2013年12月06日

特定秘密保護法案

まさに今、国会で特定秘密保護法案が採決されようとしている。
テレビに映る野党の茶番反対ポーズにうんざりしつつも、これはやはりとんでもない法案だと思うので、僕も反対を表明したい。個人の立場としてです。
外交や防衛など、国家として秘密を保全しなければならない情報など、今ある法律で十分に保全される。アメリカからやいのやいのの催促を受けて、テロ対策や軍事秘密をより強固に保全しなければならないのなら、それこそそれを特定限定して法案を提出すればいい。
今上程されている法案は、この際「なんでも恣意的に秘密にできる」法律にしてしまおうというもの。まさにこれが安部政権の本音だ。民主主義や情報公開や人間の権利といったものにはとんと疎い日本の政府がこんな法律を手に入れたら、原発や地域開発を含めて、「解決スピードが上がる」とばかりに、それこそなんでも秘密を拡大して、どんどん国民の目から隠そうとするに違いない。それも政治家がやるのではない。官僚がやるのだ。日本史上今日まで面々と続く「お上意識」の塊のような日本国家像になってしまう。
残念ながら、我々日本人の権利意識や情報公開原則の意識ほど情けないほどに弱いものはない。今こそ原発反対や憲法9条を守れと弱いなりの声を上げられるが、お上がもっと強引に圧力をかければ、あっさりと沈黙してしまうだろう。先のアメリカとの開戦に向けての動きでも、重要な情報はことごとく秘密にされ、国民は「勝てる」と信じ込まされたまま残酷な結果に動転したではないか。革命の歴史を知らぬ日本人は国家権力との闘い方を身につけていない。再び「黙れ、黙れ、逮捕する!」という日が意外と早く到来する気がするのは僕だけではないだろう。
そして、役人という種族が大手を振って歩き回るようになる予感。国家の特定役人ばかりでなく、その手下も、地方の役所の連中まで、「国民市民の意見など聞かぬ」とばかりに、自分たちばかりで癒着を深めて厚い権力構造を築いていくのは容易に想像できる。僕の中にもある、人間集団の「村意識」「仲間意識」「強いものには逆らわない」がいとも簡単にそういう世界を造れてしまうのだ。
市民活動主義の対極となる特定秘密保護法案、絶対反対!
posted by ヨッシー at 17:00| Comment(0) | 未分類

2013年12月03日

黙祷!

ヒビキが逝った。
いちぶんネットの活動を通して、厚い友情を育んできた仲間の一人が亡くなった。
2013年12月3日 午前9時58分。

昨年の市民ミュージカル「手鞠歌風にのって」に出演して、俳優とのちょっとした接触で転んで腰を痛めた。「そんなことで?」と不思議に思ったが、それが症状の始まりだったかもしれない。仙骨癌、まだ44歳の若さだ。
「見舞いに行く」といったら、「ヨッシーが来てくれる!」と、ことのほか喜んでくれた。「来年の市民ミュージカルに出たい。車椅子でも出られる役を書いてくれ。いつか、僕の書いた戯曲を上演したい」と熱く語っていた。
貧相なあいつには大役は任せられなかった。無口な彼は、それでも与えられた役に必死に食らいついて、いつも熱っぽく膨らまして演じきった。僕のすべての公演に出演しスタッフで参加してくれた。一昨年の「それからのブンとフン」の茶碗役は秀逸だった。「はなれ瞽女おりん」でも彼の役を用意したが果たせなかった。甲高いあいつの声が今鮮やかによみがえる。泣けてくる・・・
大道具を運ぶトラックの中で、始めて長く話した。家族の話、孤独だった過去の話、市川で出会った仲間の噂、女の話・・・無口だったあいつの饒舌ぶりに驚いた。
裏表のない、本当にいい男だった。
危篤と聞いて見舞った一昨日の夜、ひとり残されることになる80歳のお母さんが、「息子にこんなにも多くの友だちがいるのを知らなかった。ありがたいことだ」と驚いておられた。
いちぶんネットがなければ決して出会うことのなかった人間だ。この十年で大切な仲間になった。もっともっと関係が続く、深まると思っていた。

若い人間が亡くなるのはつらい。本当につらい。
「みんな、今を大切に生きて。思い切りやりたいことをやって。面白い活動にどんどん人を巻き込んで、みんなを楽しませて。みんな、友だちになって、楽しい充実した人生をおくって。そういう社会をつくろう」、若いあいつはそう言ってくれてると思いたい。
そのように生きたい。
ああ、ヒビキ! お前を愛している!    黙祷
posted by ヨッシー at 12:43| Comment(1) | 未分類

