終演の翌週の学校や仕事先、もう少し余韻に浸っていたいとばかりに、どうにも調子の上がらない気分でいた人・・・次の休日の朝には、「今日の稽古場はどこだっけ?」と一瞬頭をめぐらした人・・・そして、何もない日常の張り合いのなさを改めて痛感してしまった人・・・要するにハレの時間を体験した人だけが味わえる虚脱感を今皆さんは噛みしめていることでしょうね。
人間が、何かをなしえたという達成感を獲得することはすごいことです。何かを面白がってそれに立ち向かい努力して達成する、そういう自分を誉めてやりたくなる自己肯定感もすごい力を発揮します。それも他人からの評価ではない、自分自身が評価できるということが。
この10年、稽古場という現場で多くの子どもたちをまた大人たちを見てきました。子どもたちが本来持っているはずのエネルギーが発揮されないままで内に内にと引きこもっていく姿を見てきました。物質的に豊かに贅沢になっていく時代とともに、人は何を失くしていっているのか、考えざるを得ない時間でした。そういう大げさに言えば危機感とともに始めた市民ミュージカル活動ですが、この「達成感」と「自己肯定感」こそがそうした不安な心にある力を与えるということだけは実感しています。
でも人間社会とは複雑なものです。一時期は水木洋子氏のように「女性の自立」を声高に叫んだ時代があったものですが、今は女性もそれに疲れ「可愛い女」でいた方が楽だとばかりに怒りと屈辱を胸底に仕舞いこんでしまった感があります。「出る杭は打たれる」というのが人間社会なんでしょうね。
でも僕は人間の力を信じています。その意味でいい年をしていつまでも愚かな楽観主義者でありロマンチストです。一人の人間が面白いと思えたことに夢中になり、昨日とは違う今日を生きる喜びを知り、そういう自分を誇りに思って生きていこうとすれば、自分ひとりを大事にするばかりでなく、そうした活動を保証してくれる場「社会」を大事にしたくなる、そして地球上のさまざまな違いを誇る文化をお互いに尊重し合うことにつながると思っています。
僕らのやっていることはとても小さなことですが、とても大事なことだと自負しています。
2010年09月15日
ハレの後の虚脱の中で・・・・
posted by ヨッシー at 00:29| Comment(0)
| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年09月07日
感謝!
シネマ・ミュージカル公演4ステージが終わりました。
ご観劇・ご協力いただいた多くの方々に厚く感謝申し上げます。ありがとうございました。
大勢のお客様をお迎えでき、反応評価は上々で、いちかわ市民ミュージカル全5回公演、10周年としての集大成の舞台となったといえるかもしれません。
「もう一度見たいから」と2度も3度もご覧頂いたお客様も多かったようだし、ロビーで僕を捕まえて「すごい!素晴らしい!」と絶賛された方も少なくありませんでした。30年連れ添ってきた妻からも「ひょっとしたら才能あるかもね」とお褒めの言葉を頂きました。
千秋楽公演は確かに我々の持てる力を最大限に発揮できた舞台となりました。でも僕は、舞台を見つめながら「節目」ということを意識せざるをえませんでした。
「4回の公演でどんどん良くなっていく舞台」ということと「良い舞台を4回も見てもらう」こととはちがうのです。そうならなかった現実に、悔しさとアマチュア芸術活動の課題とを痛感せざるを得ません。
市民出演者は大舞台に入ってセットや照明と初めて出会い、一気に技量と興奮を高めていきます。でも、舞台を使った稽古はたったの一日。それも学校や仕事があるわけだから全員揃うわけでもない。「稽古場段階でここまでの技量に高めておくことが何故できないのか?」と悩みます。プロと呼ばれる照明や音響のスタッフも時間に追われてミスを連発し本番にまで持ち越していきます。
そして何より、これまでお金のことまで心配しながら全部を仕切ってきた自分自身の体力の低下を実感します。
今後の本当の意味での市民芸術文化の発展を図るために、やはりこのあたりを大きな節目と意識して、改革していく必要がありそうです。
もちろん「やめる」という選択ではありません。大げさですが、僕は市民文化こそが国境を越えて世界を平和へと導くと信じています。そのための活動を市川から発信していきたい、そのための改革です。
具体的には、皆さんと大いに議論しながら発展の道を探ることになりますが、そして僕自身は残り少ない人生で、何を重視していきたいのか・・・そんなことを考えながら舞台を見続けていました。
ともあれ、達成感に満ち溢れた出演者の皆さんの表情は本当に感動です。仲間とお客様に、改めて感謝!
