皆さんは連休をどのようにお楽しみでしたでしょうか?
僕はいちぶんの仲間と信州の温泉一泊を楽しんできました。
驚き二つ。おばさんたちのまあよくしゃべること、よく食うこと、よく飲むこと、よく買うこと! 放射能もたじたじです。
もうひとつは、鯉のぼりが少なかったこと!田舎の集落に高々と翻る鯉のぼりは平和と安泰の象徴的光景ですが、どういう訳かどこも一つ揚がっているのがやっと。いったいどうしちゃったんだろう?自粛?子どもが減った?面倒臭くなった?・・・まさかね!でも日本中がある不安な真情に陥ってしまっているのは確かなようで、しかもこれはすごく恐ろしいことだと思います。生きる喜びを忘れていってしまうことにつながるんですからね。
首相が静岡の浜岡原発再開にストップをかけたことの反響が広まっています。その一つに「ただ危ないというだけで止めるのはどうも・・・」という声がTVでありました。「危ないから止める」で当たり前だと思うのですが、この人の中には町の経済に流れる札束が消えていく恐怖があるのでしょうか。
「物事の本質を捉える」という目で見れば、原発開発は危険と不安をお金と贅沢と出世で売り買いする買収工作以外の何物でもありません。水戸黄門物語と違って、現代では買収工作が極めてスマートに、あるいは極めて陰湿に行われるので、私たち自身が気づかないことも多いのですが、放射能が不安だという心情をひた隠しにしながら買収工作金で潤う豊かな生活を享受しているなんて、退廃以外の何だというのでしょう。
目の前にお金を積まれたら僕もそうなってしまうのでしょうか? ああ、♪人間て 悲しいものですね ・・・宿のカラオケの名残で呟いてしまいましたが、誰もが「子どもの未来のために・・・」といいます。その実、子どもの未来とは何か?と子ども自身の声を聞く人はいません。
子どもはわからないからとも言いますが、大人だって何もわからないままです。すべての情報がわかりやすく提供されて初めてわかることなのです。僕らはもう、権力を握った人たちの情報操作に左右されていてはならない、近頃の学びの一つです。
2011年05月07日
鯉のぼりも寂しげに・・・
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2011年04月21日
市川の人は笑わない
昨夜、井上ひさし作の「日本人のへそ」を観劇しました。
「売れないだろう」と覚悟していたらしい会館側もびっくり、大ホールがほぼ満員でした。
井上さん35歳、1969年の、どもり矯正を素材に天皇批判あり権力批判ありの、まさに「日本人のへその精神」批判をテーマにした、あふれんばかりの言語攻勢の怪作です。
テンポのいい運びと役者たちの力演もあって、もっと笑いが来てもいいのにと思ったのですが、市川の人は笑わない、少なくとも大声上げては笑わない。上品なんですね。まあ大ホールという空間のせいでもあるのでしょうが、なんだか、そんな時間の過し方じゃ井上さんが泣くよと感じてしまいました。
台本はなんとも毒々しい、何かをほったらかしにして高度経済成長へと突き進む当時の社会への作者の恨みとも思える感情と猥雑さに満ちたものすごくエネルギッシュな作品です。
その毒がなかった。観客の中に爆笑とかグッと胸に突き刺さる感情とかを引き起こさなかったのは、作者の持つ毒がまるですっ飛んでいたからでしょう。もうそういったものがまともにぶつかり合わない時代になってしまったのでしょうか。そういえば、原発への怒りをまっとうに表さない今の日本人のへその精神と共通するものがあるのかもしれません。
それにパンフレットが1400円、僕なら買わないけど女房は買ってしまうのです。いい加減にしろ! いいのか、芝居がそんなに洗練されて高級なものに成り下がっても! といいたくなります。
僕も今、12月の井上ひさし顕彰市民公演「それからのブンとフン」の準備中です。間もなく出演者を募集します。市川の芝居好きの市民の手で、賑やかに猥雑にそして稚拙と裏腹のエネルギーをむき出しにして、井上作品の魅力に迫りたいと思います。芝居好きよ、集まれ!
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2011年02月28日
市川公演成功! 実感二つ
チャレンジド・ミュージカル「サバンナ2!」の市川公演3ステージが無事終了しました。
今二つの実感を噛みしめています。
一つは、今回ほど、皆さんのご支援のありがたさを実感したことはないということ。途中で観客動員が進んでいないと知って、みんなで手分けして、多くの方に「助けてくれ!」と声を掛けさせてもらいました。いちぶんネットがこれまでやってきた実績への自信とうぬぼれもあって、声をかければきっと助けてもらえるという気はしていました。本当にその通りになって、会場は常に満席状態でした。ご来場くださった方々、本当にありがとうございました。
もう一つの実感は、表現力の偉大さを今さらながらに再確認できたこと。
子どもたちがストーリーを理解して、自分が「役の人物(動物)になりきって行動する」ということをわかり始めた途端にすべての表情が輝きだします。そして、その役割を担う責任を自覚すると舞台の上で一人ひとりが勝負をかけてきます。
サルたちが教えもしなかった動きを自分で発見していきました。「言えるかな?大丈夫かな?」と不安だった一人台詞を堂々と主張するようになりました。
お母さん方の丸まった背中が、いつの間にかピンと張って美しい立ち姿に変身していきました。
2回公演の終わった瞬間、ぐったりと倒れこむほどの充実感と達成感をみんなで味わうことができました。
内心不安だった舞台成果も、多くの方々から「すごい!」とお褒めを頂きました。
何という幸せでしょう。ほんとにいつも挨拶する「稽古場の神様、ホールの神様」のおかげかもしれませんね。
改めて御礼申し上げます。
そして千葉公演では、最終ステージの満開の花を咲かせます。
今二つの実感を噛みしめています。
一つは、今回ほど、皆さんのご支援のありがたさを実感したことはないということ。途中で観客動員が進んでいないと知って、みんなで手分けして、多くの方に「助けてくれ!」と声を掛けさせてもらいました。いちぶんネットがこれまでやってきた実績への自信とうぬぼれもあって、声をかければきっと助けてもらえるという気はしていました。本当にその通りになって、会場は常に満席状態でした。ご来場くださった方々、本当にありがとうございました。
もう一つの実感は、表現力の偉大さを今さらながらに再確認できたこと。
子どもたちがストーリーを理解して、自分が「役の人物(動物)になりきって行動する」ということをわかり始めた途端にすべての表情が輝きだします。そして、その役割を担う責任を自覚すると舞台の上で一人ひとりが勝負をかけてきます。
サルたちが教えもしなかった動きを自分で発見していきました。「言えるかな?大丈夫かな?」と不安だった一人台詞を堂々と主張するようになりました。
お母さん方の丸まった背中が、いつの間にかピンと張って美しい立ち姿に変身していきました。
2回公演の終わった瞬間、ぐったりと倒れこむほどの充実感と達成感をみんなで味わうことができました。
内心不安だった舞台成果も、多くの方々から「すごい!」とお褒めを頂きました。
何という幸せでしょう。ほんとにいつも挨拶する「稽古場の神様、ホールの神様」のおかげかもしれませんね。
改めて御礼申し上げます。
そして千葉公演では、最終ステージの満開の花を咲かせます。
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2011年01月06日
今年も好いことのありそうな・・・
新年明けましておめでとうございます。
いちぶんネットも結成後9年目の活動に入っていきます。良くやってきたものです。これもご支援くださる皆様のおかげ。本当にありがとうございます。
年末に引いた風邪が未だ治まらず、若い頃ならとっくに回復していたものをと嘆きつつ、新年を迎えました。おかげで寝正月三昧の床の中で越し方行く末をゆっくりと考えることができました。
秋に受けた大腸検査ですっかりきれいにして以来、腸の調子がすこぶるいい状態になりました。月に1回くらいは絶食して腸を刺激するといいそうです。皆さんにもぜひお薦めします。
正月に会った郷里の母は98歳。一人暮らしで最近は好きな散歩にもいけない状態になってしまいましたが、近くに住む次兄が毎日顔を出してくれると喜んでいます。大きな肺がんの塊が発見されて(内緒ですが)、年寄りですから何も進展なく、少なくともこれでぼけることなく天寿をまっとうできると僕などはかえって喜んでいます。
僕も年々言葉忘れがひどくなって、もうさほど長くはないと自覚できるようになり、かえってこれからの一年一年を大事にしていこうと思えるようになりました。
この休み中は毎日30本の迷惑メールが届いていやな気分にさせられますが、考えてみれば、さほどに孤独にさまよう人間が多いという現実、ぼくらの活動の対象となる人間が、つまりニーズが一杯いるという事実に励まされます。
というわけで、災い転じて福となす、今年からはすべてを前向きに捉えていこうと思います。本当に、せっかく生かされているのだから、毎日起きる小さな変化も敏感に捉えて、生きている喜びを味わいながら暮らして行かないと、命がもったいないですものね。
ぼくにできることは大いに励んで、疲れたら休んで、仲間との語らいを楽しんで、新しい出会いの喜びを味わって、明るく、面白いまちづくりに挑戦していきましょう。
さて、今年はいよいよ市民芸術文化活動の交流拠点づくりを本格的に提起していこうと思います。この正月の新しい決意です。
やるべきことがまた見つかりました。だから人生は楽しい。
皆様にとっても楽しく充実した一年となりますように!