2013年09月17日

テレビ放送と市民活動

 先週は2回TV放送に出た。
11日、いちかわケーブルTVのニュース番組中の市民告知インタビューに僕が招かれ、「コントdeげき隊!」の活動紹介をさせてもらった。
16日には、千葉テレビのニュース番組の敬老の日の特集で、「演劇に励むお年寄り」というテーマで、「はなれ瞽女おりん」に出演する70歳前後の市民代表としてMさんとYさんの稽古振りが紹介され、最後に僕もちょっと顔を出した。
いずれも5分くらいの時間だが、恥ずかしながら残念ながら僕の顔はテレビ向きではないけれども(では、どこ向きか?)、こうして市民がやってる活動を紹介してくれるのはやはり嬉しい。過去一番大きなメディアではNHKの首都圏ニュースの終戦特集で、第4回いちかわ市民ミュージカルの「夏の光」が放送されたことがある。戦前の中山競馬場でのワクチン製造のための軍馬全量採血という作業に勤労動員された生徒たちの生き証人を取材したものだった。さすがに反響は大きく、その番組を見た方がミュージカルを見に来てくださった。
 TVや新聞に記事が掲載されると確かな反響が起きるものだから、市民活動家はみなニュースリリースなどしてマスコミに働きかける。だが、ほとんど掲載されることはない。いちぶんネットなどは結構話題になる方だ。
 自分たちの活動をより多くの市民に知ってもらうにはどうしたらいいか? マスコミ・ミニコミを利用したり、口コミに頼ったり、インターネットを使った発信に力を入れたり、方法はいくつかあるだろうが、情報発信能力をどう向上させるかは大きな課題だが、残念ながらいちぶんネットの発進力はまだまだ低い。どなたかお力添えをいただけないか?
 とはいえ、基本は、人にしゃべらずを得ないような面白い活動を生み出すことだ。面白くて楽しければ誰かにしゃべりたくなる、見に来て欲しくなる。初日面白ければ、次の日に客数は延びる。それが本質と心がけたい。
posted by ヨッシー at 16:42| Comment(2) | 未分類

2013年05月30日

金 金 金!

相変わらず、高齢者をターゲットにした新手の詐欺商法やだまし犯罪が盛んだ。
都心のビル街のワンフロアーを独占した事務所に通うこざっぱりした通勤者の群れ、そこで朝から晩までノルマを課せられて、「ダメで元々、一人でも引っかかってくれば儲けもの」といった感じで、だましの電話がひっきりなしに掛けられているそうだ。
裏世界や極悪人たちが仕切っているのかもしれないが、現場で必死に電話している連中は金が欲しいだけの普通の人だ。犯罪というよりも「ちょっとやばい仕事で働いている」という、人としての感覚も麻痺してしまっているのだろう。そうやって稼いだ金で、やっぱりその人たちは可愛い我が子の成長を楽しみとするのだろうか?
僕も若い頃、高収入の宣伝文句につられてアルバイトで英語教材のセールスをやった。ちっとも売れないのですぐやめたが、会社では一丸となって必死で売り込んでいた。それは詐欺ではないかもしれないが、若い娘が若い男を捕まえて色気たっぷりに押し売りしているのを見て、この世で働くとはこんなものかと暗い気持ちになって、安い皿洗いの方が気が楽とバイトを変えた。
国の経済成長のために、見えない放射能の危険性には目をつむる・・・自分の取り分を増やすために、他人の悲しみには目をつむる・・・稼げるなら、仕事の中身や影響は問わない・・・たまに手にした贅沢におぼれて、自分が何を大事にしてきたかを忘れる・・・将来の幸せのために塾だテストだと追われる子どもがゲームだけでストレスを発散している・・・そういう生き方を人として悲しいと思う人たち、もっともっと楽しい人生があるのだと笑い合ってる人たちの輪を広げたい。
posted by ヨッシー at 12:45| Comment(0) | 未分類

2013年05月23日

芸人たちの迫力

22日夜、シンガーソングライターの井上ともやすのライブを市川真間に聞きに行った。
井上さんは名倉ゆみこさんの旦那、僕の演出した「がめつい奴」や「飢餓海峡」の主題歌を作曲してもらった縁だが、ライブを聞いたのは始めて。休みなしの2時間近くの迫力と絶唱。各種のハーモニカ、ギター、サンシンを駆使して、「楽譜も見ないでよく覚えて入られるものだ!」「すごい体力だ!」と驚いたのは冗談として、その構成とオリジナルな歌に、フォークとともに生きてきた彼の半生と思いを届けようとする明確なメッセージを織り込んでいたのに感動した。メッセージへのこだわり方が僕と似ている。
タクロウに憧れてギターを始めた高校生が、歌が好きで好きで、どんどんのめりこんで、自分の世界を歌いだして、気がついたらそれを仕事にして生きてきた。派手に売れようが売れまいが、好きな歌を歌えて聞き手に喜んでもらって、それで食っていけるなら人生最高! 「あんたたち、好きなことをやれよ。ありのままの心を表現しろよ」・・・ライブはそう訴えていた。
18日の夜はお笑い芸人たちのライブコントを見た。知ってる芸人はだれもいなかったが、すべってしまう笑いも多かったが、やっぱりその道をよじ登ろうとする芸人たちの迫力を感じた。
プロとアマの違いは食えるか食えないかあるいは食わないかではない。技量もそうだが、何より存在の迫力が違う。覚悟といったものかもしれない。
いい夜だった。いつかいちぶんネットで井上ライブをやろう。フォークソング酒場もいいかもしれない。
posted by ヨッシー at 10:03| Comment(0) | 未分類