ご観劇・ご協力いただいた多くの方々に厚く感謝申し上げます。ありがとうございました。
大勢のお客様をお迎えでき、反応評価は上々で、いちかわ市民ミュージカル全5回公演、10周年としての集大成の舞台となったといえるかもしれません。
「もう一度見たいから」と2度も3度もご覧頂いたお客様も多かったようだし、ロビーで僕を捕まえて「すごい!素晴らしい!」と絶賛された方も少なくありませんでした。30年連れ添ってきた妻からも「ひょっとしたら才能あるかもね」とお褒めの言葉を頂きました。
千秋楽公演は確かに我々の持てる力を最大限に発揮できた舞台となりました。でも僕は、舞台を見つめながら「節目」ということを意識せざるをえませんでした。
「4回の公演でどんどん良くなっていく舞台」ということと「良い舞台を4回も見てもらう」こととはちがうのです。そうならなかった現実に、悔しさとアマチュア芸術活動の課題とを痛感せざるを得ません。
市民出演者は大舞台に入ってセットや照明と初めて出会い、一気に技量と興奮を高めていきます。でも、舞台を使った稽古はたったの一日。それも学校や仕事があるわけだから全員揃うわけでもない。「稽古場段階でここまでの技量に高めておくことが何故できないのか?」と悩みます。プロと呼ばれる照明や音響のスタッフも時間に追われてミスを連発し本番にまで持ち越していきます。
そして何より、これまでお金のことまで心配しながら全部を仕切ってきた自分自身の体力の低下を実感します。
今後の本当の意味での市民芸術文化の発展を図るために、やはりこのあたりを大きな節目と意識して、改革していく必要がありそうです。
もちろん「やめる」という選択ではありません。大げさですが、僕は市民文化こそが国境を越えて世界を平和へと導くと信じています。そのための活動を市川から発信していきたい、そのための改革です。
具体的には、皆さんと大いに議論しながら発展の道を探ることになりますが、そして僕自身は残り少ない人生で、何を重視していきたいのか・・・そんなことを考えながら舞台を見続けていました。
ともあれ、達成感に満ち溢れた出演者の皆さんの表情は本当に感動です。仲間とお客様に、改めて感謝!
posted by ヨッシー at 14:35| Comment(2)
| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年09月01日
この一体感が宝物
稽古場での作業がすべて終了しました。
最後の通し稽古が終わった後、1時間を越える長い演出ダメ出し、皆さん、疲れた表情の中にも、本番に向けた熱い意欲がみなぎっていました。
舞台の成功は間違いありません。必ずや、観客を大きな感動の渦に巻き込むことになるでしょう。後は、客席を満席にすることです。この名舞台を見せてあげるために、もう一声誘うようにしましょう。
それにしても、後半戦から生まれだしたこの創造的一体感は何という感動でしょう。指導陣からは次々と改善案が提起されます。出演者が役の人物の心で演じだしたものだから、演技が変わり表情をいっそう輝かせ出します。そこから演出が学びダメ出しに生かして、全体がさらに変わっていきます。
稽古中に感極まって泣き出す俳優も出てきました。出演者同士のやり取りも日増しに深まっていきます。中には喧嘩に近い感情が爆発しますが、それも創造欲求のなせる業です。
衣装や小道具が乱暴に扱われていることにガマンできなくなったスタッフが、毎日徹夜に近い作業に追われる市民スタッフの奮闘を訴えることで、このミュージカルが如何に多くの人たちの努力に支えられているかを理解していきます。
このすてきな舞台をもっと多くの人に見てもらおうと、これまで言い出しかねていたひとにも声をかけてみようという気になります。
この創造的一体感こそが市民ミュージカルの本質を見事に語っていると思います。そしてこの力こそが、これからの人生を生き抜いていく一人ひとりの大きな確信となっていくのではないでしょうか。
市民活動には何かを変える大きな力があるのだと、つくづくと実感できる終盤戦となりました。
この夏の異常な暑さで誰もが夏バテになっていると報道にありました。市民ミュージカルに関わる誰もが、それこそ夏バテになっているのに気ばかりは高ぶっているという状態でしょう。公演後の脱力状態が心配ではありますが、人生にそう何度もない体験です。でも創造に限界点はありません。本番までの一週間、思い切り、後悔なく、エネルギーを爆発させましょう!
