 困った。特に、もっと男が欲しい。小さな男と若い男が!
posted by ヨッシー at 09:59| Comment(0) | 第8回市民M

2016年05月04日

芸の力

 29日、花柳一門の発表会を国立劇場に観に行った。
 日舞ワークでお世話になっている花柳錦女さんを始め、人間国宝級の踊り手・唄い手・演奏手の伝統芸を堪能した。今の日本にどれだけの伝統芸が生き残っているか。唄われる日本語はほとんど意味不明。悲しいかな、現代英語とシェークスピア語との距離以上があるのじゃないか。
 それでも『芸の力』とはすごいものだ。舞台上の5,5投身の婆様たちがほんとにお姫様やお女郎に思えてくる。技術的にも興ざめする瞬間がないから、観客として表現の奥へ奥へと分け入っていける。想像力がいや増すのだ。
 3日、グリーンスタジオの荷風忌で長浜奈津子(俳優座)さんの一人語りを堪能した。
 僕の好きな荷風の「濹東綺譚」の一節を三味線入りで語ってくれて酔わせた。地声がいい。ゆったりと聴き手の心にまで届く声だ。芸の力だ。お雪の声は僕のイメージとは違ったけれど。
 さて、7日から市民ミュージカルの稽古が始まる。
 子どもからお年寄りまでの3世代のアマチュア俳優たちとのお付き合いも15年を越える。「みんなで楽しく」をモットーに表現の喜びの原点を追求してきた。そこからさらに高い地平へと旅立って行った若者もいる。
 ここは『芸の出発点』なのだろう。面白いと気づくことからすべてが開いていくのだ。何ごとも突きつめていけば楽しさばかりでは終わらない。壁をいくつもいくつも乗り越えて、楽しさの中身がどんどん変わっていく。その地道な努力の繰り返しが芸の力となる。
 芸に何の関心もなければどうでもいい話だが、僕は今の時代こそ芸の力が大切だと思える。
 到達点の見えない長い長い芸の道…その出発点にまた新しい人たちが並ぶ日がやってくる。
posted by ヨッシー at 12:01| Comment(0) | 第8回市民M

2016年04月21日

どこへ行く日本?

 いきなり井上ともやすさんの歌みたいないい方になって恐縮だが、熊本での地震がもう1週間も続いている。 一向に収まらないどころか、震源地が断層帯に沿って移動していく可能性もあるとか! 日本中のだれもが、この先どこでどう大きな地震へとつながっていくのか、戦々恐々とした予想図を描いているに違いない。
 気になるのは避難所などで怯えて暮らす子どもたちだ。小さな魂にどれだけのストレスが襲いかかっていることだろう。人間追いつめられれば善人ばかりではいられない。自然に対する恐怖と人間に対する恐怖が入り混じって、子どもたちを苦しめることになるだろう。考えただけでも涙が出る。
 劇団JAMBOの稽古をしていて、劇団員たちが皆熊本を心配し、同時に稽古に夢中になっている。避難所の子どもたちにもこういう遊びを楽しませてあげたいと願う。ずいぶんな気晴らしになるだろうに。
 他人の苦しみを自分のものととらえるチャレンジドたちの敏感さには本当に驚かされる。せめてみんなで募金活動をしようと思う。
 ところで、市民ミュージカルの出演申し込みが、まだ100名に行かないそうだ。
 身勝手な心配ともいえるし、熊本の人たちには申し訳ない気分もあるが、だからこそ、こういう活動でまた人間の楽しさ素晴らしさを味わいたいのだ。何もかも恐縮してしまったら人間である喜びまで消えて行ってしまう。
 稽古初日は5月7日(土)、もう一声出演の呼びかけをお願いしたい。
posted by ヨッシー at 12:46| Comment(1) | 第8回市民M