2013年01月10日

新年明けましておめでとうございます

 今年は、いちぶんネットが誕生して11年目、NPO法人化して10周年目に当たります。
 おかげさまで、いちぶんネットは確かな成長とともに存在感を示しています。これもひとえに一緒に楽しく活動してくださった皆さん、ご支援くださった皆さんのおかげです。心から感謝申し上げます。

 本当に、驚くべき数の人たちと出会って、ともに創造して、感動を分かち合い、「ありがとう」「よろしく」と言葉を交わしてきました。新しい生きがいを見つけた人も、独自の市民サークルもドンドン生まれていきました。そして、僕個人もいろいろな活動に手を染めて行きました。市民文化プロデューサーとしてのこの間の活動に満足してはいますが、元々「面白がって」始めた活動がスケジュール闘争(懐かしい言葉!)的に次々にこなしていかねばならない活動に変化してきていることも否めません。体力も創造力も落ちてきています。組織としてのいちぶんネットもまた然りでしょう。当たり前のことですが、10年という歳月とはそういうものなのでしょう。
 ただひつ筋の道をじっくりとその人なりに完成していく人生・・・あれやこれや興がのるままに世界を広げていく人生・・・まさに人それぞれですが、僕は人生設計を10年ごとに検証しようと心がけてきました。何事につけ飽きっぽい僕の性格を自覚して、「10年を節目に」と行動する癖がついたようです。
 
さて、もういつ突然この世をおさらばすることになるかも知れぬことを自覚しながら、これからの10年で何をしていくか、じっくりと腰を据えて探っていきたいと願いつつ、実はこの年末年始、あまりにもいろいろな緊急課題が押し寄せてきてちょっと悲鳴を上げています。でもその課題の中から、とんでもない宝物が出現するかもしれません。そう期待して、今年も極力いらだたないように活動していきましょう。
 
今年もよろしくお願いします。
posted by ヨッシー at 12:39| Comment(0) | 未分類

2012年12月25日

華やかさも大事

 今年最後のチャレンジド・ミュージカルの稽古。
いつもより半月ほど早く演技の稽古に入って、ほぼ順調に進行しています。1日5時間ほとんど休みなく激しい稽古を重ねる子どもらのエネルギーにはほんと驚かされる。学校ではおそらくこうではあるまい。遊び心だからこそやれるんだね。創造の本質です。
ちょっとしたクリスマス会にも子どもたちは大喜び、そして関わる大人たちのなんという優しさ。いざ立場が変わったらそんな優しさなど吹き飛んでしまうのもまた人間だろうけど、やっぱり優しさに包まれた社会ってステキだよね。僕自身も彼らを前にしては人間が変わってしまう。

 稽古を早退して、市川バレエ協会の公演「くるみ割り人形」を鑑賞。久し振りの華やかなバレエを楽しんできました。加藤、伊原、松藤、根岸氏といったいちぶんネットの関係者もどういうわけか出演していて、貴族の身のこなしも鮮やかに社交ダンスを踊っていたのには笑わされました。
 市民バレエとはいっても市民(子ども)は端役で主役はプロが占めるという僕の舞台づくりとはまずかけ離れた発想だけど、きびしい修練を蓄積して始めて成り立つバレエ世界ではそれでいいのかもしれない。
 だれもが自由にのびのびと楽しむ芸術活動と、一部の選ばれた(生き残った)者だけが表現しえる世界が層を成してこそ、芸術と文化の底深さが生まれるんだよね。各地の文化遺産も、民衆の苦しみを他所に時の権力者どもが贅を凝らして建設したからこそ今僕らは洗練された文化として堪能できるし、逆に押しなべて平等という状態からは大きなものは生み出されないのかもしれない。なんとも複雑な気分だけど、華やかさや洗練さや贅沢な気分というものもたまには大事だと思います。
posted by ヨッシー at 08:47| Comment(1) | 未分類