今年もよろしくお付き合いください。
いちぶんネットも結成後9年目の活動に入っていきます。良くやってきたものです。これもご支援くださる皆様のおかげ。本当にありがとうございます。
年末に引いた風邪が未だ治まらず、若い頃ならとっくに回復していたものをと嘆きつつ、新年を迎えました。おかげで寝正月三昧の床の中で越し方行く末をゆっくりと考えることができました。
秋に受けた大腸検査ですっかりきれいにして以来、腸の調子がすこぶるいい状態になりました。月に1回くらいは絶食して腸を刺激するといいそうです。皆さんにもぜひお薦めします。
正月に会った郷里の母は98歳。一人暮らしで最近は好きな散歩にもいけない状態になってしまいましたが、近くに住む次兄が毎日顔を出してくれると喜んでいます。大きな肺がんの塊が発見されて(内緒ですが)、年寄りですから何も進展なく、少なくともこれでぼけることなく天寿をまっとうできると僕などはかえって喜んでいます。
僕も年々言葉忘れがひどくなって、もうさほど長くはないと自覚できるようになり、かえってこれからの一年一年を大事にしていこうと思えるようになりました。
この休み中は毎日30本の迷惑メールが届いていやな気分にさせられますが、考えてみれば、さほどに孤独にさまよう人間が多いという現実、ぼくらの活動の対象となる人間が、つまりニーズが一杯いるという事実に励まされます。
というわけで、災い転じて福となす、今年からはすべてを前向きに捉えていこうと思います。本当に、せっかく生かされているのだから、毎日起きる小さな変化も敏感に捉えて、生きている喜びを味わいながら暮らして行かないと、命がもったいないですものね。
ぼくにできることは大いに励んで、疲れたら休んで、仲間との語らいを楽しんで、新しい出会いの喜びを味わって、明るく、面白いまちづくりに挑戦していきましょう。
さて、今年はいよいよ市民芸術文化活動の交流拠点づくりを本格的に提起していこうと思います。この正月の新しい決意です。
やるべきことがまた見つかりました。だから人生は楽しい。
皆様にとっても楽しく充実した一年となりますように!
今年もよろしくお付き合いください。
posted by ヨッシー at 12:04| Comment(0)
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2010年10月06日
ヒデとエリピョン、結婚しました!
10月2日(土)、事務局員のヒデと保育士のエリピョンが結婚式を上げました。おめでとうございます。
和やかで楽しいいい結婚式でした。僕の甥っ子や姪っ子もそうですが、今の若者たちはずいぶん式に凝るんだなあと驚きました。どうせ親掛かりでしょうが、かなり豪勢なもので、一世一代の晴れ姿とはこういうことを言うのでしょう。結婚式を挙げようとも思わなかった僕からすれば、二人の家計収入のか細さを知っているだけに、「おい、いいのか?」と余計な心配をしてしまうのを否定できません。
ケチをつけるのが本意ではありません。誤解なく。
NPO活動は儲からない、金とは無縁だということを前提に僕などは活動を始めたわけですが、どんどん若者に参加してきてもらいたいし、若者はまた僕とは違った考えと発想で人生を見据えています。そうした価値観の違いを組み合わせて、どういう方向に向かうべきかを考え直すキッカケになったというのが正直な感想です。
NPOを事業として発展させようとすると、これまでボランティアを当然視してきた人たちから批判が出ます。しかも、実際のところ事業にもなり得ない現実があります。
でも僕は市民芸術活動を立派な事業にしていきたいと願っています。それが地域貢献と経済活性化、果ては国際平和につながると、これからは必ずそういう時代になると展望するからです。「芸術の社会的役割」を本当の姿に変えていこうと思う個人や団体がいつまでもボランティアや低収入に甘んじていてはいけません。
式場の隣りでは東京ディズニーランドの壮大な光景が広がっていました。あれも企業戦略に徹した文化事業の一典型です。「なにくそ、いつかこれを追い抜いてやる!」と発奮しても、それを担うのはヒデのような次の世代となるのでしょうか。
でもいつか、事務局で働く者の当たり前の生活を保障できるぐらいの経営にはしたいものです。ヒデとエリピョンの「あの日が人生最良の日だった」とならないように、ぼくもヒデも奮闘していかねばなりません。
和やかで楽しいいい結婚式でした。僕の甥っ子や姪っ子もそうですが、今の若者たちはずいぶん式に凝るんだなあと驚きました。どうせ親掛かりでしょうが、かなり豪勢なもので、一世一代の晴れ姿とはこういうことを言うのでしょう。結婚式を挙げようとも思わなかった僕からすれば、二人の家計収入のか細さを知っているだけに、「おい、いいのか?」と余計な心配をしてしまうのを否定できません。
ケチをつけるのが本意ではありません。誤解なく。
NPO活動は儲からない、金とは無縁だということを前提に僕などは活動を始めたわけですが、どんどん若者に参加してきてもらいたいし、若者はまた僕とは違った考えと発想で人生を見据えています。そうした価値観の違いを組み合わせて、どういう方向に向かうべきかを考え直すキッカケになったというのが正直な感想です。
NPOを事業として発展させようとすると、これまでボランティアを当然視してきた人たちから批判が出ます。しかも、実際のところ事業にもなり得ない現実があります。
でも僕は市民芸術活動を立派な事業にしていきたいと願っています。それが地域貢献と経済活性化、果ては国際平和につながると、これからは必ずそういう時代になると展望するからです。「芸術の社会的役割」を本当の姿に変えていこうと思う個人や団体がいつまでもボランティアや低収入に甘んじていてはいけません。
式場の隣りでは東京ディズニーランドの壮大な光景が広がっていました。あれも企業戦略に徹した文化事業の一典型です。「なにくそ、いつかこれを追い抜いてやる!」と発奮しても、それを担うのはヒデのような次の世代となるのでしょうか。
でもいつか、事務局で働く者の当たり前の生活を保障できるぐらいの経営にはしたいものです。ヒデとエリピョンの「あの日が人生最良の日だった」とならないように、ぼくもヒデも奮闘していかねばなりません。
posted by ヨッシー at 09:54| Comment(0)
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2010年08月16日
世界中を市民の輪でつながる
夏になると、毎年戦争の話題が沸騰するのは、日本人が敗戦という形でしかあの戦争を記憶していないからでしょう。
韓国に対する謝罪の首相談話が論議を巻き起こしていますが、批判者は「いつまでも謝り続けると日本の立場が弱くなる」「解決した補償問題が蒸し返される」といった主張のようですが、被害を受けたアジアの各国は日本に誤られたとも補償されたとも実感していない。加害者はすぐに忘れるけれど被害者はいつまでも根に持つのは、「いじめ」問題に現われるとおり当然のことです。前者は国家を背負った論理であり国家に支配された民衆の論理ではありません。
アメリカがイラク戦争に費やした戦費が13兆ドルだそうです。これだけの税金を使って石油利権を拡大しようとした資本主義の暴挙には驚くばかりです。
これからの戦争をどうやって防止するか、その最大の武器は世界中の市民が交流することでしかないと思います。国家がいかに強制的に戦争へと仕向けようと、支配される市民同士の交流を厚く発展させて、インターネットのこの時代、さまざまな情報を交換し合うことで、国家意思による戦争の正当性(そんなものはすでにありませんが)を否定していくしかないと信じます。
国家よりも市民の意思を優先する・・・これがこれからの世界平和の基礎になると思います。その役割を担うひとつがNGOでありNPOであると僕は期待しているのです。
いちぶんネットの活動も、たとへ微々たる力ではあっても、そうした大きな意思を持って、世界中の市民との面白い文化交流を進めていきたい・・・これがこの夏の僕の覚悟です。
韓国に対する謝罪の首相談話が論議を巻き起こしていますが、批判者は「いつまでも謝り続けると日本の立場が弱くなる」「解決した補償問題が蒸し返される」といった主張のようですが、被害を受けたアジアの各国は日本に誤られたとも補償されたとも実感していない。加害者はすぐに忘れるけれど被害者はいつまでも根に持つのは、「いじめ」問題に現われるとおり当然のことです。前者は国家を背負った論理であり国家に支配された民衆の論理ではありません。
アメリカがイラク戦争に費やした戦費が13兆ドルだそうです。これだけの税金を使って石油利権を拡大しようとした資本主義の暴挙には驚くばかりです。
これからの戦争をどうやって防止するか、その最大の武器は世界中の市民が交流することでしかないと思います。国家がいかに強制的に戦争へと仕向けようと、支配される市民同士の交流を厚く発展させて、インターネットのこの時代、さまざまな情報を交換し合うことで、国家意思による戦争の正当性(そんなものはすでにありませんが)を否定していくしかないと信じます。
国家よりも市民の意思を優先する・・・これがこれからの世界平和の基礎になると思います。その役割を担うひとつがNGOでありNPOであると僕は期待しているのです。
いちぶんネットの活動も、たとへ微々たる力ではあっても、そうした大きな意思を持って、世界中の市民との面白い文化交流を進めていきたい・・・これがこの夏の僕の覚悟です。
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2010年06月30日
老愁は葉の如く・・・
僕の好きな永井荷風の名著「?東綺譚」の後書きに出てくる言葉です。
老愁(ろうしゅう)は葉の如く、掃えども尽きず。??(そくそく)たる声中、また秋を送る・・・老い行く身は、掃けども尽きぬ落ち葉のように、愁いとともに生きていくしかない。
スケジュールのダブルブッキングをしでかしてしまいました。
29日(火)は、「赤レンガをいかす会」による市川市議会議員との懇談会。なのに、12月に予定している「荷風幻像」再演のための会館との打ち合わせを入れてしまっていたのです。その日の朝になって気づきました。
最近、今日の行動を毎朝手帳でチェックしないと思い出せなくなりました。その手帳に行事を書き忘れていたのだから、どうしようもない。毎週付き合っているのに、人の名前どころか顔すら覚えきらない毎日、飲めば深酒でもないのに翌日に堪える按配、すぐ疲れが出てちょっとしたことにもイライラが昂じてしまう・・・老化現象そのものです。
ああ、こうして人は老いて、己を諦め社会の片隅へと掃き溜められていくのか・・・!
