2009年08月21日

人間の悲しさ

昨夜、BSで映画「ひめゆりの塔」(1982年版)を見ました。小早川祐子がまだ初々しくて可愛くて健気でした。

ひめゆり部隊とは、沖縄攻防戦時に組織された高等女学生による戦病傷者の看護支援を目的としたボランティア組織です。15歳から17歳あたりの女子学生が、軍部と共に行動して、沖縄各地の激戦区を逃げ惑い、最後はほとんど殺されていきました。

脚本を書いたのが市川に住んで活躍した水木洋子さんです。来年の市民ミュージカルは、水木洋子生誕100周年を記念して、「女の一生〜水木洋子ワールド!〜」と題して、氏の半生をミュージカル化しようと現在執筆中なので、つい見入ってしまいました。

映画は全編、逃げ惑った挙句の死で終わっていきます。沖縄周辺の島々で14万人もの人間がこうした死を強制されました。無残な犬死にというしかありません。

私たちは、夏には必ず「戦争はイヤだ」といいます。そしてそれで終わります。現に起きている諸外国での戦争に対して何も行動しません。「戦争はイヤだ」と口にしつつ、戦争を起こさせないための努力をしようとはしません。現に今度の総選挙では北朝鮮への憎悪を煽り立てる宗派が大挙して立候補しています(あの宗派は選挙敗北後にかつてのオーム真理教のような方向に突っ走っていくのではないかと心配です)。

誰もが嫌がる戦争というものが何故起きてしまうのか? その視点から放映されたNHKの最近の「当時の軍部中枢にいた高級将校たちの証言特集」からは、身も凍るような衝撃を受けました。

不況のどん詰まりの果てに、経済圏を争う国々が互いにエゴと憎悪を振り撒き始めます。安易で早急な解決策を声高に提起する連中が権力中枢に浸透します。その筆頭が武力解決の軍部です。情報は国民に隠され、権力中枢に集中します。でも極めて主観的に判断するから情報はいいように改ざんされます。

そして、一か八かの決戦に乗り出すしかないという雰囲気に誰もが飲み込まれていきます。立場の弱い者、視野の狭い者、発言する勇気のない者たちが自己責任を放棄していきます。沈黙するのです。誰もが危険だと不安がる中で、誰もが真の責任を自覚しないままに、開戦や特攻攻撃という重要事項が決定されていきます。組織と人間の不条理な関係が人間の存在を否定していくのです。

この組織と人間の関係性の悲劇は永遠に繰り返すしかないような、まさにそれしかないような真実の姿が人間の長い歴史に数多く現われています。何という悲しい人間の姿でしょう。あなたの会社でも、あなたの家族でも、身近な団体でも、いちぶんネットでも、同じ危険性を秘めているのでしょう。

では、どう打開していけばいいのか? わかりません。情報を公開してみんなの権利を保証していくしかない。ウダウダ、ガヤガヤ、行きつ戻りつしつつ民主主義の原理を身に付けていくしかないのでしょうか。

かつての大戦後、ある作家は言いました。「あの戦争には反対だった。でもいざ開戦してしまえば、自分の国が負けてもいいとは思わなかった」。ぼくもそこに身を置いた時、やっぱり同じ言い訳をしてしまうのでしょうか?

8月中に仕上げねばならない台本は遅々として進んでいません。
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2009年08月01日

命を張って・・・!

今回のチャレンジド・ミュージカルの稽古場としてお借りできた和洋女子大学の教室が、あまりの長時間とあまりの人数に驚いて、セキュリティーの部署から苦情が出て借りるのがむずかしくなったようで、また転々と稽古場を移動することになりそうです。

この夏はぼくも肥満防止に子どもたちと一緒に踊りまくろうと思ったのだけど、とてもついていくことができません。悲しいかな、本当に歳の限界を感じます。

話し変わって、新宿駆け込み寺をご存知ですか? 歌舞伎町で働く人々を主な対象に、DVややくざなどの問題に悩む人々の相談や緊急避難所を設置している団体です。昨日、その代表者の玄秀盛さんと短い時間会う機会がありました。

53歳、色艶のいい精悍な男です。もう5年以上やっていてマスコミでも取り上げられています。彼は相談者の話をたっぷりと聞いて後、大阪弁でまくし立てて相談者の本音を気づかせ、気づいた後は「あんたの問題や」と放り投げてそれ以上は深入りしないそうです。尤もそれ以上の世話もいろいろ焼いてるようですが。

駆け込む女性には必ず暴力的な男がついています。男は居丈高に玄さんに詰め寄ります。そうした男を受け止め、彼の主張を聞いてやることで、男の態度に変化がおきるそうです。隠し持った武器をも計算して立ち向かう度胸には、「ここで死んでも本望や」という本気があるからでしょう。

面と向かって話をしていると、柔和な表情の裏に人間の本質が見えてくる。一言で言えば迫力が違う。圧倒的な存在です。命を張って他人と向き合うとはこういう状態を言うのかなと、言い訳や優柔不断に終始するぼくなどはストレス一杯になってきそうです。

人の何倍ものスピードと味わいの濃さで人生をいきてきた男です。闇世界も経験済みです。何より自分にこだわって生き急いできたというそんな男が命に関わる体験をして、社会の底辺に生きる人たちの救い主へと変化したのです。

「好きなようにやってるだけや」と彼は言いますが、まるで毘沙門天です。船橋にもやくざ上がりの牧師さんが市民の相談役で活躍しているそうだし、市川のホームレス支援活動をしているガンバの会の会長も牧師ですが、こうした男たちには皆共通の迫力がありますね。賑やかで陽気でそれでいて存在そのものが人々に勇気を与えてくれます。

人間は過去を憂い未来に不安がって、今を生きるということにエネルギーを集中できない弱さを抱えるものです。今に集中して、「自分のことなどなんとでもなる」とばかりに他人のために奮闘するこうした人間を見せつけられると、コンプレックスと感動との両方を突きつけられて胸苦しくなるほどです。

「チンケな自分と人生など、どうともなるやないか。世の中と人に役立った方が面白いやないか」・・・その晩久しぶりに関西弁を呟いて、酒を飲んでいたぼくでした。
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2009年07月14日

盛り上がった同窓会

12日に開かれた「いちかわ市民ミュージカルフォーラム」は130名余の参加を得て、多いに盛り上がりました。

どうやら出席した皆さんは皆一様に「次回も参加する!」と叫んでいたので、来年の市民ミュージカルも大いに盛り上がることでしょう。

第1部では、受付時間に合わせて、これまで4回の上演シーンを簡潔に30分にまとめた「いちかわ市民ミュージカルメモリー」の上映。懐かしい思い出のシーンに会場は湧きかえっていました。そして第1回の実行委員長の買場都明さんの挨拶があって、「夢を実現したいと気負いこんだものだ」という言葉が印象的でした。