最後の通し稽古が終わった後、1時間を越える長い演出ダメ出し、皆さん、疲れた表情の中にも、本番に向けた熱い意欲がみなぎっていました。
舞台の成功は間違いありません。必ずや、観客を大きな感動の渦に巻き込むことになるでしょう。後は、客席を満席にすることです。この名舞台を見せてあげるために、もう一声誘うようにしましょう。
それにしても、後半戦から生まれだしたこの創造的一体感は何という感動でしょう。指導陣からは次々と改善案が提起されます。出演者が役の人物の心で演じだしたものだから、演技が変わり表情をいっそう輝かせ出します。そこから演出が学びダメ出しに生かして、全体がさらに変わっていきます。
稽古中に感極まって泣き出す俳優も出てきました。出演者同士のやり取りも日増しに深まっていきます。中には喧嘩に近い感情が爆発しますが、それも創造欲求のなせる業です。
衣装や小道具が乱暴に扱われていることにガマンできなくなったスタッフが、毎日徹夜に近い作業に追われる市民スタッフの奮闘を訴えることで、このミュージカルが如何に多くの人たちの努力に支えられているかを理解していきます。
このすてきな舞台をもっと多くの人に見てもらおうと、これまで言い出しかねていたひとにも声をかけてみようという気になります。
この創造的一体感こそが市民ミュージカルの本質を見事に語っていると思います。そしてこの力こそが、これからの人生を生き抜いていく一人ひとりの大きな確信となっていくのではないでしょうか。
市民活動には何かを変える大きな力があるのだと、つくづくと実感できる終盤戦となりました。
この夏の異常な暑さで誰もが夏バテになっていると報道にありました。市民ミュージカルに関わる誰もが、それこそ夏バテになっているのに気ばかりは高ぶっているという状態でしょう。公演後の脱力状態が心配ではありますが、人生にそう何度もない体験です。でも創造に限界点はありません。本番までの一週間、思い切り、後悔なく、エネルギーを爆発させましょう!
posted by ヨッシー at 14:03| Comment(1)
| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年08月25日
表情が出てきた!
演奏団も参加しての終盤の通し稽古。
いろいろな不出来のシーンもあるのですが、出演する皆さんの表情がどんどん変わってきました。一人ひとりの演技も格段に表情や工夫が見られるようになりました。稽古を重ねているのだから当然ですが、稽古場でのそういう変化を見せつけられるのが本当に嬉しいのです。
これまでは、指導陣の教えを請うばかりに目が行っていたのが、覚えるとか、できるかできないかとかにだけ目が行っていたのが、どうにか自分の役割が理解でき、それなら「こうしてみよう。ああしてみよう」と自分の頭で考えるような境地に入っていくようになったということですね。中には、自分以外の別なもう一人の人間・・・つまり、自分が演じる登場人物という人間の気持ちに沿って行動できる気分を味わいだした人もいます。それが演技です。これからが本当の表現の面白さを実感できることになるのです。
「ああ、もう2週間稽古があれば・・・」とは、いつもの感慨です。いつもです。だったら2週間稽古を早く始めればいいのにといっても、やはりこの時期には同じ感慨を持ってしまうのでしょう。
来週は、残り3場面、闇市の群集の動きとラストの全員の並び、カーテンコールの最終整理のための抜き稽古をした後、いよいよ、ABプロの最終通し稽古です。出演者の皆さんには、どんな間違いをやってもいいですから、思いきり欲張った、自分の殻を破るような挑戦をしていただきたいものです。
ああ、この2回の通し稽古で、どれだけ変化爆発するか! 何という大きな期待と楽しみでしょう。
これだけは断言します・・・不安はありません!
いろいろな不出来のシーンもあるのですが、出演する皆さんの表情がどんどん変わってきました。一人ひとりの演技も格段に表情や工夫が見られるようになりました。稽古を重ねているのだから当然ですが、稽古場でのそういう変化を見せつけられるのが本当に嬉しいのです。
これまでは、指導陣の教えを請うばかりに目が行っていたのが、覚えるとか、できるかできないかとかにだけ目が行っていたのが、どうにか自分の役割が理解でき、それなら「こうしてみよう。ああしてみよう」と自分の頭で考えるような境地に入っていくようになったということですね。中には、自分以外の別なもう一人の人間・・・つまり、自分が演じる登場人物という人間の気持ちに沿って行動できる気分を味わいだした人もいます。それが演技です。これからが本当の表現の面白さを実感できることになるのです。
「ああ、もう2週間稽古があれば・・・」とは、いつもの感慨です。いつもです。だったら2週間稽古を早く始めればいいのにといっても、やはりこの時期には同じ感慨を持ってしまうのでしょう。
来週は、残り3場面、闇市の群集の動きとラストの全員の並び、カーテンコールの最終整理のための抜き稽古をした後、いよいよ、ABプロの最終通し稽古です。出演者の皆さんには、どんな間違いをやってもいいですから、思いきり欲張った、自分の殻を破るような挑戦をしていただきたいものです。
ああ、この2回の通し稽古で、どれだけ変化爆発するか! 何という大きな期待と楽しみでしょう。
これだけは断言します・・・不安はありません!