2012年12月01日

犬はコタツで丸くなる

我が家の愛犬を紹介します。
名前はチャビ。一昨年癌で亡くなった愛しいプー・スピルバーグについでの二代目、今年の7月に我が家に来た、ちょっとシェパードが入ってるかと思う雑種の一歳です。
動物愛護のNPO団体から貰われてきました。保健所で殺される寸前の母子だったらしくよほど怖ろしい幼児体験だったのか、ともかく臆病。最近ようやく慣れた散歩でも、子どもが怖い。大人が怖い。自転車が怖い。車が怖い。他の犬は怖いけど気になる。猫や小鳥には興味津々。ともかく恐怖から逃げまくるものだから、リードを引きづられてこちらの運動にはなります。
こいつを見てると子どもの虐待やいじめがどんなに後々の成長暦に影響するかをじかに見せ付けられる思いです。人間の児童虐待やいじめをなんとしても防がなくちゃと決意を新たにさせられます。
食べ物に対する執着がスゴイ。施設にいた犬の共通点らしい。女房に甘えきっています。甘噛みという手法で甘えかかるものだから、悲鳴とともにいつも叱られています。僕とボールの奪い合いをしても決して離しませんが、牙がずれて指に突き刺さることの痛いこと。芸もすぐ覚えて、前の愛犬と比べてもなかなか賢い犬ですが、嬉しくても尻尾を振らない犬です。座りションベンする雄です。ナイスバディーです。
 そして、奇妙なことにコタツの中が大好き。勝手にもぐりこんで人間の足の間で眠りこけています。熱くなると外へお尻を出したり顔だけ出したり、時にはサウナに入った後みたいに廊下で身体を冷やしています。♪犬は喜び庭かけまわり 猫はコタツで丸くなる という歌とはまるで逆。
 ちょっと甘やかしすぎかなとも思うのですが、心の傷が癒えるまではまあ好きにさせておこうかと思います。
posted by ヨッシー at 11:01| Comment(1) | 未分類

2012年11月26日

あれやこれやの報告

 シニア劇団波瀾ばんばん座公演「飢餓海峡」は立ち稽古に入った。長い台詞を必死に覚えてきたり、ト書きに裸と指定されていることにオロオロしたり、二十代の女を演じることに一喜一憂したり、何かと話題豊かで楽しい稽古だ。「シミーズ姿になったら、亭主から辞めろといわれてしまう。劇団を続けていきたいから何とか工夫してくれませんか?」と相談されて、僕はなんと答えたらいいのだろう。苦笑しつつも、俳優たちの心身がどんどん若返っていくことに驚かされる。
 消費者啓発劇団「コントdeげき隊!」の出前公演は順調に進行している。どうやら目標の20ステージは越えそう。休日活動組の出番がなくてかわいそうだが、目の前の観客と向き合ってきた俳優たちの成長振りに「観客が俳優を成長させてくれる」という演劇の醍醐味を感じる。感謝状まで届いて団員一同満足そう。この先ファンレターが急増したらどうしよう?
 24日の赤レンガ見学会には、曇天下150人近くが来てくれた。一向に保存の方向性が見えない中で、管理者の県や県議会に訴えていくことの重要性を改めて認識し直すいい機会となった。久し振りに再会した赤レンガ倉庫は急に劣化が激しくなった気がする。注目されない悲しみは人も建物も同じだ。新規まき直しの方策を探っていきたい。
 チャレンジド・ミュージカル「大好き!」の稽古ではカツゼツ訓練の成果が出始めた。喉からほとばしる音が声になり、意味不明の声が内容を聞き取れるようになっていく。みんなが好きなリズムに乗せて言葉が身体が躍動する。イケメンとブサメン、美人とブスのグループ配役を断行。文句の出ないようにクジで決定したが、それでも泣き声が漏れた。いつもながらのことだが、配役という作業はほんとにしんどい。
 風邪が治りきらないまま毎日出歩いて稽古して飲んで、夜中に胃が焼けるように痛み出した。すぐ癌か?と疑ってしまうのは老体の証拠か。大田胃酸を買って飲んだら何とか落ち着いた。胃酸過多らしい。

posted by ヨッシー at 15:39| Comment(0) | 未分類

2012年10月01日

「コントdeげき隊!」 結成!

18号台風が今にも襲いかかろうという気配の30日(日)、消費者啓発劇団「コントdeげき隊!」の結団式がありました。総勢30人で出発です。
自己紹介で参加者からも詐欺被害のさまざまな体験報告がありました。「俺、00だけど、父さん!」と呼びかけられた瞬間、息子が「父さん!」などという呼びかけをするはずがないと見破った体験、うまうまと何十万円もする教材を買わされた体験・・・果ては「帰りの切符代がないから」という寸借詐欺から、電話勧誘詐欺の一員に組み込まれていたという加害者体験!まで披露されました。
僕自身もコント台本を書くためにいろいろ調べていてビックリです。何とさまざまな詐欺があることか! とても並べ切れないさまざまな詐欺の形態・・・結婚詐欺や法律的には詐欺罪に問われない大型利殖商法までを含めれば何兆円という市場になっているのではないでしょうか。GNP(国民総生産)の数字に反映されているのかしら?
これから血気あふれる30人の戦士が善良なる国民を守るために悪の集団との戦いに立ち上がります。武器は笑いです! とはいうものの、みんなで台本の初読みをしましたが、事態の深刻さを考えれば身につまされるばかりでそう笑えるものではない。簡単にだまされてしまう人たちを馬鹿にできない。そこには子を思う親の心情や不安を免れたい人間の幸福願望などが色濃く投影されているからです。
まあ、「活動を面白がる」ことが第一でしょう。これまでやってきた演劇づくりから飛躍して、現場性に依拠した即興的な演技をものにして、浅ましくも滑稽なまさに人間性あふれる詐欺犯罪の攻防を笑い飛ばしてみたいものです。
でも、僕は考え込まざるを得ないのです。世の中の小物が必死に生き延びるためにさまざまな詐欺を繰り返して警察が追っています。でも、お金最優先の資本主義という社会では、もっと大きくて巧妙な詐欺が公然と活動していて、世界中の庶民から収奪と搾取を繰り返しているではないか! ようし、我ら30人の戦士は世界の99%の被搾取者のために闘うぞ! なんてね。いえ、これも笑えないコント。
posted by ヨッシー at 08:52| Comment(0) | 未分類