なにくそ! 嘆いていても始まらない。人間の努力ではどうしようも解決しないことに嘆いたり不満を言ってみても徒労です。ありのままを認めるしかない。そして、努力すれば報われることにエネルギーを費やして、せめて気分だけでも老け込まないように、若い人たちと一日一日を楽しく充実させて生きるしかない。書いてるだけでなんだか悲壮になってきますが、でも人生の真実でしょう。
人生を60年生きてきて、ほぼ10年ごとに変化していく自分を実感してきました。一人の人間の喜びも悲しみも、これまでの人間たちが抱えてきた同じ思いを繰り返していくのでしょう。そう考えると、人類の諸先輩たちへのあふれるばかりの共感を感じます。
めげずに生きていきましょう! 迷惑をおかけした皆さん、申し訳ありません。
老愁(ろうしゅう)は葉の如く、掃えども尽きず。??(そくそく)たる声中、また秋を送る・・・老い行く身は、掃けども尽きぬ落ち葉のように、愁いとともに生きていくしかない。
スケジュールのダブルブッキングをしでかしてしまいました。
29日(火)は、「赤レンガをいかす会」による市川市議会議員との懇談会。なのに、12月に予定している「荷風幻像」再演のための会館との打ち合わせを入れてしまっていたのです。その日の朝になって気づきました。
最近、今日の行動を毎朝手帳でチェックしないと思い出せなくなりました。その手帳に行事を書き忘れていたのだから、どうしようもない。毎週付き合っているのに、人の名前どころか顔すら覚えきらない毎日、飲めば深酒でもないのに翌日に堪える按配、すぐ疲れが出てちょっとしたことにもイライラが昂じてしまう・・・老化現象そのものです。
ああ、こうして人は老いて、己を諦め社会の片隅へと掃き溜められていくのか・・・!
なにくそ! 嘆いていても始まらない。人間の努力ではどうしようも解決しないことに嘆いたり不満を言ってみても徒労です。ありのままを認めるしかない。そして、努力すれば報われることにエネルギーを費やして、せめて気分だけでも老け込まないように、若い人たちと一日一日を楽しく充実させて生きるしかない。書いてるだけでなんだか悲壮になってきますが、でも人生の真実でしょう。
人生を60年生きてきて、ほぼ10年ごとに変化していく自分を実感してきました。一人の人間の喜びも悲しみも、これまでの人間たちが抱えてきた同じ思いを繰り返していくのでしょう。そう考えると、人類の諸先輩たちへのあふれるばかりの共感を感じます。
めげずに生きていきましょう! 迷惑をおかけした皆さん、申し訳ありません。
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2010年04月21日
今年は大変な危機に?
アイスランドの火山が噴火して、ヨーロッパ中の流通が麻痺しているようです。ゴールデンウィークのヨーロッパ行きがキャンセルになるなんてのんきな嘆きを言っている場合じゃない、もっと大きな危機に発展するのではと案じられます。世界恐慌の可能性もありますよね。
話し変わって、今引きこもりや鬱の人が驚くばかりに増えていますね。そこまで行かなくても、電車の中では皆一様に携帯ゲームやインターネットに没頭しているし、「つぶやき」などというバーチャルな、それも短いありふれた語彙だけで交流しあって分かり合ったつもりでいる姿などを見ていると、人間がどんどん卑小になって、内に閉じ篭ってエネルギーを溜め込んでいる気がします。そうしたエネルギーがいつどういう形で噴火してしまうのか気がかりです。
絶望してばかりもいられません。だからこそ市民が芸術文化を通して自己を解放していくことが改めて大事だと思うのです。来週からいよいよ市民ミュージカルの稽古に入ります。とはいえこちらも参加者が減少、こういう規模での事業はもはや時代に合わなくなったのでしょうか? でも、規模は小さくなっても面白さの追求は変わりませんから、今回の活動を通して改めて検証しつつ、新たな展望を打ち出していきたいと思います。
なにやら不安げな内容になってしまいましたが、ぼくは絶望とは無縁です。少なくともその意思を全うしたいのです。絶望は生命の本質ではありません。希望こそが本質です。
話し変わって、今引きこもりや鬱の人が驚くばかりに増えていますね。そこまで行かなくても、電車の中では皆一様に携帯ゲームやインターネットに没頭しているし、「つぶやき」などというバーチャルな、それも短いありふれた語彙だけで交流しあって分かり合ったつもりでいる姿などを見ていると、人間がどんどん卑小になって、内に閉じ篭ってエネルギーを溜め込んでいる気がします。そうしたエネルギーがいつどういう形で噴火してしまうのか気がかりです。
絶望してばかりもいられません。だからこそ市民が芸術文化を通して自己を解放していくことが改めて大事だと思うのです。来週からいよいよ市民ミュージカルの稽古に入ります。とはいえこちらも参加者が減少、こういう規模での事業はもはや時代に合わなくなったのでしょうか? でも、規模は小さくなっても面白さの追求は変わりませんから、今回の活動を通して改めて検証しつつ、新たな展望を打ち出していきたいと思います。
なにやら不安げな内容になってしまいましたが、ぼくは絶望とは無縁です。少なくともその意思を全うしたいのです。絶望は生命の本質ではありません。希望こそが本質です。
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2010年04月14日
巨匠逝く
日曜日、コルトンプラザで青年会議所主催のダンス披露会。チャレンジド・ダンスチームも出るとあって見に行きました。
流行のヒップホップばかりが、それも結構上手な子どもたちの演技が続いて、「チャレンジドの連中が気後れしなければいいな」と内心心配しながらその時をみていました。
観客の乗りは一番だったのじゃないかな。ワークショップで積み重ねたダンスをそのまま勝負に出て、観客の拍手をかっさらってしまいました。
あの子たちにだって気後れしたり緊張したりはあるだろうに、堂々と居直ってあるがままの力で勝負して成果を出す。ほんとに頭が下がる態度です。脱帽です。彼らと出会えた喜びを改めて噛みしめました。
その夜のテレビニュースで井上ひさし氏の逝去を知りました。なんと大きな輝きが失われたことでしょう。
氏の戯曲が好きで、僕の演出暦の中でも一番多く演出した劇作家でもありました。言葉への絶対的な信頼の上にそれをさまざまに駆使して、そしてどんなに悲しく残虐な世界にあっても残る1%のヒューマニズム的意志を諦めるなと思い知らせてくれる作家でした。会議の場でしか会ったことはありませんが、もうあの世界は新しく生まれてきません。
「自由の中でも表現の自由こそが一番の根本だ」と彼は言います。そして権力やそれに追従する連中と対抗する人間性の意地を描き、また社会的政治的にもそう主張してきました。誠に残念です。
それにしても、死がなんと身近になったことでしょう。井上流に言えば、フワフワ30、キョロキョロ40、ウカウカ50、オロオロ60・・・あっという間に過ぎてしまう人生、その中で何ほどの生きてきた証しを私は残せるのか、世間にではなく自分自身の中に。また一つ巨星消える・・・この寂しさは歳を取ったものにしかわからぬ感情なのでしょうか。
流行のヒップホップばかりが、それも結構上手な子どもたちの演技が続いて、「チャレンジドの連中が気後れしなければいいな」と内心心配しながらその時をみていました。
観客の乗りは一番だったのじゃないかな。ワークショップで積み重ねたダンスをそのまま勝負に出て、観客の拍手をかっさらってしまいました。
あの子たちにだって気後れしたり緊張したりはあるだろうに、堂々と居直ってあるがままの力で勝負して成果を出す。ほんとに頭が下がる態度です。脱帽です。彼らと出会えた喜びを改めて噛みしめました。