posted by ヨッシー at 03:30| Comment(1)
| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年08月04日
残りひと月の戦い
市民ミュージカルも残り一月の闘いになってきました。
プロの劇団だったら、毎日6,7時間ぶっ通しで稽古するので、「まだ一月ある」という感覚ですが、土日を稽古日とする市民芸術活動では残り6回。ABプロ分けで見れば3回ということになります。ぼくが市民活動に関わった当初はこの感覚に追いつけず、ずいぶん慌てたものです。
さて、昨日は初めての全幕通し稽古。上演時間は176分、15分休憩を挟んで、2時間56分という長さになりました。これを2時間35分内に収めるのが最終目標です。
稽古を休む(休まざるを得ない)人が多いこと、子どもたちの表現力が(特に演技の)伸び悩んでいること、しっかりとしたダメ出し(演出の修正指摘)をする時間すら持てないこと、など、問題山積ではありますが、ともかく努力をし続けるしかありません。
稽古を休んだ人の不出来具合が目立つようになっています。舞台というものはドラマが自然に流れていくのが当然で、それを前提に感動は生まれていきます。そこに台詞や行動のトチリや意味不明な間や観客がアレ?と考えて覚めてしまう表現が混入すると、ドラマに没入しようと思っていた観客が我に返ってしまいます。感動が覚めてしまうのです。
自主稽古の時間も増えてきましたが、遅れていると思う方はどうぞ、誰かを捕まえて演技の補習をしてください。回りの方も積極的に教えてあげてください。みんなでワイワイいいながら創りあげるのも大切なことです。
稽古後の飲み会もまた大切になってきます。参加したくてもできない方がいるからあまり大きな声では言いませんが、素人同士の表現の批評よりも、みんなで盛り上がって意気高く稽古に向き合おうと確認する場にもなります。毎回どこかで飲み会はやっていますので、勇気を出して参加してみてください。
プロの劇団だったら、毎日6,7時間ぶっ通しで稽古するので、「まだ一月ある」という感覚ですが、土日を稽古日とする市民芸術活動では残り6回。ABプロ分けで見れば3回ということになります。ぼくが市民活動に関わった当初はこの感覚に追いつけず、ずいぶん慌てたものです。
さて、昨日は初めての全幕通し稽古。上演時間は176分、15分休憩を挟んで、2時間56分という長さになりました。これを2時間35分内に収めるのが最終目標です。
稽古を休む(休まざるを得ない)人が多いこと、子どもたちの表現力が(特に演技の)伸び悩んでいること、しっかりとしたダメ出し(演出の修正指摘)をする時間すら持てないこと、など、問題山積ではありますが、ともかく努力をし続けるしかありません。
稽古を休んだ人の不出来具合が目立つようになっています。舞台というものはドラマが自然に流れていくのが当然で、それを前提に感動は生まれていきます。そこに台詞や行動のトチリや意味不明な間や観客がアレ?と考えて覚めてしまう表現が混入すると、ドラマに没入しようと思っていた観客が我に返ってしまいます。感動が覚めてしまうのです。
自主稽古の時間も増えてきましたが、遅れていると思う方はどうぞ、誰かを捕まえて演技の補習をしてください。回りの方も積極的に教えてあげてください。みんなでワイワイいいながら創りあげるのも大切なことです。
稽古後の飲み会もまた大切になってきます。参加したくてもできない方がいるからあまり大きな声では言いませんが、素人同士の表現の批評よりも、みんなで盛り上がって意気高く稽古に向き合おうと確認する場にもなります。毎回どこかで飲み会はやっていますので、勇気を出して参加してみてください。
posted by ヨッシー at 11:45| Comment(0)
| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年07月26日
反省とともに・・・
昨日もまたしくじってしまいました。
箸にも棒にもかかりらない(かかりにくい)子どもたちとの稽古にいらだって、大人たちについ愚痴を公言してしまいました。指導者としてあるまじき、情けない態度でした。反省!