2016年04月11日

いちかわ市民ミュージカルと赤レンガ @

 2年に一度のいちかわ市民ミュージカルがいよいよ5月から稽古開始だ。
 第8回公演は「夏の光2016〜空に消えた馬へ〜」。
 作品と市川国府台2丁目の旧千葉県血清研究所跡地にある赤レンガ建築物との関係を整理しておこう。
 今年1月、年頭の記者会見で、市川市長が「行徳の野鳥観察舎と国府台の赤レンガの保存を県に要望する」と表明された(両方とも所有者は県)。
 私は、赤レンガの保存を求めて2009年に結成された「赤レンガをいかす会」の代表をしているが、この間何の反応もなかった行政側の突然の保存表明に大いに驚かされた。
 昨年、赤レンガ冊子を発行してかなりの評判を呼んだ。行政を始めあちこちの関係者に読んでいただけるよう手配した。その活動が成果を発揮したのかもしれない。

 いちぶんネットの代表、市民ミュージカルの作・演出家、いかす会の代表と肩書をそろえた私だから、その組み合わせを好き勝手に楽しませてもらおうと思っている。
 その第1弾として上演したのが一昨年の7回公演「月の雫〜市川イーハトーボ物語〜」で、赤レンガに居つく怪人という形で赤レンガそのものを描いた。この時は市民に赤レンガを知ってもらいたいという明確な目的があった。その後の冊子発行につづいて、今回の第8回公演では、赤レンガの保存と再生を願うミュージカル第2弾!と位置づけた。
 2006年の第3回公演で「夏の光〜空に消えた馬へ〜」を上演した。
 出演者300名と大ホールの大セリを駆使しての壮大な舞台だった。内容は省略するが、戦時下の中山競馬場での馬と中学生の悲劇を描いた。千秋楽のカーテンコールで、客席の後方を馬の群れが走り去るのを何人もの出演者が見たとのことだった。
 少年松丸善次郎の家で飼われ愛した「朝風」も殺された。戦争は終わり、少年善次郎は成長して戦後に誕生した千葉県血清研究所に勤めるようになった。平和と健康のためにワクチンを役立てたいと願い勤勉に働いた。その敷地内の薬品倉庫と休憩室を兼ねた建物が赤レンガ建築物だった。
 市長の保存表明を聞いた、今や後期高齢者となった善次郎が、血清研当時の赤レンガをしのび、そして少年時代の悲しい出来事へと回想を深めるという筋書きになっている。

 まさに赤レンガがらみだが、私には明快な夢のこだわりがあるからだ。
 赤レンガがどういう形で保存されるかはまだ未知数だが、私にはある。私は今は廃墟となっている血清研の跡地を「国際交流をめざした障がい者芸術センター」にしたいのだ。とん挫した「国際ユニバーサルアートタウン」構想の巻き戻しだが、今後おそらく発展していくだろう障がい者芸術活動を国際的に発信する一大拠点をそこに築きたい。市川市が本気で乗り出せば世界中にその名が知れ渡るだろう。それくらいの文化戦略が市川市にほしい。ただの市民芸術ではない、障がい者芸術に特化することが大切だ。
また熱い長い稽古が始まる。
posted by ヨッシー at 14:14| Comment(0) | 第8回市民M

2016年03月10日

思いが竜巻のように!

 4日の会議で、市民ミュージカルへの準備がバタバタして、「このまま突き進んでみんなが燃えるか?」という気分が広がった。
 「地元の市民ミュージカルに協力してほしい」と声をかけられたのが2000年夏。以来16年が過ぎた。楽しい面白い、そして僕やみんなを成長させてくれた活動だった。存分にやってきた。いつやめてもいいが、まだまだ続くだろう。でも当然のごとくいろいろな問題点も浮上してくる。
 という訳で、急遽声掛けを広げて6日、「みんなの思いを出し合う会」を開いた。さすが、久しぶりに面白い話し合いとなった。これが「話し合う」ということだろう。一人ひとりの口から出た思いが竜巻のように一つとなって浮上していく。(市民ミュージカルとはなにか?)がみんなの中に納まって、「夏の光U」として第8回公演に取り組むことになった。
 いい訳じゃないけど、もっと以前からすんなりと事が運んで公演体制に入っていたら、こんな新鮮な気分で向き合えたかと、ちょっと怖くなった。
 「ヨッシーの後をついていけばいつも何とかなる」とかつて言われた。「そろそろ後継者を探さないとね」と今は言われている。その通りだ。僕も背負い込むのをやめて、どんどんみんなに振っていこうと思う。4日のような話し合いが創造の原点だろうと思う。
 さて、「夏の光」を読み直す。長いがすごい迫力、脂ののった作品だ。
 こいつを今に合った作品に再生して、7回公演の「月の雫」と合わせて、市川市長が表明した「赤レンガ保存」を盛り上げる公演にしたい。これが僕の再演の動機だ。
posted by ヨッシー at 10:13| Comment(0) | 第8回市民M