その夜のテレビニュースで井上ひさし氏の逝去を知りました。なんと大きな輝きが失われたことでしょう。
氏の戯曲が好きで、僕の演出暦の中でも一番多く演出した劇作家でもありました。言葉への絶対的な信頼の上にそれをさまざまに駆使して、そしてどんなに悲しく残虐な世界にあっても残る1%のヒューマニズム的意志を諦めるなと思い知らせてくれる作家でした。会議の場でしか会ったことはありませんが、もうあの世界は新しく生まれてきません。
「自由の中でも表現の自由こそが一番の根本だ」と彼は言います。そして権力やそれに追従する連中と対抗する人間性の意地を描き、また社会的政治的にもそう主張してきました。誠に残念です。
それにしても、死がなんと身近になったことでしょう。井上流に言えば、フワフワ30、キョロキョロ40、ウカウカ50、オロオロ60・・・あっという間に過ぎてしまう人生、その中で何ほどの生きてきた証しを私は残せるのか、世間にではなく自分自身の中に。また一つ巨星消える・・・この寂しさは歳を取ったものにしかわからぬ感情なのでしょうか。
posted by ヨッシー at 01:52| Comment(1)
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2010年04月09日
心切り替えて・・・
4日(日)と5日(月)、いちぶんネット恒例の温泉旅行を楽しんできました。
参加したのは中老年の15名、わざわざ職場を休んで参加する人も多く、市民俳優が行く所といえば戸田温泉しかないということで(ヘタではなくヘダと読むのですが)、あいにくの曇り空、富士の勇姿を拝めなかったのは誠に残念ながら、西伊豆の温泉と桜を満喫してきました。
マア、女連中のよくしゃべること、飲むこと、食べること・・・加えて身勝手三昧の行動、ちょっと歩けば文句たらたら長〜い行列となって行方不明者も出る始末・・・幹事の松島さんも苛立ちを通り越してあきれ返っておりました。
しかし、いちぶんネットならではの活動で知り合った市民がこうして和気藹々と旅行を楽しむのはいいものです。話題はいつしか老後のグループホーム計画に行き着くところにいかにも中老年グループの悲哀が出てしまうのですが、逆に言えば、この年になって新しい人間関係が深まっていくことこそ幸せといえるのかもしれません。毎年の楽しみ行事になっていますので、皆さんもぜひ一度ご参加ください。
さて、思い切りストレスを発散した後は、いよいよ25日から始まるいちかわ市民ミュージカル公演体制への突入です。参加者の応募状況はまだ定員の半分にも満たない状況で、これからどのように追い込みをかければいいか悩みどころですが、マア、何とかなるでしょう。10年続けた市民ミュージカルもそろそろ総括段階にあるのかもしれませんが、それはソレ、ともかく今はあらゆる手段を通して出演者募集を呼びかけていくことです。
皆さんも、周りの方に一声かけていただけますようお願いします。人間関係を広げ深めていくことこそが力なき市民の誇るべき財産となるはずです。
ああ、もう二泊くらいのんびりしたい・・・と愚痴りつつ、やるぞ!
参加したのは中老年の15名、わざわざ職場を休んで参加する人も多く、市民俳優が行く所といえば戸田温泉しかないということで(ヘタではなくヘダと読むのですが)、あいにくの曇り空、富士の勇姿を拝めなかったのは誠に残念ながら、西伊豆の温泉と桜を満喫してきました。
マア、女連中のよくしゃべること、飲むこと、食べること・・・加えて身勝手三昧の行動、ちょっと歩けば文句たらたら長〜い行列となって行方不明者も出る始末・・・幹事の松島さんも苛立ちを通り越してあきれ返っておりました。
しかし、いちぶんネットならではの活動で知り合った市民がこうして和気藹々と旅行を楽しむのはいいものです。話題はいつしか老後のグループホーム計画に行き着くところにいかにも中老年グループの悲哀が出てしまうのですが、逆に言えば、この年になって新しい人間関係が深まっていくことこそ幸せといえるのかもしれません。毎年の楽しみ行事になっていますので、皆さんもぜひ一度ご参加ください。
さて、思い切りストレスを発散した後は、いよいよ25日から始まるいちかわ市民ミュージカル公演体制への突入です。参加者の応募状況はまだ定員の半分にも満たない状況で、これからどのように追い込みをかければいいか悩みどころですが、マア、何とかなるでしょう。10年続けた市民ミュージカルもそろそろ総括段階にあるのかもしれませんが、それはソレ、ともかく今はあらゆる手段を通して出演者募集を呼びかけていくことです。
皆さんも、周りの方に一声かけていただけますようお願いします。人間関係を広げ深めていくことこそが力なき市民の誇るべき財産となるはずです。
ああ、もう二泊くらいのんびりしたい・・・と愚痴りつつ、やるぞ!
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2010年04月01日
花に浮かれて多忙の極み
26日(金)、「がめつい奴」出演者の重ちゃんに誘われて、深ちゃんと3人、途中で久美子さんも参加して、中山参道の「ひょうたん」で一杯。もつ焼きのうまいこと、4時間飲み続けて二日酔い。
27日(土)、赤レンガ見学会の案内。200人参加で盛り上がりました。参加したわが女房が敷地で狸に出会ったとかで、その夜は狸女房と祝宴。
28日(日)、行徳公民館で、チャレンジド・ダンスワークショップの発表会。久しぶりに会った子どもたちが大きくなっていたのにびっくり。一緒に踊って、終わると外で悪ガキどもと鬼ごっこして、ガチガチになっていた身体を解放。その夜は「がめつい奴」の女性たちに誘われて真間川そばの上海料理の店でまだ早い花見会。出された北京ダックと鯛の丸揚げのうまいこと! 女性たちの美しいこと! 5時間かけて祝宴。
29日(月)、市川市民芸術文化賞授賞式に参加。愛子さん(前市民M実行委員長)や恒松さん、理事やチャレンジドの親子も来てくれて、関係者を前にいちぶんネットの紹介をぶって、ハクナマタタDVDの予告編を流して好評。気持ちよく皆で祝宴。
30日(火)、今夜はチャレンジド・ミュージカル上演委員会。また飲むことになるのでしょう。
さすがに身体ばかりでなく、稼ぎもない身で財布の中もグロッキー。「いい加減にしろ!」と自分を責めて、反省しつつ今夜も悪い仲間に誘われてついていくのでしょうか?
最近、子どもにも女性にもやたらもててもてて・・・その割にはだれも言い寄ってはくれないけれど、花に浮かれて仲間との楽しい語り合いに時間を忘れています。西行法師じゃないけれど、「花に埋もれて我死なん・・・」の境地もいいなと一人ほくそえんでいます。・・・それにつけても金の欲しさよ。
27日(土)、赤レンガ見学会の案内。200人参加で盛り上がりました。参加したわが女房が敷地で狸に出会ったとかで、その夜は狸女房と祝宴。
28日(日)、行徳公民館で、チャレンジド・ダンスワークショップの発表会。久しぶりに会った子どもたちが大きくなっていたのにびっくり。一緒に踊って、終わると外で悪ガキどもと鬼ごっこして、ガチガチになっていた身体を解放。その夜は「がめつい奴」の女性たちに誘われて真間川そばの上海料理の店でまだ早い花見会。出された北京ダックと鯛の丸揚げのうまいこと! 女性たちの美しいこと! 5時間かけて祝宴。
29日(月)、市川市民芸術文化賞授賞式に参加。愛子さん(前市民M実行委員長)や恒松さん、理事やチャレンジドの親子も来てくれて、関係者を前にいちぶんネットの紹介をぶって、ハクナマタタDVDの予告編を流して好評。気持ちよく皆で祝宴。
30日(火)、今夜はチャレンジド・ミュージカル上演委員会。また飲むことになるのでしょう。
さすがに身体ばかりでなく、稼ぎもない身で財布の中もグロッキー。「いい加減にしろ!」と自分を責めて、反省しつつ今夜も悪い仲間に誘われてついていくのでしょうか?