2012年04月02日

お知らせのいくつかNO2

1日(日)、ヨッシー演劇教室の成果発表会「動員挿話」が、本八幡地域ふれあい館にて行われました。
会場は50人ばかりのちょうどいい数の観客が集まってくださって、二場50分の舞台を楽しみました。
平日夜間2時間半の稽古を15回+休日の自主稽古2回で作り上げた舞台は思いのほかの上出来で、演技とはコミュニケーションであるという根本が確認でき、参加者の達成感も十分でした。秋にはまた演劇教室を開催します。もっと工夫してじっくりと取り組みたいと思います。ご期待ください。

7日(土)から、チャレンジド・ワークショップ2012が始まります。今回は年賀寄付金助成をいただけて、4年計画でチャレンジド・アーツ・センター開設に向けた取組へと展望を開いていきたいと思います。今回は僕も演技を担当します。「台詞に感情を込める」という課題を参加者とともに楽しみたいと思います。まだ募集中です。

いよいよ第6回いちかわ市民ミュージカルの出演者募集が本格化します。今の最大の課題は広い稽古場の確保。競争率が激化して、小さな部屋をいくつかしか取れない稽古日もあります。稽古の分散化などいろいろ工夫を強いられています。もう一つは、市川には演劇公演にふさわしいホールが極めて少ないという現実、ホールあってこその演劇文化、くやしい現実を何とかしたいものです。

当面の事務局長に座ってもらった北川さんが緊急入院しました。このところの多忙さと心労が原因かと後悔していますが(心よりご回復を祈ります。ゆっくり静養してください)、年度末と明けのこの時期は法人の事務処理が複雑で多忙を極めます。新米の事務局員二人では無理な仕事で、事務処理の苦手な僕が代わりを担うのかと思うとゾッとします。
posted by ヨッシー at 08:42| Comment(0) | 未分類

2012年03月05日

オーイ、だれかあ!

いちぶんネット事務局長の萩原友紀さんが3月半ばで退職します。
彼女はこの5年間、フラフラユラユラするいちぶんネットの事務的中心で、大きなお尻をどっしりと据えて、大いに活躍してくれました。本当に優秀な人で、薄給に甘んじながら僕の一言を膨らませて事務仕事に反映させるばかりでなく、多くの若者たちの面倒や相談にも気さくに対処できる存在でもありました。夢ともホラともつかぬ世迷い事をぶち上げるばかりの僕に、正面から堂々と批判もできる数少ない人材でもありました。
その人が、成長する三人の子どものために家計を構築する目的と本来の希望である保育の仕事を担うために退職することになったのです。いちぶんネットにとっては大きな痛手ですが、当然これからの再出発を大いに祝福したいと思います。
というわけで、その後釜となる人を探し回っているのですが、まだ見つけられずにいます。
オーイ、機転の効いて、他人の悪口を言わない、口よりも手足が先に動くような人、かつ薄給に甘んじられる人、何より市民芸術文化活動を本気で好きな人、どこかにいませんか?
もちろん、これまで楽しい活動にまい進してきたいちぶんネットのことですから、そういう人は沢山います。でも、優秀な人たちだからみんな手放せない仕事や活動を抱えていて、「手伝ってもいいけど、中心にはなれない」という方々ばかり。
さすがに焦ってきました。まだ見落としている人がいるかもしれません。給与以外の勤務条件なんて何とでもします。
オーイ、どなたか、いちぶんの事務局を担ってくれませんか?
posted by ヨッシー at 14:29| Comment(1) | 未分類

2012年02月29日

白昼夢?