でも本当に、今の子どもたちの現状に対して、大人はもっと真剣な眼を注ぐべきだと痛感します。兄弟姉妹数が少なくて一人っ子が多いから、成長期に必要な子ども同士の人間関係にきたえられていくチャンスが少ない。親や祖父母や教師の一方的な指示命令にならされて(指示待ち症候群?)、自分で判断する体験が未熟。自分ならではの夢や空想やぼんやりする時間が少なくて、ゲームなどのバーチャルメディアの一方的で過剰な情報にさらされたまま(ボーっと空想に浸る時間は創造力の種となっていきます)。それでいて大人以上の忙しい小刻みのスケジュールに追われている。
・・・などなど、稽古場での今が面白いのか面白くないのか、わかっているのかないのか、反応なく漠然と身体を動かしている子どもたちを見ていると、緊急の事態になった際もただボーっと災難に巻き込まれていってしまうだけじゃないか、生命保持能力すらも希薄になっているのではないかとすら思えてきます。「子どもを大切にする」とは言われますが、その言葉の本質は何かを、もっともっと大人同士で話し合っていきたいものです。
もっとも、そうした子どもが相手なればこそ、成長を促すような指導者の工夫が要求されていることは事実です。「俺の言葉が響いていないのだ」と肝に銘じて指導のあり方を工夫していきましょう。
稽古段階のいらだち、怒鳴ったりおだてたりして無気力な子どもと格闘し、諦めたり反省したりして、ついに本番を迎えてびっくり!あのガキドモガ何と感動的な演技を披露してくれたことか!と驚かされる体験・・・毎回繰り返す経験過程ではあります。
箸にも棒にもかかりらない(かかりにくい)子どもたちとの稽古にいらだって、大人たちについ愚痴を公言してしまいました。指導者としてあるまじき、情けない態度でした。反省!
でも本当に、今の子どもたちの現状に対して、大人はもっと真剣な眼を注ぐべきだと痛感します。兄弟姉妹数が少なくて一人っ子が多いから、成長期に必要な子ども同士の人間関係にきたえられていくチャンスが少ない。親や祖父母や教師の一方的な指示命令にならされて(指示待ち症候群?)、自分で判断する体験が未熟。自分ならではの夢や空想やぼんやりする時間が少なくて、ゲームなどのバーチャルメディアの一方的で過剰な情報にさらされたまま(ボーっと空想に浸る時間は創造力の種となっていきます)。それでいて大人以上の忙しい小刻みのスケジュールに追われている。
・・・などなど、稽古場での今が面白いのか面白くないのか、わかっているのかないのか、反応なく漠然と身体を動かしている子どもたちを見ていると、緊急の事態になった際もただボーっと災難に巻き込まれていってしまうだけじゃないか、生命保持能力すらも希薄になっているのではないかとすら思えてきます。「子どもを大切にする」とは言われますが、その言葉の本質は何かを、もっともっと大人同士で話し合っていきたいものです。
もっとも、そうした子どもが相手なればこそ、成長を促すような指導者の工夫が要求されていることは事実です。「俺の言葉が響いていないのだ」と肝に銘じて指導のあり方を工夫していきましょう。
稽古段階のいらだち、怒鳴ったりおだてたりして無気力な子どもと格闘し、諦めたり反省したりして、ついに本番を迎えてびっくり!あのガキドモガ何と感動的な演技を披露してくれたことか!と驚かされる体験・・・毎回繰り返す経験過程ではあります。
posted by ヨッシー at 19:02| Comment(0)
| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年07月12日
自主稽古始まる
参院選が終わって、民主党と自民党が並んでしまいましたね。どちらも消費税増税路線を打ち出している訳だから、これで政策化されてしまいます。経済の先行き不安と消費税増税とが絡んで、日本はどうなっていくのでしょうか?