最近、子どもにも女性にもやたらもててもてて・・・その割にはだれも言い寄ってはくれないけれど、花に浮かれて仲間との楽しい語り合いに時間を忘れています。西行法師じゃないけれど、「花に埋もれて我死なん・・・」の境地もいいなと一人ほくそえんでいます。・・・それにつけても金の欲しさよ。
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2010年03月22日
若者の出発
いちぶんネットの事務局員であるヒデ君とエリピョンさんの結婚を祝う会が21日の夜文化会館内食堂の「ちもと」で開かれました。
連休の狭間ということもあって参加者は50名ほどでしたが、二人の出発を祝って和気藹々とした楽しい会となりました。
二人は23歳、僕の息子と同じ年とは驚きです。出会いは2005年の第1回チャレンジド・ミュージカル「ハクナマタタ!」のボランティアサポーター。その後の乳幼児と親のためのミュージカル「ドングリコッコの冒険」で交際が始まって発展していきました。まさに、いちぶんネットの活動を通して生まれた愛でした。新婦は今保母さんとして、新郎はいちぶんネットの事務局で働いています。
「月20万円出してもらえるならいちぶんネットで働きたい」という若者は数多くいますが、残念ながらそうは出せません。それどころか、ヒデ君は日給扱いの非常勤勤務です。経済的な不安定を覚悟で新生活を始める二人を理事長である僕はどうにもしてやれぬ忸怩たる思いで見つめていくしかありませんが、それでも若い二人が結婚というはっきりした形で結ばれるのはなんともすがすがしい気分、二人の幸せを願うばかりです。
そしてこれを契機に、独特な優しさで人をひきつけるヒデ君が人間的に、同時にNPOの事務局員として成長して行ってくれることを願っています。「何をどうすればいいか」細かく指導する力を僕は持ちません。やりたいことを自分で探し失敗を繰り返して成長していくしかない、そしてどういう生き方をしたいのか、どんな人間になりたいのか、社会にどのように役立っていきたいのか、自分の力で探り当てていくしかないのです。
もう一つ言えることは、いちぶんネットで「働く」という人間が増えていく以上、事業体としての法人体制を確立する努力が僕たち理事の側に課せられているということでしょう。これまでだって考えてこなかったわけじゃないこの至難の課題に、また頭を悩ませつつ奮闘せねばなりません。
若い二人に心から幸多かれと願います。
連休の狭間ということもあって参加者は50名ほどでしたが、二人の出発を祝って和気藹々とした楽しい会となりました。
二人は23歳、僕の息子と同じ年とは驚きです。出会いは2005年の第1回チャレンジド・ミュージカル「ハクナマタタ!」のボランティアサポーター。その後の乳幼児と親のためのミュージカル「ドングリコッコの冒険」で交際が始まって発展していきました。まさに、いちぶんネットの活動を通して生まれた愛でした。新婦は今保母さんとして、新郎はいちぶんネットの事務局で働いています。
「月20万円出してもらえるならいちぶんネットで働きたい」という若者は数多くいますが、残念ながらそうは出せません。それどころか、ヒデ君は日給扱いの非常勤勤務です。経済的な不安定を覚悟で新生活を始める二人を理事長である僕はどうにもしてやれぬ忸怩たる思いで見つめていくしかありませんが、それでも若い二人が結婚というはっきりした形で結ばれるのはなんともすがすがしい気分、二人の幸せを願うばかりです。
そしてこれを契機に、独特な優しさで人をひきつけるヒデ君が人間的に、同時にNPOの事務局員として成長して行ってくれることを願っています。「何をどうすればいいか」細かく指導する力を僕は持ちません。やりたいことを自分で探し失敗を繰り返して成長していくしかない、そしてどういう生き方をしたいのか、どんな人間になりたいのか、社会にどのように役立っていきたいのか、自分の力で探り当てていくしかないのです。
もう一つ言えることは、いちぶんネットで「働く」という人間が増えていく以上、事業体としての法人体制を確立する努力が僕たち理事の側に課せられているということでしょう。これまでだって考えてこなかったわけじゃないこの至難の課題に、また頭を悩ませつつ奮闘せねばなりません。
若い二人に心から幸多かれと願います。
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2010年03月16日
介護休暇をいただきます
私事で恐縮ですが、郷里の滋賀県彦根市に母が健在です。
大正元年生まれですから98歳、耳も遠くなって電話のやり取りも不自由ですが、出歩くのが好きでキャリーカートを押しながらよちよちと七宝焼きや合唱の講座に通っています。街中を歩く姿はまるで有形文化財、周りからしょっちゅう「お元気でよろしいなあ」「おいくつですか?」と聞かれるのが恥ずかしいといっていますが、「こうなればいっそ100歳まで生かしてもらう」と欲張ってもいます。
同居していた次兄家族が古くて交通不便な古い家を嫌って少し離れた所に移ってしまって後、同居を薦められても拒否して、「寂しい」といいながら猫と一緒に暮らしています。
次兄夫婦にはできのいい息子がいて、長男はアメリカで生活しているものですから、今度1ヶ月間の訪問の旅に出ることになりました。そしてその間を、遠く離れて暮らしている残りの姉第3人や次兄の息子たちで介護分担しようということになりました。
僕の担当範囲は15日から19日までの5日間、婆さんの愚痴を聞きながら家の修理でもしてこようかと思っています。実は夜一緒にいればいいだけだから、好きな京都見物三昧をしてこようかというのが本音です。
というわけで、今日から介護休暇をいただきます。皆様にはご迷惑をおかけすることもあるでしょうが、よろしくお願いします。
大正元年生まれですから98歳、耳も遠くなって電話のやり取りも不自由ですが、出歩くのが好きでキャリーカートを押しながらよちよちと七宝焼きや合唱の講座に通っています。街中を歩く姿はまるで有形文化財、周りからしょっちゅう「お元気でよろしいなあ」「おいくつですか?」と聞かれるのが恥ずかしいといっていますが、「こうなればいっそ100歳まで生かしてもらう」と欲張ってもいます。
同居していた次兄家族が古くて交通不便な古い家を嫌って少し離れた所に移ってしまって後、同居を薦められても拒否して、「寂しい」といいながら猫と一緒に暮らしています。
次兄夫婦にはできのいい息子がいて、長男はアメリカで生活しているものですから、今度1ヶ月間の訪問の旅に出ることになりました。そしてその間を、遠く離れて暮らしている残りの姉第3人や次兄の息子たちで介護分担しようということになりました。
僕の担当範囲は15日から19日までの5日間、婆さんの愚痴を聞きながら家の修理でもしてこようかと思っています。実は夜一緒にいればいいだけだから、好きな京都見物三昧をしてこようかというのが本音です。
というわけで、今日から介護休暇をいただきます。皆様にはご迷惑をおかけすることもあるでしょうが、よろしくお願いします。
posted by ヨッシー at 21:04| Comment(0)
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2010年03月03日
底力が大切
バンクーバーオリンピックが終わりました。僕も賭けをして金メダル1個と予想したのですがゼロでしたね。日本のスポーツの衰退を残念に思います。
日本の教育やスポーツ、芸術予算は先進国でも驚くほど低額です。何故国民は文句を言わないのか本当に不思議です。実業団スポーツを支えてきた企業でもスポーツ部はどんどん廃止になっています。台頭する韓国や中国では、優勝者への報奨金を増額したりその後の人生を保証したりと走る馬の頭ににんじんをぶら下げるような政策を採っているそうです。それもどうかと思いますが、道具や練習費まで自分で支出しなければならない日本では、金メダルの獲得は無理でしょう。
何事もそうですが、頂点を輝かせるためには、成層火山のような底辺の広がりがあってこそだと思います。今の日本にはスポーツや芸術を日常的に楽しむ機会がどんどん貧弱になってきています。ここで僕の持論に結びつければ、市民スポーツや芸術の日常的な発展こそが金メダルを生むのです。そして民族としての活性と経済の地道な発展を保証するのです。
話は変わりますが、チャレンジド・ミュージカルに出演している石井ひろき君が書いた詩がNHKハート展に展示され、3月から年内まで全国を廻ることになったそうです。あのひろき君が詩を書いている・・・と想像するとなにやら愉快になってきます。ぜひ見て見たいなと思います。3月3日から8日まで、日本橋三越本店7階で、10時〜19時、展示されているようですから、ぜひ見てあげてください。やはり、こういう広がりの中から天才は生まれていくのでしょうね。