久し振りに風邪で寝込んでしまいました。
僕の場合はまず大腿が冷えて、水洟が止まらなくなって、微熱になって、咳が出だして、寝込んでしまうというのがいつものパターン。情けないのは以前は一日も寝ていれば治ったのに、回復に何日もかかるようになったこと。
「疲れが出たのだろう」と、これを幸いいろいろな用事や稽古をサボって、布団の中でコタツの中で読書三昧の生活をしていましたが、コタツの中でうつらうつらと惰眠をむさぼっていた時のこと・・・
突然、あれやこれや、今手がけねばならない大きなものから小さなものまでの用事の断片が一気に十幾つもの箇条書きになって襲い掛かってきました。それもほんの数十秒。アアッー!と叫んで呆然としている自分の姿まではっきり見えてきます。こういうのを白昼夢と呼ぶのでしょうか?
もう眠ってはいられません。といって立ち上がる気力もなく、混乱した気分のまま「もういいや!」とまさに人生を諦めたような感覚で、また枕元の小説を取り上げて時が過ぎるままに打っちゃってしまいました。
手をつけねばならない用事が山積しているのです。こういう時、ひとかどの人物なら一つひとつ手をつけて解決していくのでしょうが、卑俗なる僕はふてくされて終わってしまいます。どこかぼんやりと回転の効かなくなった頭は風邪のせいだけではないでしょう。なんだか自分が情けなくなって、また不貞寝してしまいます。
さすがにもう行動を起こそうと気分を改めたら、今日の雪。またサボる理由を見つけてしまいました。
あれあれ、なんとも意味のないノートになってしまいましたね。ごめんなさい。
posted by ヨッシー at 12:30| Comment(1) | 未分類

2011年12月20日

取りとめもない話ですが・・・

中山法華寺の近く(本北方という町名でしょうか?)に中山ゴルフ練習場があり、その隣りに広大な倉庫が貸し出し中です。
中は体育館並みの広さ、市民ミュージカル規模の練習はおろか、そこで公演も打てるという壮大な広さの鉄骨プレート張りの別棟事務所付きの貸し倉庫です。
料金を聞いてみると月80万円。ウフェーッ! 値引き交渉も可能ということですが、この広大な施設を「市民芸術センター」として有効に活用運営するグランドデザインはないものか・・・?
もう何年も「拠点確立」のオダを上げ続けていますが、一向に実現の可能性は生まれません。情けない!
今年も年末ジャンボの当たりに期待するばかりです。

こちらでバタバタ過しているうちに、郷里の100歳の母が転んで大腿部を骨折、放置して寝たきりになるよりは手術して早目にリハビリに入ったほうがいいだろうとのことで、手術を受けました。
一回り年上の姉がガンで入院という知らせも飛び込んできました。
嫌なことは続くもの、僕らの年代は特にこうした身辺の病気や不幸が押し寄せるものです。見回してみると、退職してさあこれから自由な生き方を楽しもうとした人たちが、さまざまな状況の変化に飲み込まれて、挙句に鬱になってしまう人が結構いるのだと気づきました。
現代は鬱の時代とも呼ばれます。気にすればすべてが鬱を生む原因に取り囲まれているようなもの、何でもかんでも自分の責任と背負い込まないで、適当に無責任に生きるしかないのでしょうか?
自分勝手、無責任男と批判され続けてきた僕ですが、さすがに母が可哀相。というわけで、3日ほど帰省します。
posted by ヨッシー at 01:07| Comment(301) | 未分類

2011年10月25日

12周年記念公演「いちかわ市民ミュージカル」

昨夜、来年の第6回いちかわ市民ミュージカルの実行委員会準備会がありました。
まず決まったのが、実行委員長代行に買場都明さん。
ついで、作品の内容。
来年は市民ミュージカル創立12周年、市民の力でよくも持続・発展してきたものだと思いますが、そして名実ともに「日本一の市民ミュージカル」だと自負しても間違いではないと思うのですが、一方では、年々増額する制作予算、広い稽古場の確保の困難さ、大人参加者の増加の一方で子どもの参加数の減少、公演目的の希薄化や参加者意識のばらつき、などさまざまな課題も浮かび上がっています。
このあたりで一度「いちかわ市民ミュージカルとは何であるか?」を検証し直すために、過去の作品を再演することになりました。
というわけで、皆さんの再演希望作品を伺った所、最終的に第1回公演の「いちかわ・真夏の夜の夢」と第2回公演の「手鞠うた風にのって」が同数になりました。
第1回公演は、演技経験もなかった市民が緊張のまま初めての舞台を体験した、まさに市民ミュージカルの出発点となった作品。その後段々と色濃くなっていく作者のメッセージ性よりファンタジーの素朴な面白さがあり、音楽も秀逸だったという評価があります。
第2回公演は、宮久保の袖掛けの松を素材にして、市民ミュージカルが「わが街市川を常に素材にして、市民芸術文化活動をまちづくりにつなげよう」と目的を明確に定めることになった作品。最後の狐の嫁入りのシーンが圧巻でした。
最終的には演出者である僕が選択することになりましたが、改めて、一人一人いろんな思い出と絡み合って、作品は記憶されていくのだなあ、そういう作品は幸せだなあ、と思いました。
皆さんはどちらの作品に思い入れがあり、またもう一度再演したいと思いますか?
もちろん、改訂決定版を目指して、すべてを新しく創り変えていくことを前提とした上ですが。

posted by ヨッシー at 19:37| Comment(4) | 未分類

2011年10月05日

みんなに感謝!