その後、歴代レパートリーの中から、「わが街市川」(第1回)、「だいじょうぶだよ!」(第2回)、「いのち」(第3回)のカーテンコール曲を合唱して、「猫ダンス」の総踊りがつづく。これらは、市川テレビの取材を受けて、いつか放送されるのでしょうが、歌はともかく、猫ダンスの踊りだけはさすがに見られたものじゃなかった。
放映されるのはちょっと恥ずかしい気分ですが、まあ稽古時間も少なかったわけで仕方ないことでしょう。

休憩と軽食談話中に、DVDの再上映。これは1000円でお分けしていますので、ご希望の方はお申し込みください。作品自体がどんどん成長している経過が良くわかります。

第2部では、私と須藤文江さんの司会でインタビューの時間。「自分にとって、市民ミュージカルとはなんであったか?」「市民ミュージカルが自分をどう変えたか?」といったテーマで、子どもから大人から、意見を聞きました。

皆が一生懸命応えてくれたことに感動しました。「閉じこもりがちだった自分に自信ができた」「家族参加して、大きな絆が生まれた」「何もできず、何もなかった自分が今では演劇活動に喜びを見出した」などなど、子どもも大人も、自分や家族にとって、市民ミュージカルの活動がどんな影響を与えたかを、どんな形で人間的成長に結びついていったかを、真剣に振り返っていました。表現活動の持つ偉大な影響力を改めて実感しなおしたところです。

プランナーや指導者たちの意見もありました。いちかわ市民ミュージカルのような活動は他の街では見られないこと、この街には市民のものすごいエネルギーが蓄積されていること、を皆驚きの表情で語ってくれました。
そして、表現的課題も、次回からはもっと歌詞や台詞を明確に表現する努力をして、メッセージ性を高ようという課題も確認し会いました。

最期は「世界中の子どもたちを」(第4回)の大合唱。さすがに昨年の舞台だけにひときわ大きな声が上がっていました。あっという間に13時の終了時間。まだまだ語り足りない余韻もあってか、会場前の駐車場から去ろうとしない人たちで、名残惜しい時間となりました。

次回は、これまで膨らみに膨らんだ予算をどう削減していくかの大きな課題があります。最初の実行委員会が7月31日に開催されます。新参加者の熱い参加をお待ちしています。
いちかわ市民ミュージカル FOREVER!

これを書いている間、近くの市川球場で開かれている高校野球大会の歓声が続いています。何事であれ、燃えて生きる喜びは、最高ですね。
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2009年07月11日

改めて、「すごい活動がここに・・・!」

7月12日(日)10時〜13時 駅南公民館で、いちかわ市民ミュージカルメモリーと謳ったフォーラムというか同窓会が開かれます。

それに先立ち、5日の合唱とダンスの稽古には50名が集まり、11日にも稽古が予定されています。12日の当日の参加申し込みは現在100名。実質的にはもっと多くの方が参加してくるでしょう。

その日は、第1回から第4回までの公演舞台から各1曲のミュージカルナンバーを歌い踊ることになっています。そして、各舞台の記録をDVDにまとめて上映します。そうして過去を振り返りつつ、「参加者一人一人にとって、市民ミュージカルとはなんであったか? 市民文化芸術活動の持つ意義とはなんであるか?」を再検証しつつ、今後の方向性を探ろうと、まあ、硬く言えばそういうことなのですが、同窓会として多いに盛り上がろうというのが本音です。

DVDとしてまとめなければならないために(恒松龍兵氏にお手数をかけることになっています)、空いてる時間に1本づつ上演映像を見直しました。ぼくは上演してしまえば終わりという宿命を持つ演劇を仕事としている人間として、過去を振り返ることはあまりしないので、面倒臭いと思いつつ仕方なしに見直していったんですが、なんと! なんと・・・!

面白い! 作品の1本ごとが実に面白いのです。舞台のできも然りながら(実際、これだけの規模と質を保証し続けている市民ミュージカルは全国でも一番だと思います)、1作ごとに見事に発展成長していっているのです。まさに子どもから大人までのエネルギーが爆発しています。

2002年からの8年間、よくぞこんな大変なものすごい公演を続けてきたものだと改めて驚くばかりです。なつかしい顔が一杯です。中には既に亡くなった方も、遠くへ移っていった方も、最近トンと顔を見なくなた方もいます。でも半数近くの方はやっぱり同じ顔を、8年の年月を生きてきた顔を映像の中に輝かせています。

子どもがどんどん成長していきます。青年がどんどん大人の顔になって生きます。そして壮年なり老年なりは・・・! 

その一生懸命な顔、緊張した顔、思い切り満足した顔、泣いている顔、その一つ一つの顔が大きな市民の顔となって、生きている喜びを画面いっぱいに訴えています。何という壮大なエネルギーでしょう!

本当にものすごい活動が、ここ市川という町に育っているのだなあと、改めて感動するばかりです。この宝物をこれからどうしていけばいいのでしょうか?

12日には、ぜにたくさんの方が集まって、自分たちの歩んできた足跡を楽しみあいたいものです。そして、自分の人生を、仲良くなった友人を、わが町を、どうしていきたいのかを語り合いましょう。当時のお客さんもつれて、ぜひ合いに来てください。

追記して、市民税1%寄付金の申請をしていない方はぜひ申請をお願いします。96番です。締め切りは10日です。
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2009年07月03日

若い命が・・・!

つらいご報告です。
4月から事務局に入ってくれている(新理事でもありますが)「ひで」こと谷水秀光さんの弟さんが交通事故で亡くなられました。高校3年生だそうです。
千葉新聞に記事が出ていました。右折する自動車に二人乗りのオートバイが激突して、二人ともほぼ即死だったそうです。
ぼくは車にもバイクにも自転車にも乗っています。車に乗っているときはバイクや自転車が見えないものです。バイクのときは一時停止を無視したり、車の間を縫うように走り抜けるものです。どうやら自動車側の不注意だったようですが、人は事故を起こすもの、二人の若者が制御できるスピードの範囲で走っていたらと悔やまずにはいられません。
ぼくの古い友人がむかし、自動車というものの危険性を訴えて、自動車会社に対して危険な暴力装置を販売しているのを告発していたことがあります。そのときには、「そんなこといったって・・・」と笑い飛ばしていたものですが、近頃は、本当にそうかもしれないと考え直すようになりました。
いずれにしろ17歳という若い命が二つ殺されてしまいました。ひでを始めご家族は茫然自失といった有様でしょう。なんとも悔しいことです。命とは・・・と書き付けようとして、なんだかこの場にふさわしくない気がしてやめます。
今はただ、合掌するのみです。
谷水家のご葬儀は以下に執行されます。

斎場:馬込斎場(船橋市馬込町1102番地1)
    0474−38−1151
日時:お通夜・・・7月2日(木) 18時
    告別式・・・7月3日(金) 11時