もう一つ、今週土曜日から婚活演劇「がめついやつ」の公演です。この中から偉大な役者が生まれ出る可能性だって、金メダル級のカップルが誕生する可能性だってありえます。こちらもお忘れなく。
日本の教育やスポーツ、芸術予算は先進国でも驚くほど低額です。何故国民は文句を言わないのか本当に不思議です。実業団スポーツを支えてきた企業でもスポーツ部はどんどん廃止になっています。台頭する韓国や中国では、優勝者への報奨金を増額したりその後の人生を保証したりと走る馬の頭ににんじんをぶら下げるような政策を採っているそうです。それもどうかと思いますが、道具や練習費まで自分で支出しなければならない日本では、金メダルの獲得は無理でしょう。
何事もそうですが、頂点を輝かせるためには、成層火山のような底辺の広がりがあってこそだと思います。今の日本にはスポーツや芸術を日常的に楽しむ機会がどんどん貧弱になってきています。ここで僕の持論に結びつければ、市民スポーツや芸術の日常的な発展こそが金メダルを生むのです。そして民族としての活性と経済の地道な発展を保証するのです。
話は変わりますが、チャレンジド・ミュージカルに出演している石井ひろき君が書いた詩がNHKハート展に展示され、3月から年内まで全国を廻ることになったそうです。あのひろき君が詩を書いている・・・と想像するとなにやら愉快になってきます。ぜひ見て見たいなと思います。3月3日から8日まで、日本橋三越本店7階で、10時〜19時、展示されているようですから、ぜひ見てあげてください。やはり、こういう広がりの中から天才は生まれていくのでしょうね。
もう一つ、今週土曜日から婚活演劇「がめついやつ」の公演です。この中から偉大な役者が生まれ出る可能性だって、金メダル級のカップルが誕生する可能性だってありえます。こちらもお忘れなく。
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2010年02月12日
死んだ男の残したものは・・・
2月10日夜、いちぶんネットの前副代表深川明俊氏の一周忌の集まりがありました。集まったのは市川市内を中心に身近に彼と関わった役人や議員、市民活動家、ジャーナリストなど各界の11人。いい集まりでした。
深川氏を覚えていますか? いつも釣り用のチョッキとジーパン姿、歯の抜けた口からポンポン辛らつな言葉を吐き出して特に女性たちの顰蹙を買っていた男です。僕と知り合ったのは59歳で亡くなる前の約8年ほどです。
彼は以前音楽界のマネージャーとして名を成していました。森山良子やオフコースなどのプロデュースをしていたそうです。その後その一切を投げ出して、深夜警備の仕事をしながら、ボーイスカウト活動に関わり子どもと環境への関心を深めていきました。屋久島やレイチェル・カーソンを僕に教えてくれたのは彼です。晩年は酒のせいで身体も壊し離婚や生活苦もあって、かなり寂しい状態で過ごしていました。
僕と同年です。男同士ということもあり、過去などお互いに穿鑿しないで、互いに芸能界にいた者どうし、アウンの呼吸で協力し合っていました。
彼には人生の転機となる大きな悲劇がありました。当時4歳だった一人息子をある事件で亡くしているのです。その詳細を始めて知りました。それを契機にそれまでの芸能界から引退して市民活動に打ち込みだしたのです。
その夜、それぞれが付き合った深川氏の人間像をつなぎ合わせて全体像が見えてきました。彼の深い悲しみを知りました。そして何とか新しい人生基盤を立て直そうと戦っていた姿を知りました。
♪死んだ男の 残したものは・・・という歌が甦ります。財産もなく、音楽マネージャーや市民活動家として活躍した業績もいずれ忘れられていくでしょう。でも彼は、その夜集まった11人を深い共感の絆で結び合わせてくれました。子どもを愛し環境破壊の危機を熱く訴えた彼の精神は、それぞれの断面で関わってきた人間の新しい絆を産み出したといえるでしょう。それこそが遺産です。その遺産を育てていこうと思います。合掌。
深川氏を覚えていますか? いつも釣り用のチョッキとジーパン姿、歯の抜けた口からポンポン辛らつな言葉を吐き出して特に女性たちの顰蹙を買っていた男です。僕と知り合ったのは59歳で亡くなる前の約8年ほどです。
彼は以前音楽界のマネージャーとして名を成していました。森山良子やオフコースなどのプロデュースをしていたそうです。その後その一切を投げ出して、深夜警備の仕事をしながら、ボーイスカウト活動に関わり子どもと環境への関心を深めていきました。屋久島やレイチェル・カーソンを僕に教えてくれたのは彼です。晩年は酒のせいで身体も壊し離婚や生活苦もあって、かなり寂しい状態で過ごしていました。
僕と同年です。男同士ということもあり、過去などお互いに穿鑿しないで、互いに芸能界にいた者どうし、アウンの呼吸で協力し合っていました。
彼には人生の転機となる大きな悲劇がありました。当時4歳だった一人息子をある事件で亡くしているのです。その詳細を始めて知りました。それを契機にそれまでの芸能界から引退して市民活動に打ち込みだしたのです。
その夜、それぞれが付き合った深川氏の人間像をつなぎ合わせて全体像が見えてきました。彼の深い悲しみを知りました。そして何とか新しい人生基盤を立て直そうと戦っていた姿を知りました。
♪死んだ男の 残したものは・・・という歌が甦ります。財産もなく、音楽マネージャーや市民活動家として活躍した業績もいずれ忘れられていくでしょう。でも彼は、その夜集まった11人を深い共感の絆で結び合わせてくれました。子どもを愛し環境破壊の危機を熱く訴えた彼の精神は、それぞれの断面で関わってきた人間の新しい絆を産み出したといえるでしょう。それこそが遺産です。その遺産を育てていこうと思います。合掌。
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2010年02月09日
品格
大相撲力士の品格が議論されています。
僕は相撲をただのスポーツだとは思っていません。国技かどうかはわかりませんが、少なくとも良かれ悪しかれ日本的な伝統精神の支配する世界だと思っています。そして若い頃は「日本的な伝統・・・」云々と来るだけで大いに反発していたものですが、この年になるとやはりある種の重要性を疑いません。
日本的伝統精神に基いた品格とは何か? 簡潔にまとめると「けじめ」だろうと思います。相撲だけでなくどの世界でも、ある社会的立場に立った人間は、その内面がどうであれ、ある「けじめ」を要求されます。「してはならないことはしてはならない」のです。
一方で、人間はもっともっと自由に解放されていくべきです。日本人はそのことに関して何の制限もなく、もっと貪欲に自己解放すべき民族だと思います。子どもたちにももっと自由を味わせてやりたいものです。その自由を真に獲得した先に市民社会的規制が自然に生まれてくると思っています。
朝昇竜?を始め、小沢一郎にしろだれにしろ、「けじめのなさ」が今の日本を席巻しています。そんな大物たちとは別に、庶民である我々の中にも「けじめ」のなさが蔓延しています。人間を改造しろと要求するのではなく、せめて立場の上では、その立場に沿った「けじめ」を身に付けろといいたいのです。
僕の人間的本質はだらしのないの一言に尽きます。自分でもいやになります。それでも「いちぶんネット」の代表である限り、代表として振舞わなければならない場では、「けじめ」だけはつけていきたいと思います。偉そうにいって大丈夫だろうか?と危惧しつつ・・・
僕は相撲をただのスポーツだとは思っていません。国技かどうかはわかりませんが、少なくとも良かれ悪しかれ日本的な伝統精神の支配する世界だと思っています。そして若い頃は「日本的な伝統・・・」云々と来るだけで大いに反発していたものですが、この年になるとやはりある種の重要性を疑いません。
日本的伝統精神に基いた品格とは何か? 簡潔にまとめると「けじめ」だろうと思います。相撲だけでなくどの世界でも、ある社会的立場に立った人間は、その内面がどうであれ、ある「けじめ」を要求されます。「してはならないことはしてはならない」のです。
一方で、人間はもっともっと自由に解放されていくべきです。日本人はそのことに関して何の制限もなく、もっと貪欲に自己解放すべき民族だと思います。子どもたちにももっと自由を味わせてやりたいものです。その自由を真に獲得した先に市民社会的規制が自然に生まれてくると思っています。
朝昇竜?を始め、小沢一郎にしろだれにしろ、「けじめのなさ」が今の日本を席巻しています。そんな大物たちとは別に、庶民である我々の中にも「けじめ」のなさが蔓延しています。人間を改造しろと要求するのではなく、せめて立場の上では、その立場に沿った「けじめ」を身に付けろといいたいのです。
僕の人間的本質はだらしのないの一言に尽きます。自分でもいやになります。それでも「いちぶんネット」の代表である限り、代表として振舞わなければならない場では、「けじめ」だけはつけていきたいと思います。偉そうにいって大丈夫だろうか?と危惧しつつ・・・