1日(土)は「それからのブンとフン」の稽古。2日(日)はチャレンジド・ミュージカルの稽古。
この二つを見比べると大きな違いを感じる。出演者の「やる気エネルギー」の発散の仕方がまるで違うのだ。「それからのブンとフン」の出演者にやる気がないということではないことを確認した上でのことだが、ともかく違う。驚くべき違いがある。

チャレンジド・ミュージカルの稽古は二日目。今回ほどみんなの成長振りを感じる再会はない。なんだか急に成長してしまった錯覚すら感じる。ストレッチの際に、男の子の一人ひとりとあいさつを交わしていった。何のことはない、何度も付き合っているくせにすぐ忘れてしまう名前を確認するためだ。ちょっとした会話に嬉しそうに言葉を返してくれる子どもたち・・・「あなたはだあれ?」のインタビューを長めにやってもらった。生き生きと自分を紹介する子どもたち・・・健康増進のために、新曲を一緒に歌い踊った。いつも演出席から無様に踊る大人たちを馬鹿にして見ていた僕はやっぱりついていけないのに、子どもたちはすぐに覚えこんでしまう。何度も何度も嬉々として繰り返している・・・
稽古場の子どもたちは「やる気」をそのままにさらけ出している。嬉しくて楽しくて仕方ないという表情を全身に浮かべている。まさに「今を楽しみ、今を生きている」。稽古場が非日常的な真の創造の場と化している。そして、僕に「どうして今を楽しまないのだ!」と突きつけてくる。
本当に、何故「今」を楽しもうとしないのだろう?過去を悔やみ未来を恐れて、何をくよくよと迷っているのだろう?あれやこれやの不安や不満を抱え込んで、変えるべきは変え変えられない事態は諦めてという態度も打ち立てられないまま、何故「今生きている」という喜びを存分に楽しもうとしないのだろう?大人になるということが何故こんなにも寂しい姿になるのだろう?
僕の目の前に、こんなにも輝く時間を生きている子どもたちがいる。そんな子どもたちと一緒にいられる僕は幸せだと思う。彼らからエネルギーをもらおう。一緒にいられる時間と一緒に遊べる自分を素直に存分に楽しもう。みんな、ありがとう。
posted by ヨッシー at 18:38| Comment(2) | 未分類

2011年08月19日

この夏の印象的な光景

帰省した琵琶湖の実家の庭では、鳴きわたる蝉の種類が変わっていた。昔はミーミー蝉→アブラ蝉→クマゼミ→ツクツクホーシという順番で鳴きだして夏の移りを実感できたのだが、今年は端からクマゼミばかりという。お盆の頃全盛だったツクツクボーシの声はまだ聞けなかった。
今年百歳のお袋は目も耳も歩行にも不自由で、夜中に目覚めては大きな音でテレビを見だしてこちらの安眠を妨げていた。「何もすることがなくて生きていても面白くない」とぼやきつつ、昔話を持ち出したり手がけた投書や七宝焼きを自慢したりしていた。風呂から上る際に手を貸したりすると「恥ずかしい」としなびた身体を隠したりして百歳のばあさんが恥らっていた。幾つになっても人間は自分を誇示したり表現したいものなのだなと実感した。
お盆の京都で一日遊んだ。神社仏閣を巡る家族の中には、小中学生たちが熱心に案内板を読み、隣ではお母さんが「ちゃんと覚えなさい」と発破をかけていた。彼らにとって観光は遊びではなく受験勉強の一環なのだと教えられた。どんどん遊びを奪われていく子どもたち・・・
そして今朝の新聞には、福島県の子どもの45%に甲状腺被爆が確認されたという。政府担当者は「問題ないレベル」だと強調するが、何が問題ないのか! とてつもない悲劇が進行しているのだ。
この10年の中国のGDPは2,5倍、アメリカでも1,5倍の成長率だというのに日本はマイナス成長。膨張する借金と急激に迫る円高を前に、本当にこの国はどうなっていくのかと、どっちにしろ金のない僕ですら心配になる。
あれやこれや寂しい現実ばかり印象づけられた夏ではあるが、人間はやっぱり自分の眼で見、自分の頭で考え判断するようにならなきゃと妙に考えを新たにした。
自分を表現することにこだわるべきだ。自分が何者であり、何者でありたいと願うのか、どこから来てどこへ行こうとするのか、何を喜びとして何を摑んで生きる証しとするのか、そういうことを表現する力を幾つになっても見に付けていきたいものだ。市民のそういう活動に僕は貢献したい。
posted by ヨッシー at 21:08| Comment(0) | 未分類

2011年07月21日

55,152件

昨日20日の夕刊で、2010年度中に全国の児童相談所が対応した児童虐待の件数が55,152件に達したと知った。
何という数字だろうか!明らかになった数字だけでこれだ。潜在件数を類推すれば、全国でいったいどれほどの子どもたちが苦しい毎日を過ごしていることだろう。
年間自殺者数3万件といい、この数字といい、何という悲惨な暮らしを日本人は(日本人だけではないだろうが)送っているのか。胸つぶれる思いだ。

僕の女房は公立中学の教師、2教室が学級崩壊の状態。教師全員が対応に追われて、帰宅するのは毎晩夜9時、慢性疲労状態になっている。児童相談所の数少ない職員たちも一人ではとても対応できない件数を抱えて四苦八苦で対処していることだろう。子どもたちの悲鳴が充満しているのだ。
どうしたらいいのだろう?どうしたらいいと思いますか?