それはさておき、市民ミュージカルの稽古も、演技と歌とダンスが絡み合って、どうやらミュージカルの稽古らしくなってきました。一幕が一通り通せただけですが、とても面白くなりそうな予感です。
今回は演技を担当する人たちの数が増えると同時に、歌やダンスでも皆それぞれの個性を発揮して、熱気あふれる雰囲気になっています。
そして、稽古終了後の夜などを利用して、自主稽古が遅くまで盛んになってきました。毎公演ごとに、決められた稽古時間だけでは不安になる人たちが自主稽古を始めるのが恒例になっていますが、これまでは歌やダンスが中心でした。今回は演技から始まったようです。
昨夜も稽古後のスタッフ会議が終わって、顔を出すと、まだ自主稽古をやっていました。その熱心さに脱帽です。
一方で、「合唱団として参加したのに、ダンスをやらされて不安だ」という方がいました。歌って踊って・・・今までやったこともないことに挑戦させられて不安になるのは当然ですが、それが挑戦であり創造です。表現を通して自分の壁を一歩乗り越えていくことになるのです。不安だからやめておくのではなく、新しい自分の可能性を発見するために欲を出してほしいと思います。指導者側も協力します。工夫もします。
遅れている作曲作業の残り1曲が揃えばCDにして出演者にお渡しできるでしょう。そうなるとますます創造的雰囲気は高まってきます。稽古場でも、稽古後のグループごとの自主稽古でも、家事の合間でも、通勤の行き帰りでも、シネマ・ミュージカルの音楽が耳にこびりついてはなれなくなってきます。まさにミュージカル漬けの暑い夏となっていくことでしょう。
とはいえ、気をつけなければならないのが、燃える人は燃える、乗れない人たちは後退気味になるという事態、稽古場での二分化という事態を産み出さないことです。人生でめったにない自己表現のせっかくのチャンスです。出演する全員が意気高く舞台表現を楽しんで達成感を獲得するために、各グループの中から自主的なリーダーが生まれてきて、みんなをいい雰囲気に巻き込んで行っていただきたいと思います。
200人の燃える夏となりますように!
それはさておき、市民ミュージカルの稽古も、演技と歌とダンスが絡み合って、どうやらミュージカルの稽古らしくなってきました。一幕が一通り通せただけですが、とても面白くなりそうな予感です。
今回は演技を担当する人たちの数が増えると同時に、歌やダンスでも皆それぞれの個性を発揮して、熱気あふれる雰囲気になっています。
そして、稽古終了後の夜などを利用して、自主稽古が遅くまで盛んになってきました。毎公演ごとに、決められた稽古時間だけでは不安になる人たちが自主稽古を始めるのが恒例になっていますが、これまでは歌やダンスが中心でした。今回は演技から始まったようです。
昨夜も稽古後のスタッフ会議が終わって、顔を出すと、まだ自主稽古をやっていました。その熱心さに脱帽です。
一方で、「合唱団として参加したのに、ダンスをやらされて不安だ」という方がいました。歌って踊って・・・今までやったこともないことに挑戦させられて不安になるのは当然ですが、それが挑戦であり創造です。表現を通して自分の壁を一歩乗り越えていくことになるのです。不安だからやめておくのではなく、新しい自分の可能性を発見するために欲を出してほしいと思います。指導者側も協力します。工夫もします。
遅れている作曲作業の残り1曲が揃えばCDにして出演者にお渡しできるでしょう。そうなるとますます創造的雰囲気は高まってきます。稽古場でも、稽古後のグループごとの自主稽古でも、家事の合間でも、通勤の行き帰りでも、シネマ・ミュージカルの音楽が耳にこびりついてはなれなくなってきます。まさにミュージカル漬けの暑い夏となっていくことでしょう。
とはいえ、気をつけなければならないのが、燃える人は燃える、乗れない人たちは後退気味になるという事態、稽古場での二分化という事態を産み出さないことです。人生でめったにない自己表現のせっかくのチャンスです。出演する全員が意気高く舞台表現を楽しんで達成感を獲得するために、各グループの中から自主的なリーダーが生まれてきて、みんなをいい雰囲気に巻き込んで行っていただきたいと思います。
200人の燃える夏となりますように!
posted by ヨッシー at 18:50| Comment(0)
| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年06月22日
ガヤと呼ばれる人たち
助監督: 田島三郎さん、小野蛍子さん、準備お願いします。大部屋さん、準備いいですか?