合掌。
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2009年06月24日

友の死

昨夜、お通夜がありました。

青年の頃から一貫して子ども劇場やNPO活動に身を挺してきた男です。56歳、すい臓がんでした。
誠実で勤勉で誰もが信頼を寄せる男でした。通夜の席では、彼を見つめてきた誰もが「活動の犠牲になった」という評価をしていました。

確かに一時期は精神科のカウンセルを受けたり、すい臓がんはストレスの結果だという話を元に、ここ10年の彼の置かれた状況を同情的に回顧する言葉だったのかもしれません。
でも、それだけで彼の人生を括ってしまっては、やはり悔しい思いが残ります。

子ども劇場おやこ劇場は40年前に全国に波及して、子どものための鑑賞事業や体験事業を推進してきたとても大きな団体で、一時期は会員100万人も夢ではないと豪語してきたものです。ぼくも子どものための演劇を提供する形で活動に関わり、最近まで全国センターの理事も担いました。

戦後の民主主義の高まりに応じる形で誕生したさまざまな市民組織が一様にそうであるように、少子化が叫ばれるようになった20年前ぐらいから、会員減少と共にさまざまな組織的問題が目立つようになっていきます。

運動論の違いや人脈の分断化といった、退行組織に良く起きるさまざまな軋轢が目立つようになっていきます。歴史的役割を終えた組織は消滅すべきだというのがぼくの理想論ですが、現実にはたくさんの会員と事業を抱えた組織ですから、そう簡単には解散できません。そこで相も変わらぬ組織的分断が起きていきます。

その狭間で、誠実ゆえの苦悩が彼を苦しめたのも事実です。周囲からいろいろと責め立てられ、責任を抱え込み、問題公開の原則で解決に当たろうとして、圧力下に沈黙してしまいました。

今では悲しく総括せざるを得ないのですが、人間の集団的営為とはなぜこうも悲しい結果に終わるのでしょう。人間の歴史的悲劇とはほとんどこの問題に尽きるといっても過言ではないでしょう。

いいときもあれば悪いときもあるといってしまってはそれで終わるのでしょうが、この団体のここ十年のさまざまな問題を見ても、ぼくを含めて誰一人幸せに終わった人がいません。
皆が一様に無力感に悩んでいるのです。そして今も、問題を克服しようとして苦闘している人たちがほとんどです。

でも彼は、青春のある時期、「子どものために」との思いでエリートコースを外れ、その後のエネルギーをすべて運動に捧げてきました。頼もしい子孫も残しています。集団的営為の健康的な側面も十二分に堪能してきました。見事な人生だったと思うのです。

通夜の席では、泣きくれる母の傍で、大人となった子どもたちが力を込めた目つきで焼香者の一人一人と礼を交わしていたのが印象的でした。

合掌。
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2009年06月17日

荷風公演は何を残したか?

「荷風幻像〜老愁は葉の如く〜」公演4ステージが終演しました。

最終日は立ち見も出て、述べ1000名近いお客様に見ていただきました。何もかも怖いくらいにうまくいったというのが実感です。

会場から出てくる客の誰もが「面白かった。荷風作品を読みたくなった。こうした大人向けの作品をこれからもやってほしい」と声をかけて帰っていかれました。

今回の公演には、市民文化プロデューサーとしてのそれなりの仕掛けと計算がありました。
市川市に在住した永井荷風の生誕130年没後50年を記念する事業に市民側からの企画を提示して行政との共催を実現すること。
エピソードの多い荷風さんをもっと市民に知ってもらうことで、市川市の文化遺産を再評価すること。
そしてより大事なことは、市民芸術文化の力を多くの人たちに誇示することでした。

そのためには、観劇された市民に「面白い!」と実感してもらわなくてはなりません。
作者としては、市川と荷風の関係に絞って家風という人間の魅力を紹介することをテーマに取り組みました。
演出家としては、市民俳優の持つ力を最大限に引っ張り挙げて、しかも楽しく稽古を重ねていけるように努力しました。
一般公募で参加してきた市民俳優たちもそれに良く応えて本当に楽しげに演じてくれました。半年間の稽古、構想と執筆を入れれば1年間の動きガ高評価で受け入れてもらえたのだから、大いに満足です。

荷風さんは本当に面白い方です。知れば知るほど味が出てきます。芝居屋としてもっと深く探っていきたいと、もっと違った視点から荷風を書いて行きたいと思います。いつになるかわかりませんが、構想を続けていきます。

市川市との連携も一層深めていきたいと思います。市民文化に投資するという姿勢は見られませんが、補助金一辺倒ではない協力の形は市川市のほうでも考えてはくれるでしょう。
再演の要望も市民から出ていますし、来年度の市民ミュージカルに向けた協力依頼の話も進めていこうと思います。

打ち上げパーティーは実に盛り上がりました。初参加の出演者ガ一様に「人生初めてといえる楽しい経験でした」と口にしていました。
市民ミュージカルやチャレンジド・ミュージカルでもそうですが、大げさに言えば参加する人間の生き様まで変えていける力が表現活動にはあるのです。

「面白い活動は、人を街を、元気にする」 だからこそ、やめられません。
ご支援ありがとうございました。
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2009年06月11日

ホッチキス止めのバイトで食える!

荷風幻像の舞台仕込が始まりました。

市川市との共催なので、仕込み時間には余裕があります。いつもの癖で、会場全体を全くすてきな劇場空間に変えるために、プロスタッフも市民スタッフも、朝から晩まで働きづめになっています。

今回の出演者は、いつもの劇団七福神関係者10数名に加えて一般公募で参加してきた方々20数名も。この新人たちの驚きようったらありません。

会場となるグリーンスタジオに入ると、どこから集まったのかというばかりのたくさんの市民が協力して会場作りに励んでいます。見る見る何もなかった空間にセットが立ち上がり、照明が当たって、劇場空間へと変貌していきます。

ロビーでは、上がったばかりのパンフレット用紙を重ねて、真ん中にホッチキスを当てて、二つに折って、来場者に無料配布するカラーパンフレットが出来上がっていきます。(実は5万円の差額を嫌って、冊子作りは皆でやろうということになったのです)

すべてが人海作戦です。市民ミュージカルを始め、これまでいちぶんネットの事業に参加してきた人たちには見慣れた光景でも、新人たちには驚くべき光景に映るようです。

「どうしてこんなにたくさんの人が協力してくれるの?」「舞台空間を隅々まで変えていくことに、どうしてこんなにこだわるの?」。そして、皆が一様に「市民活動が、こんなに力強いものとは知らなかった!」と感嘆の声を上げています。

1500部のパンフレットを作成したグループの中に、ずっとサラリーマンで退職したHさんがいます。1500部作成という目標に汗を流して、いつ終わるやらとこぼしていたのが、作業の途中からより能率的なやり方を発見して、気づいてみれば半日で終わっていました。みんなと馬鹿話を笑いあいながら作業する市民活動の楽しさを実感したようです。