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2010年01月12日
新年明けましておめでとうございます
今年も週1回程度のブログでご挨拶します。よろしくお願いします。
皆さんにとって、今年はどんな年となるのでしょう。本当に楽しい一年となりますよう心より祈っています。還暦を過ぎた僕には、もう自分のことなんかより市民仲間のこと、世界中の人たちの幸せばかりを願う気になっているので、これはほんとの気持ちです。
ぼくの今年も忙しくなりそうです。まずは禁煙生活1ヶ月がすぎ、手持ち無沙汰や気分転換の際にフッと立ち上がる吸いたい気持ちとの闘いに忙しい。最近ほんとに多くなった人名忘れや物忘れ、誰かが「忘れた時は諦めずに必死に思い出せ。そうすれば神経がつながって回復する」などというものだから、必死に思い出そうとしてできず、諦めばかりが増えていく老後を思いやって忙しい。
かといって諦めばかりが人生じゃない。いろいろと人には言われぬ秘密ごとにもこだわったり面白がったりするのにも忙しい。
そして「いちぶんネット」の活動。今進行中の「がめつい奴」稽古は面白くて楽しいのだけれど、やはり婚活演劇と銘打った以上、その面でも成果を得たいと欲が出て、気を回すのにも忙しい。
いちぶんネットの活動上の最大の課題は実はお金ではなく、稽古場の確保です。となると、市民芸術活動の拠点づくりを本格化せねばなりません。実は去年の理事会忘年会の飲み席で正式に?拠点を確保しようと決議されたんですが、出来る来ない、面白くなるならない、などと心を悩ますのに忙しい。
と、あれこれ数え上げると忙しい毎日にならざるをえなくなります。でも気分は充実。
今年もよろしくお願いします。
ヨッシー
皆さんにとって、今年はどんな年となるのでしょう。本当に楽しい一年となりますよう心より祈っています。還暦を過ぎた僕には、もう自分のことなんかより市民仲間のこと、世界中の人たちの幸せばかりを願う気になっているので、これはほんとの気持ちです。
ぼくの今年も忙しくなりそうです。まずは禁煙生活1ヶ月がすぎ、手持ち無沙汰や気分転換の際にフッと立ち上がる吸いたい気持ちとの闘いに忙しい。最近ほんとに多くなった人名忘れや物忘れ、誰かが「忘れた時は諦めずに必死に思い出せ。そうすれば神経がつながって回復する」などというものだから、必死に思い出そうとしてできず、諦めばかりが増えていく老後を思いやって忙しい。
かといって諦めばかりが人生じゃない。いろいろと人には言われぬ秘密ごとにもこだわったり面白がったりするのにも忙しい。
そして「いちぶんネット」の活動。今進行中の「がめつい奴」稽古は面白くて楽しいのだけれど、やはり婚活演劇と銘打った以上、その面でも成果を得たいと欲が出て、気を回すのにも忙しい。
いちぶんネットの活動上の最大の課題は実はお金ではなく、稽古場の確保です。となると、市民芸術活動の拠点づくりを本格化せねばなりません。実は去年の理事会忘年会の飲み席で正式に?拠点を確保しようと決議されたんですが、出来る来ない、面白くなるならない、などと心を悩ますのに忙しい。
と、あれこれ数え上げると忙しい毎日にならざるをえなくなります。でも気分は充実。
今年もよろしくお願いします。
ヨッシー
posted by ヨッシー at 17:30| Comment(0)
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2009年12月11日
とりとめなく
多忙だった日常が一瞬止まったような、エアーポケットに入ったような気分にいます。
本当は今の内に処理しなけりゃならない雑事も、こういう時に気を入れてかかりたい創作も並んで待ってるんだけど、なんとなく面倒臭くて、できたらニューヨークへでも旅立ちたい気分。舞台監督の末永って野郎は、正月前後1ヶ月もNYだってさ。稼ぎのいい奴がうらやましいね。
そんなわけで、禁煙しました。5日に一日だけ試してみたら、なんとなく持ったので、その後ニコチンガムを噛みながら続行しています。そろそろ一週間。驚いたことに、タバコを吸わなかった最初の日、自転車に乗っても早足で歩いても心臓がバクバクしない。たった一日で肺と心臓の細胞が活性化するんだから、身体がまだ若いのか、生命力の偉大さに驚くべきなのか。いずれにしろ感動です。
とはいえ、脳の細胞にはめっきり自信がなくなって、昨夜も映画の黒澤明の名前が全然思い出せなくて、今稽古中の役者さんの名前も言いまちがえてばかりいて、市川の市民活動に深入りしてかれこれ10年近く、思えばずいぶん老けてしまいました。後十年も立てばどうなるのかしら? 周りの人たちからも引退したりあの世へ旅立つ人がたくさん現われるんだろうな、僕を残したまま・・・、と思うと、ほんとに人生は過酷です。
というわけで、この際、戯曲を一本気を入れて書いてみようかと、また市川での市民活動の展望を出版物にしてみようかと、思い始めているんだけど、まあNYへ行けない正月休みにゆっくり考えようと思います。
ムダに時間を奪ってしまって、ごめんなさい。
本当は今の内に処理しなけりゃならない雑事も、こういう時に気を入れてかかりたい創作も並んで待ってるんだけど、なんとなく面倒臭くて、できたらニューヨークへでも旅立ちたい気分。舞台監督の末永って野郎は、正月前後1ヶ月もNYだってさ。稼ぎのいい奴がうらやましいね。
そんなわけで、禁煙しました。5日に一日だけ試してみたら、なんとなく持ったので、その後ニコチンガムを噛みながら続行しています。そろそろ一週間。驚いたことに、タバコを吸わなかった最初の日、自転車に乗っても早足で歩いても心臓がバクバクしない。たった一日で肺と心臓の細胞が活性化するんだから、身体がまだ若いのか、生命力の偉大さに驚くべきなのか。いずれにしろ感動です。
とはいえ、脳の細胞にはめっきり自信がなくなって、昨夜も映画の黒澤明の名前が全然思い出せなくて、今稽古中の役者さんの名前も言いまちがえてばかりいて、市川の市民活動に深入りしてかれこれ10年近く、思えばずいぶん老けてしまいました。後十年も立てばどうなるのかしら? 周りの人たちからも引退したりあの世へ旅立つ人がたくさん現われるんだろうな、僕を残したまま・・・、と思うと、ほんとに人生は過酷です。
というわけで、この際、戯曲を一本気を入れて書いてみようかと、また市川での市民活動の展望を出版物にしてみようかと、思い始めているんだけど、まあNYへ行けない正月休みにゆっくり考えようと思います。
ムダに時間を奪ってしまって、ごめんなさい。
2009年09月07日
台詞稽古
政権交代が起きて、何か日本の雰囲気が変わってきた気がします。一番よかったことは、市民が政治は変えられるものだと実感したことではないでしょうか。実際にどう変わっていくのかはこれからですが、民主主義が少しばかり成熟したのは事実です。でも、古狸ばかりが残った自民党にはもう再生能力はないでしょうから、また小沢氏を核にした政変が起きて、揺り返しが起きてくるのでしょうね。
土曜日、風の谷保育園で沢知恵コンサートを聞いてきました。ぼくの大好きな声でした。歌いぶりも情感いっぱいで満足して帰りました。
久しぶりにチャレンジド・ミュージカル「サバンナ」の稽古報告です。
稽古場は和洋大学の会議室をずっとお借りしています。感謝感謝です。国府台の高台の9階から見る景色は壮大です。気分がなごみます。でも稽古場がちょっと手狭なせいか、ざわついた雰囲気がまだ残っています。雰囲気に飲まれて落ち着かない様子で、いつもより攻撃的であったり興奮気味であったりする子もいます。若いサポーターがついて廻って、禁止的な態度をとらない形で、どうやって稽古に集中させるかといろいろ工夫している姿が頼もしく思えます。
昨日から、台詞の稽古を本格化させました。大部屋ではどうしても集中できないので、別の部屋で抜き稽古を進めました。世話を焼こうとする保護者にも出て行ってもらって、子どもだけで稽古を進めました。「台詞が多すぎる!」と文句言う子がいたり、何かと面倒見てくれる子もいたり、言われたことを反復することしかできない子がいたり、大きくてもひらがなしか読めない子もいたり、家で一生懸命練習してきたんだなあと感心させられる子もいたり、本当にいろいろな子どもの現実があります。そしてぼくはいつも、「これが人間なんだなあ」と改めて人間というものを発見する機会となっていきます。
ぼくらはいつも自分と似通った雰囲気、自分の価値観と似通った人間としか相手にしないものです。それは確かに安心を呼びますが、それがまたどれほど自分の世界を狭くしているかを、こういうときに痛感します。価値観のちがう人と議論する時や馴染まない集団の中にポツンとおかれたり、海外で言葉の通じない不安の中にいたりしているときに、いらだったり孤独に沈んだり、誰かのちょっとした親切に救われたりするわけですが、「安心」の外にはいろんな大変さがあるわけで、そのまま「生きていくことは大変だ」という実感につながったりします。