大部屋の男: 役名で呼べよ。
助監督: ガヤさん、スタンバイよろしく! (シネマ・ミュージカルより)
映画でも舞台でも、主役で活躍する役者もいれば、ガヤと呼ばれる役者もいます。群衆ともその他大勢とも呼ばれます。役の名前すら付いていないのだから、「軽い役なんだろうなあ」と思い込んでしまいがちです。
役の軽重を均等に配慮した台本なんてありえません。およそドラマチックに展開できないからです。「みんなが主役!」というのは、学芸会では成り立っても、普通ではありえない現象と言えます。そのための演技オーディションだったのです。その上、稽古の始めの段階では、演技指導やダメ出し(演技のチェック)は主要な役どころに集中しがちで、ガヤの人たちは「無視されている」と思いがちです。「つまらない」と思うのも当然です。ぼくも何とか楽しくやってもらいたいと努力しますが、限界があります。
でも実は、いい舞台は「ガヤで決まる!」のです。舞台に登場するすべての人たちが、生き生きと自分の責任を果たしてこそ、稽古の成果がそこに現われ、感動は舞台にみなぎるのです。
何人かの人たちが不満がましい表情で僕に問いかけてきますが、「その立場で自分の役を掘り下げてください」と答えるしかありません。実際、ガヤという人間はいません。台本には書かれていなくても舞台には登場するのです・・・一人の人間として!
どんな「小さな」役であっても、自分の演じる人間の名前、年齢、職業、性格、生活の中身・・・などなどを自分で、台本の要求している世界に溶け込むように、豊かに色付けして、工夫して創りあげる、それが創造です!
舞台に占める存在としては、主役も脇役もガヤもありません。本当です。誰もが同じように役の人物を深めていく喜びを演出である僕は生み出していくつもりです。立ち稽古を固めていく段階で、僕はガヤの動きにこだわっていきます。
そして、「いい役をもらえなかった」という悔しさを武器に、次回のオーディションでは輝く存在感を打ち出せる俳優となるよう努力していただくように期待します。
大部屋の男: 役名で呼べよ。
助監督: ガヤさん、スタンバイよろしく! (シネマ・ミュージカルより)
映画でも舞台でも、主役で活躍する役者もいれば、ガヤと呼ばれる役者もいます。群衆ともその他大勢とも呼ばれます。役の名前すら付いていないのだから、「軽い役なんだろうなあ」と思い込んでしまいがちです。
役の軽重を均等に配慮した台本なんてありえません。およそドラマチックに展開できないからです。「みんなが主役!」というのは、学芸会では成り立っても、普通ではありえない現象と言えます。そのための演技オーディションだったのです。その上、稽古の始めの段階では、演技指導やダメ出し(演技のチェック)は主要な役どころに集中しがちで、ガヤの人たちは「無視されている」と思いがちです。「つまらない」と思うのも当然です。ぼくも何とか楽しくやってもらいたいと努力しますが、限界があります。
でも実は、いい舞台は「ガヤで決まる!」のです。舞台に登場するすべての人たちが、生き生きと自分の責任を果たしてこそ、稽古の成果がそこに現われ、感動は舞台にみなぎるのです。
何人かの人たちが不満がましい表情で僕に問いかけてきますが、「その立場で自分の役を掘り下げてください」と答えるしかありません。実際、ガヤという人間はいません。台本には書かれていなくても舞台には登場するのです・・・一人の人間として!
どんな「小さな」役であっても、自分の演じる人間の名前、年齢、職業、性格、生活の中身・・・などなどを自分で、台本の要求している世界に溶け込むように、豊かに色付けして、工夫して創りあげる、それが創造です!
舞台に占める存在としては、主役も脇役もガヤもありません。本当です。誰もが同じように役の人物を深めていく喜びを演出である僕は生み出していくつもりです。立ち稽古を固めていく段階で、僕はガヤの動きにこだわっていきます。
そして、「いい役をもらえなかった」という悔しさを武器に、次回のオーディションでは輝く存在感を打ち出せる俳優となるよう努力していただくように期待します。
posted by ヨッシー at 19:13| Comment(3)
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2010年06月15日
いい雰囲気になってきた!