「ぼくはホッチキス止めのプロになりました。もうこのバイトで食べていけます」と胸を張っていました。

今日の職場とか家族とか地域とか、誰もが弱い結びつきの中で孤独な生活に慣らされています。少しばかりの余暇の時間が生まれても、一人分の趣味の中で埋没しています。そうした生活に慣れきった人たちが何かを求めて集まると、とてつもない創造的で楽しい時間が生まれます。まさに人生が変わっていくのです。

作業終了後の一杯飲みながらの席で、次々と打ち上げられる雄たけびを聞きながら、仕掛け人たるぼくはにんまりとしつつ、「面白い活動は、人を街を、元気にする」と、改めて実感しています。

会場は観客席の一部を桟敷にして、定員枠を拡大しました。まだまだは入れます。13日と14日の公演に、ぜひ彼らの輝く表情を見に来てください。お芝居も面白く仕上がっています。
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2009年06月07日

ガラスの家族

昨夜、六本木の俳優座劇場で劇団朋友の「ガラスの家族」の公演があって見に行きました。いちぶんネットの公演のスタッフとして協力してくれている松川美子さんが出演していることもあって、会場には馴染んだ顔を見られました。

この作品はぼくが25年前に書いて上演した作品です。アメリカの児童小説ガ原作で、育児放棄された少女が里親制度の中で次々とたらいまわしにされた挙句、めでたく実の親との暮らしを再開するといった話にはならなくて、やっぱり親に拒否されて、「それでも自分で生きていきなさい」という自己責任の極みのようなテーマとなっていました。

25年前に良くそんな主張ができたものと改めて自分でも驚いています。

舞台は、もう少し笑わせてくれ、泣かせてくれ、と思わないでもないですが、すっきりと嫌味のない出来となっていました。「台本がいいからよ」とおだてられましたが、確かに直線的な若々しい台本ではありました。会場には当時の劇団メンバーも揃っていて、なにやら同窓会的な楽しい気分で楽しい一夜となりました。

30代前半、自己主張したい未熟な演出家にスター主義の劇団の壁は厚く、チャンスは自分で打ち出すしかありませんでした。かといってオリジナルを書く自信もなく、本屋や図書館の棚をウロウロと探し回っていたときに、ピカリと光ったように感じて手を伸ばしたのが原作でした。

児童書でした。そして、新劇といわれる大人相手の芝居ばかりしていた当時の劇団で、当時盛んな子ども劇場や学校演劇の分野を新しく開拓していこうと決意して、奮闘したものでした。結果は全国を巡る500ステージ近い評判作になりました。ぼくの本格的なでデビュー作となったのです。

人生には、その時にかける時期というものがありますね。その後十数年、いくつかの評判作を物にして、高校鑑賞会を席巻したこともありましたが、残念ながらそれどまり。劇団や新劇界を揺るがす存在とはなれずにストレスのたまるばかりの時期を経て、市川での市民文化活動に何かを求める方向へと転化していきました。そしてこの7,8年は、またぼくにとっての新しい奮闘の季節となったのです。

大した人生ではないけれど、こうして振り返れば、人にはさまざまな人生の節というものがあるようです。それを因果というのでしょう。本人に00をしたいという漠然とした、しかし確かな思いがあれば、いつかピカリと光る瞬間が生まれます。その時にそれに喰らいつくか見捨てるかで人生のありようも変わっていきます。子どもたちにはもちろんのこと、大人の皆さんも、決して諦めることなく、その時期を準備していきましょう。因果とは決して成り行き任せということではないのです。

公演は10日までやっています。よろしかったら見てあげてください。
posted by ヨッシー at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2009年05月24日

マンホール・チルドレン

昨夜、BS2でモンゴルの首都ウランバートルのストリートチルドレンを10年間にわたって取材したドキュメンタリーがあった。
 零下30度を越える極寒の地で、ストリートチルドレンはマンホールの穴から地下にもぐり、社会主義時代に張り巡らされた地下の給湯パイプにまたがる形で寒さに耐える。社会主義が崩壊し弱肉強食の自由競争の時代へと移っていく中で、たくさんの貧困層が取り残されていく。6000人とも言われるそうした子どもたちの中の3人の男女を10年間にわたって連続取材した好番組だった。
 16歳で出合った彼らは26歳になっていた。暴力や暴行、やくざが絡んださまざまな悲劇が起こったと想像できるが、番組はそうした視点より、3人の男女の大人へと成長と愛憎の葛藤の10年間にテーマを絞り込んでいた。
 26歳の彼らは皆資源ゴミ集めと販売の日雇い労働で暮らしている。その間、愛も生まれ子どもも生まれ、自分を捨てた親を呼び自力で掘っ立て小屋を立てて一緒に住み始める時期もあった。その頃の青年の表情には希望があふれている。不幸におぼれず、明日のために前向きに歩む輝きがある。
 そしてまた三年。やり手だった男は酒におぼれ、妻子に暴力を振るう。手下のような存在だったもう一人の青年が妻子を引き取り、生活を築こうと努力している。地下の穴倉で泥酔から目覚めた男が見上げるマンホールの穴から見える空は青く澄み切っている。その空を見つめながら男は自作の唄を口ずさむ。
 涙ながらに見ていたぼくの感想は、意外にも「人間はすばらしいな」という実感だった。親に裏切られ、小さな頃から暴力と貧困に耐えて、自殺を試みたり、また親や仲間への愛にすがったり、希望と絶望の繰り返しの中で、自分の存在を模索し続ける青年たち・・・
 人間だから苦しむ。人間だから裏切る。人間だから希望にすがる。時にはそうした感情に耐えられずに狂気に走らざるを得ないかもしれないが、人間的でありたいという欲望を捨てることはない。
 彼らは社会から見捨てられた存在だ。立ち並ぶ高層ビルの地下に追いやられて振り向きもされない。それでも人間は生きていく。苦悩と絶望の中で、たまに来る希望にわずかばかりのエネルギーを呼び起こして、自分と周囲を傷つけながらも生きていく。その姿をすばらしいと思う。
posted by ヨッシー at 18:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 未分類

2009年05月02日

子どもを泣かすな!