大人が崩壊しかけているのです。大人が生きていく喜びを見出せないまま、何かとんでもない虚無の中で苦しんでいるのです。本当に何という悲しい社会の中で私たちは生きているのでしょうか!
「面白い活動は人を街を元気にする」なんて甘っちょろい幻想を標語にして、演劇やミュージカルに現を抜かしていていいのか、いちぶんネットよ!と叫びたくなります。どうしようもない現実を前に、どうしようもない非力を感じながら、政治を諦め、神様なんぞにすがることもできないで、世の中ってそんなものだとうそぶきながら、夜の暗闇にこだまする子どもたちのうめきや泣き声をただじっと耳を押さえて耐えるしかないのでしょうか?

と正義ぶった物言いをしながら、ビールの見ながらプロ野球実況を楽しんでいる僕でもありますが、それでも・・・
どうしたらいいのだろう? 皆さん、どう思いますか?
posted by ヨッシー at 11:23| Comment(1) | 未分類

2011年07月19日

競争心と共生心

「それからのブンとフン」、昨日キャスティングが決まりました。
今回は出演者にどの役をやりたいかの希望を取ったので期待が膨らんでいたのでしょう、希望する役も集中したこともあって、配役発表後にがっくりした方も多かったようです。キャスティングはどういう芝居にしたいかを表示する演出行為です。役者の希望に添って進める作業ではない。申し訳ない、希望などかえって聞かねばよかったのかもしれません。
とはいえ、役者は与えられた役を愛していただくしかありません。作者や演出が思いもよらなかった人物像を創り出して、小さな役でも大きく膨らませて、自分の存在をアピールして頂きたいのです。

ところで、なでしこジャパンの活躍が大騒ぎになっています。女子サッカー人口1400万人のアメリカに対して数十万人の日本チームが、「震災復興のために頑張ろう!」の精神主義で打ち勝ったのですから、まるでかつての真珠湾攻撃の時のような雰囲気になってしまっています。
それにしても人間はやっぱり1番とか勝つとかにこだわってしまう動物なのですね。僕自身も「すごいなあ!」と感動してしまっています。
この競争心が配役を決める際のプレッシャーになってきます。「残念だね。でも頑張って」というしかないんですけど。
ましてやチャレンジド・ミュージカルの稽古をしている場合など、1番とか勝つとかの競争原理とは別の価値観の大切さと出会ってしまいます。人間誰しも持っている競争心と「みんな一緒に」という共生心とをうまく両立させる方法はないものか? 結局「みんなでうまくなっていく」といういつもの考えに収まってしまうのですが、なんだかきれい事を言っているのでは?という不安も消えないのも事実です。競争心と共生心、人間は大きな矛盾をはらんだ生き物なんですね。
posted by ヨッシー at 22:54| Comment(0) | 未分類

2011年05月25日

人間の美しさ

先週末、いつも振付を担ってもらっているまあちゃんたちのダンスパフォーマンスを見に行ってきました。
総勢20人、休憩10分を挟んで2時間、踊りに踊るというパフォーマンス。ちょっと食傷気味という感も否めなかったのですが、なんともエネルギッシュな舞台でした。
「どれほど稽古したんだろう?」・・・そればかり考えていました。まあちゃんを見れば、げっそりとやせ細っています。グループを交代しながら、みんなが次々と登場しては踊りまくるのですが、みな息も上がらず平静さを装っています。
ダンスパフォーマンスを見ていていつも思うのは、体力勝負だということ。掛けた年季や日々の精進が舞台でさらけ出されてしまいます。どんなに情念を語っても、それを表現している肉体に未熟や無理があれば、観客のイメージを損なってしまいます。
日本でダンスなんてほとんど職業にはならないでしょう。多くの人が普段は他の仕事をしながら資金をためて、数ヶ月の公演体制に集中していくわけでしょう。
ここでプロとアマの違いは何かと考えてしまいます。現実にはほとんど意味をなさない設問ですが、それでもやはり違いはあるように思います。意識の違いか人生に占める重さの違いかといったことでしょうか。
自分の全存在を舞台にかける・・・といった覚悟を彼らから感じ取りました。踊ってる彼ら自身が美しかった。それが感動の中身だったと思います。
省みて、ぼくら市民がやってる舞台活動、人生の基盤が生活にあるのですからもちろんアマチュアであり、自分の全存在を舞台にかけるとはいかないのは当然ですが、それでも舞台に立つ以上は精一杯美しく輝きたいもの。アマチュアの到達点を物にしたいなあと夢見ながら、同行したみなと別れて一人酒を飲んで帰りました。
posted by ヨッシー at 21:20| Comment(0) | 未分類