2016年03月05日

前に進むために!

 どうもうまくいかない事態が続く。
 市民Mで書き続けていた「幸田露伴記」なるもの、一幕を書き終えてさあ次をといった段階で、モデル上演と著作使用の許可を申請していた露伴さんの著作権者から「応じられない」との返事がきた。
 驚きだがどうにもしようがない。中断だ。
 今から別の新作に取り掛かっても、曲作りや稽古がどんどん遅れていくだろう。再演か、いちミュー文化祭への振り替えか、延期か中止か、しか選択はなくなったかもしれない。僕の責任だ。申し訳ない。
 実行委員(まだ準備委員だが)に集まってもらって4日夜協議した。事前にメールで意見をくれた人もいたが、集まったのは10人。全体に動きが遅れているし、今回離れていく人も多い。いろいろな意見が出た。浮かび上がったのは、実行委員という任務が大変しんどいこと。前回どんなに大変な思いをしたかを涙にじませて語る人もいて、そう簡単には再演といえないという結論に達した。
 もっとみんなの意見を聞きたいという。思いをぶつけあいたいという。この結論をうれしく思う。組織としてまだまだ健康な証拠だ。
 という訳で、早急で申し訳ないが、6日(日)10:00〜12:00 市川公民館第3会議室で、再討議することになった。どういう立場であれ関心のある方はどなたでも参加していただきたい。「いちかわ市民ミュージカルとはなにか?何のためにやるのか?どうすればより価値が高まるのか?」が見えてくれば嬉しい。そこが共感できれば一歩前に進める。
posted by ヨッシー at 10:35| Comment(0) | 第8回市民M

2016年02月16日

諦めました!

 前回の発言の早速の修正です。
 次回市民ミュージカルに上演しようと、ここ数カ月向き合ってきた台本を破棄した。
 2稿目を重ねても全然変わり映えしない。ドラマにならない。諦めた。
 夜ごと、街のあちこちから、子どもたちの押し殺した悲鳴や叫び、泣き声が聞こえてくる。世知辛い非情な社会のゆがみが子どもにぶつけられる。もはや家庭や学校だけで子育てを実践するのは難しい。「みんな我が子」という感覚で地域みんなで子どもに関心を寄せていこうと、市民ミュージカルで呼びかけたかった。
 でも、あまりにテーマが重い。現実抜きに夢も希望も描けないが、書いている間じゅう子どもの苦しむイメージが浮かんでくる。楽しさを強調する市民ミュージカルの稽古場でこんな重みに耐えられるだろうか? 笑いなりファンタジーなりの創作法で打開できないか? 非才故にその解決法が見つからない。ふと浮かんだ言葉もシーンも自己規制してしまう。書けない理由がそこにあった。このテーマは寝かせて熟酵させることにする。
 諦めて、以前に準備していた素材を復活させることにした。「VIVA!ROHAN!」、市川の名物文豪、明治の頑固オヤジ、幸田露伴とその娘文が織りなすドタバタ喜劇。軽佻浮薄な現代にバシッと一発頑固おやじのビンタを食らわせよう! まあ、これなら書ける。
posted by ヨッシー at 08:05| Comment(0) | 第8回市民M