子どもの虐待殺人の報道が目に付きます。歳のせいか、こういう事件を耳にするだけで泣けてきます。

「なんて非道な親だ!人間のすることか!」と、我々はすぐ親を追及してしまいますが、その親たちもまた、虐待されて成長した体験を持っている場合が多いようです。虐待の連鎖ですね。加えて、昨今のストレスの多い生活、貧困や失業や首切りが増えていく状況が重なって、虐待される子どもの数も急増していくのでしょう。

こんな記事がありました。10代の二人の女性が、「どれだけの熱さに耐えられるか面白いから実験しよう」と、我が子を熱い湯船に押し込んだり、肩から熱湯をたらしたりして、苦しむ子どもの様子に笑い転げていたということです。これなど、どう理解すればいいのでしょう。人間的な存在としての根本のところで疎外されたまま成長した悲しい姿があります。

なんだか、たまらなくなります。

児童虐待に関しては、虐待の可能性に気づいたら児童相談所なりに通告する義務が市民にはあると規定されています。近所の危険性を機関に通告するなんて、かなりの勇気のいることですが、子どもの命を思えば、勇気を出して立ち上がらねばなりません。まず市民としての覚悟も要求されているのですね。

児童相談所を始め対処する機関もあるようですが、とても手に負えない事態となっているようです。老人福祉や教育界など福祉関係はすべてそうです。ぼくもNPOをやっているからわかりますが、NPOやボランティアといった市民的努力だけでは、とてもじゃないが対応できません。小泉内閣以降の構造改革という名の社会的予算の削減が、こういう部門でどんどん悪影響を現わしています。

アメリカ駐留軍施設の思いやり予算が5000億円、自衛隊のミサイル防衛システム開発に数兆円、そして100年来の不況と呼ばれる、実は何のことはない、自由競争という名目で世界的な金融資本の得手勝手な荒稼ぎが無数の市民のなけなしの金を吸い取っていくだけの所業を容認する政策、全くこうして並べるだけで腹が立ってくる政策を、結局私たち市民が許してしまっている情けなさ。

「子どもを泣かすな! 殺すな!」と叫びたい。でももっと大きな世界に目を向けて、そこを変えようとする努力とつなげていかなければ、子どもを泣かさない社会は実現できないのでしょう。

でもだからといって、地域の子どもの今ある不幸をすぐにも救い出さねばならないわけで、やっぱり同じ地域の住民として、何をできるか、できることを運動にしていくことも大事ですよね。

市民文化活動家を自負するぼくに突きつけられた重要課題です。

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2009年04月10日

三文役者

父の部屋で本棚に並ぶスクラップを見ていた男の子が「へえ、お父さんは役者なんだ」と驚いています。傍の姉は、父の話題を嫌います。パート仕事に忙しい母に生活の苦労を押し付けて、父を無責任な怠け者としか見えていないからです。

お父さんが帰ってきました。普段はあまりしゃべらないお父さんも、息子にせがまれて、「ちょい役ばかりの売れない三文役者だが、ハムレットをやりたい夢があって、いつまでも芝居を諦めきれない」と語ります。

ある日、そのお父さんにハムレットのオーディションが転がり込んできました。意気盛んに受けたオーディションで、ハムレットの役についたのは映画スターでした。お父さんはやはり下僕の役です。
それでもお父さんは喜び勇んで稽古に参加します。ちょい役ですから、上役の灰皿を洗ったり、いろいろとこき使われます。稽古が進んで本番の幕が開きます。生活に忙しい家族は見に行こうとはしません。

上演中のある日、ハムレット役の映画スターの撮影が延びて、明日は公演中止かという事態になります。あわてるプロデューサーたち。そんな中で、ある先輩役者がお父さんを推挙します。お父さんがハムレットのすべての台詞を覚えている、舞台袖でいつも口ずさんでいたことを知っていたからです。プロデューサーの前での臨時のオーディション。お父さんは見事に演じて、臨時のハムレット役に決まります。

家族は大喜び。花束を持って、初めてみんなでお父さんの晴れ姿を見に行くことになります。翌日の楽屋。そわそわといつもの雑用をこなすお父さんに、先輩役者が言います。「ハムレットなんだから偉そうにしてろ」。

すっかり衣装もメークも付け終わって出番を待つお父さんに、どよめきが聞こえます。映画スターが間に合ったのです。
家族が見つめる前で幕が開いた舞台では、お父さんはやはり下僕の役でした。家族の悲しい顔。

万来の拍手の中で幕は閉じます。観客席の家族は、「せっかくだから、お父さんと一緒に帰ろう」と待っています。恥ずかしそうな表情でお父さんがやってきました。無言の家族。舞台には誰もいません。

お父さんは言います。「俺のハムレットを見てくれ」。お父さんは一人でハムレットを演じ始めます。
楽屋ではまだ大勢の下役の俳優が酒盛りで残っていました。舞台から聞こえる声に怪訝な表情で反応します。「一体どうしたのか?」。先輩俳優が覗くと、舞台で一人ハムレットを演じているお父さんの姿がありました。観客席ではジーッと見つめる家族の姿も。先輩は、合いの手で答えて、舞台に登場します。お父さんお相手役を勤めるのです。次々と仲間の下っ端俳優たちが登場します。お父さんの驚きと興奮。見事に演じきって、ハムレットの死の場面を迎えます。家族の大きな感動の拍手とともに、舞台は幕を閉じます。

これは、先日あるプロデューサーから聞いた又聞きの台本。韓国の作家が書いて、有名になり、今映画化の話もあるようです。
どうですか?
こういう台本が書きたい。
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2009年03月31日

雑感二題

新千葉県知事が誕生しました。
正直、残念な結果です。彼は役者をやってた頃から好きなタイプではなかったのですが、政見放送を見ていても、具体的な政策に乏しく、ただ「元気!」を強調するのみで、人間的魅力と知性を感じられなかったからです。
でもまあ、大阪府や宮崎県のように、知事のパフォーマンスで注目されていくことを期待しましょう。人間と同じで、注目されるということは大事です。周囲から「気」をもらうことになるからです。良きにつけ悪しきにつけ、話題となって、県民の議論が沸騰して意識も深まっていけばいいと思います。

もう一話。先日、千葉市民ミュージカルなるものを見てきました。知人家族が出演していたからです。
劇団0000創立40周年記念・市民ミュージカル公演 と銘打つ公演のあり方に疑問があったのですが、予想通り極めて腹立たしい感想を抱いて帰ってきました。
出演した知人には申し訳ないですが、そして出演した市民俳優たちは皆健気に楽しく演じていたのですが、中身は作も演出も稚拙で、長たらしくお粗末なお涙ちょうだい物語で、途中で帰りたくなるようなミュージカルでした。
それは仕方のない話ですが、「市民ミュージカルとは何か?」というぼくのこだわる意義の核心を揺るがす問題がそこにあるので、話題にすることにします。
カーテンコールで演出者が登場して述べた口上に、それは現れていました。千葉市で劇団0000が40年も活動を続けてきたこと。その記念公演を盛大にやれたことに感謝すると得々と語っていました。公演の本質がそこに見える気がしました。
劇団公演を大々的にやりたい。でも自力では無理なので市民参加を仰ぎたいということだったのではないか。
「ちがうだろう!」といいたくなります。それだったら「たくさんの市民の協力で成り立った劇団公演」と名称すべきでしょう。少なくとも市民ミュージカルを名乗るべきではありません。市民ミュージカルだからといって、もし行政が過大な支援をしていたら癒着です。
市川でも今同じような活動が動いています。市川市との共催で、「市川の永井荷風」上演委員会を結成して、芝居作りをしています。元々は劇団七福神の皆さんと荷風生誕130年を祝おうと話し合っていた中から生まれた企画ではありますが、市民参加事業にしようということで動き始めました。その際に劇団の皆さんとは、劇団公演ではなく、あくまでも市民公演であること。参加は市民公募に徹し、配役も資金も完全平等に徹すること。芝居づくりに多少とも経験のある劇団七福神が活動をリードしたり裏方を担ったりすること・・・などを確認しました。
そして今、市民30余名が楽しく市民エネルギーを発揮して稽古中です。行政もいろいろな協力をしてくれています。
いちかわ市民ミュージカルでももちろんのこと、市民ミュージカルを名乗る以上は市民から生まれ市民が楽しみ、成果は市民に帰することにこだわらねばなりません。経験ある個人や団体は市民を利用するのではなく、市民と共に楽しむことにこだわるべきです。そこから市民的広がりを持った新しい市民文化が生まれていくのです。
市民とか市民ミュージカルといった言葉を軽々しく使うな! と、新しい市民文化のあり方にこだわるぼくとしては、文句の一つも言いたくなりました。
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2009年03月25日