チャレンジドミュージカルを通して本当にいろんなことを学びます。いろんな子がいます。いろんな人がいます。そしてひとりの人間の中にもいろんな部分があるんだと気づきます。そしてぼくはせっかく人間として生まれてきたのに、人間の何ほども知らずにいることに悔しい思いがします。未熟な自分に呆れます。
「違いを認め合う」というのがこれからの地球的視点ですが、それを本当に実感できるまでにはまだまだ時間がかかるようですね。世界中の人が「違いを認め合う」ことができなくても、僕は死ぬまでには自分でしっかりそれを実感できる人間になりたい。ぼくの残り少ない人生課題です。
土曜日、風の谷保育園で沢知恵コンサートを聞いてきました。ぼくの大好きな声でした。歌いぶりも情感いっぱいで満足して帰りました。
久しぶりにチャレンジド・ミュージカル「サバンナ」の稽古報告です。
稽古場は和洋大学の会議室をずっとお借りしています。感謝感謝です。国府台の高台の9階から見る景色は壮大です。気分がなごみます。でも稽古場がちょっと手狭なせいか、ざわついた雰囲気がまだ残っています。雰囲気に飲まれて落ち着かない様子で、いつもより攻撃的であったり興奮気味であったりする子もいます。若いサポーターがついて廻って、禁止的な態度をとらない形で、どうやって稽古に集中させるかといろいろ工夫している姿が頼もしく思えます。
昨日から、台詞の稽古を本格化させました。大部屋ではどうしても集中できないので、別の部屋で抜き稽古を進めました。世話を焼こうとする保護者にも出て行ってもらって、子どもだけで稽古を進めました。「台詞が多すぎる!」と文句言う子がいたり、何かと面倒見てくれる子もいたり、言われたことを反復することしかできない子がいたり、大きくてもひらがなしか読めない子もいたり、家で一生懸命練習してきたんだなあと感心させられる子もいたり、本当にいろいろな子どもの現実があります。そしてぼくはいつも、「これが人間なんだなあ」と改めて人間というものを発見する機会となっていきます。
ぼくらはいつも自分と似通った雰囲気、自分の価値観と似通った人間としか相手にしないものです。それは確かに安心を呼びますが、それがまたどれほど自分の世界を狭くしているかを、こういうときに痛感します。価値観のちがう人と議論する時や馴染まない集団の中にポツンとおかれたり、海外で言葉の通じない不安の中にいたりしているときに、いらだったり孤独に沈んだり、誰かのちょっとした親切に救われたりするわけですが、「安心」の外にはいろんな大変さがあるわけで、そのまま「生きていくことは大変だ」という実感につながったりします。
チャレンジドミュージカルを通して本当にいろんなことを学びます。いろんな子がいます。いろんな人がいます。そしてひとりの人間の中にもいろんな部分があるんだと気づきます。そしてぼくはせっかく人間として生まれてきたのに、人間の何ほども知らずにいることに悔しい思いがします。未熟な自分に呆れます。
「違いを認め合う」というのがこれからの地球的視点ですが、それを本当に実感できるまでにはまだまだ時間がかかるようですね。世界中の人が「違いを認め合う」ことができなくても、僕は死ぬまでには自分でしっかりそれを実感できる人間になりたい。ぼくの残り少ない人生課題です。
2009年08月31日
民主党の大勝から何を学ぶか
総選挙は、民主党が300議席を上回る歴史的な勝利となりました。誰もが変化を求めていたわけだからそれはそれでよかったといえるでしょう。
それにしても民意とは不気味なものです。今の政治経済状況を作った小泉政権を、4年前に国民は圧倒的に支持していたわけですからね。
誰かがワーッと強烈な印象で単純な方向性を打ち出して、民意は救世主のように支持していく。その政策がほころびて、また誰かがワーッと煽り立てると、民意はそれに過剰反応する。
小選挙区制による2大政党制とは、ぼくには未熟で幼稚な人間集団の象徴のように思えます。
「変化が起こればいいじゃないか」というかもしれませんが、変化と変革とはちがいます。国民の一人一人がバラバラでいて、時の有力集団があおる方向性に安易に乗っかっていく姿を、ぼくはやはり恐ろしく感じてしまいます。
これってファシズムに似ている。おい、お前、お前の責任はどうするんだよ! と世間に向かって叫びたくなります。
これと対置するのが市民主義です。社会の主人公たる市民として、一人ひとりの判断と責任がどう全体の方向性に反映されていくかを訓練していくことが大事だと思うのです。
一人ひとりが小さな行動を起こすことから始めて経験をつんで賢くなっていくことが大事です。ぼくも含めて日本人はこの市民的自覚という感覚にまだまだ弱いですから、訓練が必要です。
たとえば近年予想される大震災問題。いずれ来ることはわかっています。でも素人である市民はどう対処していいかわからずにオロオロするか、不安を忘れようとします。
そこで専門家たちの活躍に期待します。市民一人ひとりがどう対処したらいいかの指針(マニュフェストあるいはマニュアルかも)を専門家に求めます。
でも専門家が勝手に作っていってはいけないのです。
地震専門家の役割は情報を明確に提示すること。政治専門家はそれをプラスマイナスを含めたわかりやすいいくつかの提言として市民に提示すること。
そして市民は自分たちで実践している小さな経験をもとに、提言に修正を加えて大筋で了解していく。そして行動する。
ぼくはNPOの推進者ですが、最近「NPOの10年間はなんだったのか?」と自問するようになりました。
真の市民革命となるべきと行動を始めたNPOでしたが、果たして何ほどの変革を社会にもたらしたかを考えると、忸怩たる思いにとらわれます。
でも一方で、数は少なくとも共感しあえる関係を市民の中に間違いなく築き上げているという小さな実感を持っています。
大げさに言えば、だれもが社会に役立っているという小さな実感を積み重ねていけば、日本をどうして行くか? 世界をどうして行くか? という極めて大きな難しい問題でも、自分の責任と自覚という窓から自分なりの判断が見えてくるのではないかと思うのです。それが市民主義です。
生意気言ってすみません。
それにしても民意とは不気味なものです。今の政治経済状況を作った小泉政権を、4年前に国民は圧倒的に支持していたわけですからね。
誰かがワーッと強烈な印象で単純な方向性を打ち出して、民意は救世主のように支持していく。その政策がほころびて、また誰かがワーッと煽り立てると、民意はそれに過剰反応する。
小選挙区制による2大政党制とは、ぼくには未熟で幼稚な人間集団の象徴のように思えます。
「変化が起こればいいじゃないか」というかもしれませんが、変化と変革とはちがいます。国民の一人一人がバラバラでいて、時の有力集団があおる方向性に安易に乗っかっていく姿を、ぼくはやはり恐ろしく感じてしまいます。
これってファシズムに似ている。おい、お前、お前の責任はどうするんだよ! と世間に向かって叫びたくなります。
これと対置するのが市民主義です。社会の主人公たる市民として、一人ひとりの判断と責任がどう全体の方向性に反映されていくかを訓練していくことが大事だと思うのです。
一人ひとりが小さな行動を起こすことから始めて経験をつんで賢くなっていくことが大事です。ぼくも含めて日本人はこの市民的自覚という感覚にまだまだ弱いですから、訓練が必要です。
たとえば近年予想される大震災問題。いずれ来ることはわかっています。でも素人である市民はどう対処していいかわからずにオロオロするか、不安を忘れようとします。
そこで専門家たちの活躍に期待します。市民一人ひとりがどう対処したらいいかの指針(マニュフェストあるいはマニュアルかも)を専門家に求めます。
でも専門家が勝手に作っていってはいけないのです。
地震専門家の役割は情報を明確に提示すること。政治専門家はそれをプラスマイナスを含めたわかりやすいいくつかの提言として市民に提示すること。
そして市民は自分たちで実践している小さな経験をもとに、提言に修正を加えて大筋で了解していく。そして行動する。
ぼくはNPOの推進者ですが、最近「NPOの10年間はなんだったのか?」と自問するようになりました。
真の市民革命となるべきと行動を始めたNPOでしたが、果たして何ほどの変革を社会にもたらしたかを考えると、忸怩たる思いにとらわれます。
でも一方で、数は少なくとも共感しあえる関係を市民の中に間違いなく築き上げているという小さな実感を持っています。
大げさに言えば、だれもが社会に役立っているという小さな実感を積み重ねていけば、日本をどうして行くか? 世界をどうして行くか? という極めて大きな難しい問題でも、自分の責任と自覚という窓から自分なりの判断が見えてくるのではないかと思うのです。それが市民主義です。
生意気言ってすみません。