天は自らを扶くる者を扶く

WBCで日本チームが世界一を極めました。
このニュースが日本中を沸き立たせ、興奮歓喜させています。僕も、なるべく見るようにしていました。
こういう闘いはいいものです。言わば代理戦争のようなもので、民族の持つ団結心や競争力を、時々こういう形で発散させておく方がいいと思います。
関連番組を見ていて、二人の選手に注目しました。
岩隈投手。正確なコントロールで勝利に貢献した彼は、5年前、年間15勝で新人デビュー。その後肩と膝を故障し手術して復帰しましたが、しばらくは年間1勝、5勝、と低迷し、「岩隈は終わった」と噂されました。故障を契機に、自分のリズムを取り戻せずにいたのですね。一昨年だったか、完全復活を果たして、今や日本のエースの一人に登りつめました。
低迷していた数年間、果たしてどんな思いだったでしょう。過去の栄光を引きずるゆえに、その絶望と焦燥の深さは並みではなかったでしょう。
よく野球馬鹿といって、ガキの頃から野球一途に生きてきて、野球を取ったら何も残らない人間のことを言うのですが、ぼくはこの言い方が嫌いです。
確かにそういう人もいるでしょうが、ある世界に一途に生きていた人の人間的魅力の深さと浅さの違いは、「その世界が心の底から好きだったかどうか?」ではないかと思うのです。どの世界でも修行は厳しいものです。その修行を「やっったか、やらされたか」の違いが人生を大きく変えるのではないかと思います。
岩隈選手は野球が好きだった。もうダメではないかという絶望とまだやりたいという希望との闘いの中で、野球を好きな自分に賭けて勝利したのだろうと想像できます。こういう人間にぼくは憧れと尊敬の念を持ちます。
もう一人はイチローです。あれだけの期待を浴びて、彼は絶不調でした。普段の彼は偉そうです。自他共に認める第1人者ですし、周囲への要求も高いことでしょう。そういう人間が不調となると、反発も強いものになります。原監督も代えるに代えられない、イチロウと心中するといわざるを得ない、つまり天に任せた(逃げた)わけです。
延長戦のチャンスの中で、 イチロウは来る玉来る玉をファウルして喰らい突いていきます。そして、根負けしたピッチャーの投げた絶好球をセンター前に打ち返したのです。
恐るべき闘争心がそこに見えます。それを支えた彼の修行の月日を誰が驚かずにおれましょう。「好きな道で努力する。人の何倍も苦労しつつ道を究める」・・・やっぱり人間の美しさを教えてくれます。
天は自らを扶くる者を扶く・・・心がなえた時、やっぱりこういう人たちの存在がどんなに勇気を与えてくれることでしょう。
「好きな道を究めなさい。その道を好きになりなさい。」・・・子どもたちにぜひ学んでほしい人間の姿ですね。
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2009年03月06日

達成感 四話

昨夜、4回連続のクラウンワークショップが終了しました。
最終日は恒例の3分間一人パフォーマンスの発表。チャレンジド・ミュージカルにも参加しているSさんご一家。初めて顔を見せたお父さんに今回は注目しました。
どこか気の弱そうな(失礼)、いつも肩が上がって丸くなっているそのお父さんが、いの一番に発表しました。赤い鼻をつけたクラウン、釣りを楽しんでいて、最後は自分を釣ってしまうというパフォーマンスでした。子どもの発表はありませんでしたが、お母さんも笑いを取っていました。終わった後の家族で寄添っている姿がなんとも印象的でした。4日連続で家族丸ごと参加して、人前でパフォーマンスを演じきった達成感は、きっと家族の中に大きな宝物を残すことでしょう。

ぼくの奥さんは中学の先生です。先日卒業生を送る会を1,2年生合同で開き、さまざまな発表をしたそうです。案内状の作成から演劇発表まで、表方から裏方まで、生徒たちが目を見張る活躍ぶりを見せたようです。たった二言のセリフを言う犬を演じた2人の子どもは、「好きにやっていいよ」という指導を頼りに1週間も「ああでもないこうでもない」と工夫して、本番では見事に笑いを取ったそうです。音響係のグループも音作りから当日のきっかけオペレーターまで、何度も何度も自主稽古を重ねて成功したそうです。
その後の感想文で生徒たちが一様に書いていたのが「達成感の喜び」、それも実に具体的に「作業分担と連帯」の大切さを実感したと、皆が一様に踊るような文章で書いていたそうです。

先日BS2で放映していた映画「プレイス・イン・ザ・ハート」。不慮の事故で夫を亡くした白人主婦が、渡り人の黒人や戦争で盲目となり絶望していた下宿人の援助を受けて綿花作りに成功して、苦境を脱するという内容ですが、黒人はその活躍をねたむKKK(黒人差別を是とする人種差別主義団体)に脅迫されて、そこを去らざるを得なくなります。
別れの夜、主婦と黒人は会話を交わします。「あんたはやったわ。私たち綿花栽培に成功したじゃない?」「ああ、俺はやった」

そして、7日はチャレンジド・ミュージカルの千葉公演。終演後にきっとみんなでこういう言葉を交し合うことになるでしょう。「私たちはやったね?」「そう、私たちはやった!」

蛇足ですが、「達成感」というものが、人間が生きていく上でどんなに大事かを考えています。人生は一つ一つの石を積んで石垣を築いていくようなものです。達成感という石です。何か予期せぬことで、どこかの石垣が崩れたとしても、別の達成感という石を積んで修復し、また石垣を築いていくことでしょう。
「私たちはやったね?」「そう、私たちはやった!」・・・美しい会話ですね。
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2009年02月18日

NYからクラウンがやってくる!

今週半ば、いよいよNYから、NY・シティクラウンズがやってきます。

一度共同作業をやっているし、気の置けない連中だから(正しい表現かな?)、今回もうまく行くとは思うけど、やはりお互いに緊張しあうものです。障害のある子どもたちとクラウンズがどういう出会いをして、どんな楽しい時間を共有して、どんな表現を獲得できるのか、期待は膨らみます。

セリフへの挑戦を試みる子どもたち。どんどん様になってきました。15日の稽古では、「最後にもう一回通したいけど、やってくれるかな?」と問うたら、「イイヨ!」と元気のいい声でやる気を見せてくれて、本当にうれしかったです。声も日増しに大きくなっていくし、何より自分たちの活躍の場であることを誇りに思っている姿がいいですね。

本当は、「ドラマとは別の人間になること」をもっとわかる形で挑戦したかったのだけれど、あまりに無時間がなさすぎて、それは今後の課題です。

チャレンジドの子どもたちには、あせらないで、ゆっくりと、楽しむことを大事にして創っていけば、なんだってやれちゃうと思うのだけれど、舞台づくりの現場では時間との闘いという部分もあるので、そこがむずかしい現実です。

だからこそ、もっとゆっくりと作業しあう日常的なレッスンの場が必要になってくるのでしょう。それと、勤労福祉センターの体育館はなんとも表現活動には不向きな空間でした。声がワンワン反響しあって何を言ってるのかわからないします。子どもたちも普段と比べてずいぶん落ち着きのない状態ではありました。

そういえば、チャレンジド・ミュージカルを始めた最初の頃は、市川学園の研修室を借り切って、毎回同じ稽古場で、稽古後の打ち合わせもじっくりとできて、贅沢させていただいたけど、このごろは毎回違う稽古場で、どうにも落ち着かない状態になってしまうのも否めません。

そろそろ本気で稽古場開設を考えていかねばならないのでしょう。今朝も新聞で、柏市の倉庫を借りて美術ワークショップ会場を開設した話が載っていました。最近、ぼくもあちらこちらで、「市川ユニバーサル・アーツ・センター」の話を振る様にしているのですが、すると、「あの建物はどうだ?」「どれくらいの広さがほしいの?」といった話題が生まれるものです。夢とはこうして動いていくのかなと思い始めました。

いよいよ本腰を入れて、稽古場兼作業場兼劇場兼市民事業発信の場開設の夢を振りまいていこうと思います。

皆さんも情報を教えてください。どこかに長期に貸してくれそうな土地や建物はありませんか?
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2009年01月09日

新年、明けましておめでとうございます

私事で恐縮ですが、一年振りに会った実家の母は96歳。2週間前に転んで、幸いにも筋肉痛のみですみましたが、両手に風呂の湯をかき回す棒を杖代わりに、ヨタヨタと歩いておりました。もう先は長くはありますまい。その後姿を見て、つい涙ぐんでしまいます。

次兄が近くに居を構えていますが、基本的に一人暮らしです。普段は食事もほとんど一人でしていますので、寂しいと呟いていますが、同居を拒んで自立しています。「若い」と言われるのは、そのせいだと思います。自分の力で生きていくということがどんなに大事かを教えてくれる母であります。

さて、今年のいちぶんネットは3月にチャレンジド・ミュージカル公演を実施した後、すぐに第5回目公演の稽古に入って、11月には、幕張で開催されるチャイルドライン支援センターの全国大会でお披露目公演を行います。全国デビューの第一歩となるでしょう。

これまで5年連続で実施してきた伝統子ども教室も、助成は打ち切られますが、継続開催の声が多いために、講師陣の承諾を得て、今年以降も実施の方針です。

冬には、お見合いミュージカルを開催しようと企画中です。参加資格はパートナーを求めたい独身者で年齢を問いません。独身者(バチェラー)は我々の周囲に実に多くいて、結婚したいとどこかで願っていてもそのチャンスや機会はそうあるものではありません。

結婚斡旋のお見合いだけでは気恥ずかしいものですが、ミュージカルの稽古を何ヶ月かともにすることで、共演する相手の人間性がなにほどか見えてくるものです。ミュージカルを通してパートナーを見つけてまちづくりの話題や、あわよくば少子化対策にも寄与するという壮大な目的を持った冗談のような本気の企画です。お楽しみください。

また今年は、NPO社会の実現を目指して、いちぶんネットもNPOとしての社会的役割を一歩前に進めるつもりです。具体的には、市川市内のNPOを結集する行動を提起します。

NPO協議会のようなものができれば嬉しいのですが、まずは個々の課題や問題点を持ち寄って、相互の連携を進めていく中で、市川市の行政との協働の接点を探れたらいいなと思っています。NPO法の施行から11年目、もはやNPOも個別の運動に終始していてはならない段階にきていると思います。

今年は市川で老後を飾った文豪永井荷風の生誕130年、没後50年の記念の年です。6月には、市川市との協働で、「市川の永井荷風」上演委員会主催で、「荷風幻像〜老愁は葉の如く〜」という演劇公演を開催します。先年末のオーディションには40名の市民が集まって賑わいを見せました。作と演出をぼくが担当します。

そして、来年の市民ミュージカルでは、シナリオライターの水木洋子生誕100周年を記念して、水木洋子ワールドをミュージカルにできないかと、現在構想中です。実現すればこれも市川市との協働に発展するかもしれません。水木洋子氏が戦後の日本映画隆盛期に生み出した数々の登場人物を絡ませながら、「女は入れない撮影所」と言われた映画界で数少ない女流シナリオライターとしてのし上がっていく過程を、いわば「女の一生」物として面白いミュージカルのなればと思っています。

こうしたことも、NPO(市民活動)を市川という地域に本物として根付かせていく契機になると考えています。

さて、不況の年が幕を明けました。心安らかに生きていくこともできない人々をほったらかしにして維持される国家とはなんでしょう。縮こまる社会の中で、子どもの未来を保証するために、市民としてどのような行動をすべきなのかが問われています。NPO法人いちぶんネットの責任を担っていかねばなりません。

どうぞ、皆様のご支援をお願いします。
本年も、よろしくお付き合いください。

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2008年10月27日

やりたいこととやるべきこと

アジアンブルー公演が終わって、やっと本来のいちぶんネットHPに帰ってきたら、すっかり装い新たになっていてびっくり。

でも肝心の、これから始まるチャレンジド・ミュージカルW公演「サファリ!」とサポーター養成事業の情報が載っていないようです。早急に何とかしましょう。

ことほどさように、いちぶんネットの執行体制も不備な状態が続いています。事務局が忙しすぎるのです。この状態を改善するには新しい人材補強が必要ですが、その経費をどう確保するかといういつもの課題にぶち当たります。

代表がもっと団体運営に気を使わなきゃならないのに、この男、今永井荷風の世界にどっぷりつかっています。来年6月、敗戦後13年間市川に住まいした永井荷風生誕130年没後50年を記念して、永井荷風の世界を芝居にしようという魂胆です。その台本書きが今面白い。

でも来月2日から始まるチャレンジド・ミュージカルW公演「サファリ!」の準備もどんどん進めなければならない。もちろんこれもやりたいこと。この台本をあげるのには苦労したのですが、なかなか書けなくて書けなくて、どんな障害のある子にもセリフというものに挑戦してもらいたいと思うと、ほんとにイメージが定まらなくて苦労したんですが、エイと踏み切って形にしました。

千葉県から委託を受けて、県内のNPO活動を紹介するビデオを今作製中です。あっちこっちのNPO活動を撮影にうかがってると、これも面白い。みんないい表情で活動を楽しんで《楽しんでばかりの活動ではないのもあるけど》います。

同じく県では今、NPO活動推進の行動計画を策定中で、ぼくも参加してかなりハードなペースで進んでいます。骨子案を発表して、県民の意見を聞くためのタウンミーティングを開催中。市川では12月5日《土》に開催予定です。これもまあやりたいこと。

伝統文化子ども教室は茶道と華道の教室を開催中で、定員20名の子どもたちが毎週楽しく参加していますがちっとも顔を出せないでいる。講師に任せっぱなし。

ドキュメンタリー映画「ハクナマタタ!」が完成して、どんどん上映会活動を推進せねばならないのに、戦略会議がなかなか開けない。これなどはやりたいと始めた活動がいつの間にか意地でもやらなきゃという活動に変化していったもの。

そして、いよいよ来年度の助成金申請の時機到来。こればかりはやらねばならないこと。

他に何かあったっけ? 何か忘れていないかな? と、正直なんでこんなに忙しいのかなと思えるほどだけど、忙しくしていられるうちが花なのかもしれない。活動を面白がってくれる人がいなくなれば自然に暇になるんだものね。

でもどこかで思っています、日々の活動に追われていてはいけないと。いちぶんネットを立ち上げたのは市民文化活動を通して社会を変えるためだったはず。それをNPO用語でミッションと呼んでいますが、それを本気になって話しあう時期、市川ユニバーサル・アーツ・ネットのような夢をもっと全面に押し出すような活動が必要な時期に来ていると。

日常を反映して混乱しています。
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2008年10月24日

「車椅子の歌姫」朝霧裕トーク&ライブ

昨夜、夢を語る会などとの共催で、「車椅子の歌姫 朝霧裕 トーク&ライブコンサート」を開きました。これは理事の一人が言いだしっぺで実現した企画です。いちぶんネットではなるべくそういうものも実現していきたいと考えています。皆さんも会員になって、やりたい事業を実現しませんか?

コンサートですが、眠かったせいでしょうか、僕自身は残念ながら歌そのものは心に響いてはきませんでした。でも、時間の大半を占めるトークを通して、朝霧さんという人物、どこか振り付けの佐々木絢子さんに似ているその女性には、ひどく感銘を受けました。

難病で車椅子生活を強いられている彼女、そして介助者や支援者とともに熱い人間関係を築いてきた彼女は言いました。「もし神様に、身体を自由に動かせるようにしてやるから今の友達を切れと言われたら、考える間もなく瞬時に、断る。今の友情関係が大事だ」と。

当然「ぼくなら・・・・」と考えました。新しい可能性を求めて、これまで培った人間関係を反古にできるか? こういう問題提起の前で、悔しいかな、ぼくは悩んでしまうのです。人間関係のほんとの大切さを、あるいは愛の本質すら知らずにいるのではないか、という不安な気持ちに陥ってしまうのです。

障がい児の親の集まりである手をつなぐ親の会のお母さんも言います、「この子がこのように生まれてきたことに感謝している」と。

こういう人たちを前にすると、自分がいつも卑小に見えてしまう。今は他の事を考えたいので、これ以上突き詰めませんが、今いえることは、市民活動をやっていて、こういう驚くべき人たちとどんどんつながっていける喜び、いい年こいていつまでも不甲斐ない自分に教えてもらえるありがたさ、といったことでしょうか。

ただいま、チャレンジド・ミュージカルW「サファリ〜旅に出よう!〜」の出演者募集中です。どうぞおいでください。一緒に楽しくやりましょう。「こういう活動は楽しい!」 これは躊躇なく言えます。
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2008年06月18日

ハチドリの教え

 井原さんが、インターネット上でマニラのスモーキーマウンテンの映像が見られると教えてくれたので、見ました。言葉も出ない有様でした。悲惨なシーンも出てくるので、子どもたちには見せない方がいいでしょう。

 トルコで暮らしている佐々木絢子(振付)さんは、今回のミュージカルが「発展途上国の悲惨さばかりが強調されていないか?」という意見です。考え込んでいます。

 当初の目的は、貧しい国の子どもたちに比べて、日本の子どもはどうか?と考えていたので、「それでも必死に生きる子どもたち」と「触発される日本の子どもたち」という枠組みの中でしか考えていませんでした。つまりダハレムと日本に共通するテーマは「子どもの権利」です。

 「悲惨さの中にあるのは、自分のためだけではなく、家族や仲間への愛情。それがなければとうにつぶれてしまう」という佐々木さんの大きな問題提起に、考え込んでいるのです。

「人間は自分のことだけを考えて生きていけば、いつか絶望する」とも言っています。いい言葉です。

 私たちが学ぶべきはなんでしょう? もう一度台本全体を考え直してみる必要がありそうです。

 ところで、実行委員会の事務局を担当する「いちぶんネット」は何のために活動しているのでしょう?

 NPOとかNGOといった言葉をご存知でしょうか。NPOとはNON−PROFIT−ORGANYZATION(非営利組織)。NGOとはNO−GAVOMENT−ORGANYZATION(非政府組織)(スペル間違ってないかな?)。

 世界中の貧しさと戦っている市民組織がNGO。日本では法律上の違いでNPOという言い方をしますが、それも同じ目的を持つ、つまり市民自身の手で世の中を良くしていこうという運動に違いはありません。

 「いちぶんネット」は大それた活動はできませんが、ぼくらにできること、つまり「市民文化芸術活動と三世代市民の交流を通して、地域の人と心の絆を強めていこう」としているのです。「面白い活動は人を元気にする」「面白い活動が広がれば街が変わる」などとキャッチフレーズにしていますが、世界中の悲惨な現実、地球環境の悪化、地球の未来などという現実に対すると、時々自分が能天気というか、無力感に襲われてしまいます。

 それでも続けているのは、自分にはこれしかできないということ。そしてこんなことでも社会の役に立っているというちょっとした自負からです。ぼくは、これからの社会再建にNPO(市民活動)がそれなりの役割を果たすと信じているのです。財政的にも人材的にも、いつも窮々としていますが、日本に本当の意味での市民社会が誕生することを願って、疲れてしまうまでは続けようと思っています。賛同してくださる方はぜひ会員になって一緒に活動してください。

 インデオの有名な民話です。

 山火事に向って、一匹の小さなハチドリが何度も行き来しては、口に含んだわずかな水を火の上にたらしていきます。逃げ惑う他の鳥があざ笑って言います。「無駄だよ。それっぽっちの水で山火事が消えるものか」。ハチドリは答えます。「僕はぼくのできることを精一杯やってるだけさ」。
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