立ち稽古が始まりました。
1幕1場「沖縄」は壮烈なアメリカ軍の艦砲射撃に耐える沖縄の人たち・・・実は映画の撮影シーンだったという場面。最初の立ち稽古だというのに、ひめゆり部隊を演じる少女たちの感情移入の激しさに驚かされました。指摘された感情を創造しながら自分のものにしていく中高生女子の大胆さは俳優たるものの見本ともいえます。彼女たちのがんばりで、稽古場に良きオーラーが満ち溢れました。
今回は、実にいい雰囲気で稽古が進行しています。実行委員の皆さんも何かと工夫を凝らして、参加者を引っ張って行ってくれてるし、指導者の連中もすごく気が入っている。歌唱指導の佐治さんは指導が具体的で的確だし、振付のまあちゃんはみんなをいい気分に乗せていくのがうまい。そして新参者の林浩代さんはこれまでの弱点だった発声訓練で見事な役割を果たしてくれています。
こうなってくると一番遅れているのが演出ではないかと焦ってきます。台本の直しもやれてないし、ミュージカルを総合する全体的なイメージをまだ打ち出しきれてない。いけないいけない。今から一掃の馬力をかけていきます。
ところで、そろそろ、仕事のやりくりがつかないなどといった理由で出演を断念する人も出てきました。悔しい思いでキャンセルを申し込む方の無念さを思うと残念でなりません。今後は稽古も忙しくなります。でも途中でやめることだけは何とかしてさけたいと願うのです。最後の達成感と自己肯定感を味わうことなしに中断してしまえば、「結局ダメだった」という無力感ばかりが残ります。
舞台表現には人間を変える力があります。それは稽古中のさまざまな困難を乗り越えていく過程にも言えることです。むしろ困難であればあるほど、そこを乗り切った自分に自信がみなぎります。
大変でしょうが、指導陣もさまざまな工夫を凝らして、皆さんを支援していきます。大変さにくじけそうになった方はどうぞ、相談してください。みんなで最後の喜びを味わいましょう!
1幕1場「沖縄」は壮烈なアメリカ軍の艦砲射撃に耐える沖縄の人たち・・・実は映画の撮影シーンだったという場面。最初の立ち稽古だというのに、ひめゆり部隊を演じる少女たちの感情移入の激しさに驚かされました。指摘された感情を創造しながら自分のものにしていく中高生女子の大胆さは俳優たるものの見本ともいえます。彼女たちのがんばりで、稽古場に良きオーラーが満ち溢れました。
今回は、実にいい雰囲気で稽古が進行しています。実行委員の皆さんも何かと工夫を凝らして、参加者を引っ張って行ってくれてるし、指導者の連中もすごく気が入っている。歌唱指導の佐治さんは指導が具体的で的確だし、振付のまあちゃんはみんなをいい気分に乗せていくのがうまい。そして新参者の林浩代さんはこれまでの弱点だった発声訓練で見事な役割を果たしてくれています。
こうなってくると一番遅れているのが演出ではないかと焦ってきます。台本の直しもやれてないし、ミュージカルを総合する全体的なイメージをまだ打ち出しきれてない。いけないいけない。今から一掃の馬力をかけていきます。
ところで、そろそろ、仕事のやりくりがつかないなどといった理由で出演を断念する人も出てきました。悔しい思いでキャンセルを申し込む方の無念さを思うと残念でなりません。今後は稽古も忙しくなります。でも途中でやめることだけは何とかしてさけたいと願うのです。最後の達成感と自己肯定感を味わうことなしに中断してしまえば、「結局ダメだった」という無力感ばかりが残ります。
舞台表現には人間を変える力があります。それは稽古中のさまざまな困難を乗り越えていく過程にも言えることです。むしろ困難であればあるほど、そこを乗り切った自分に自信がみなぎります。
大変でしょうが、指導陣もさまざまな工夫を凝らして、皆さんを支援していきます。大変さにくじけそうになった方はどうぞ、相談してください。みんなで最後の喜びを味わいましょう!
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| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年06月10日
実行委員って何?
市民ミュージカルの前回の稽古後も、実行委員会がありました。
このところの会議で感じることですが、今回は、実行委員の皆さんの意気込みがちがうようです。前回の公演での実行委員会の総括会議では、その役割にいろいろな問題で反省点があったことが確認されました。いはば「実行委員の役割とは何か?」という根本的な総括でした。
誰もがそうした反省点を意識しながら、今回は議論が進んでいるようです。第1回公演を立ち上げた時の、あの不安と意欲とが入り混じった、混沌としながらも攻勢的な議論が沸騰したことを思い出します。そこが市民活動の面白いところです。そうしたエネルギーがある限り、市民ミュージカルはまだまだ発展していくことでしょう。
市川でもさまざまな市民活動が積極的に活動を広げています。市民活動だけが・・・とはいいませんが、市民活動こそがこれからの難しい時代を切り開く大きな力だと信じています。そうした活動を通して、人間が成長していくことの偉大さを面白いと思うのです。僕自身も成長している実感があります。だからやめられない。
前回のこの欄で、今回の公演が2回になるか4回になるかの結論が出たと書きましたが、稽古場ではその発表がありませんでした。「何故?」と問うと、「その問題は出演者には伝えていなかったから」ということでした。確かに、ぼくが勝手に書き立てたことでした。ですから、ここで勝手に発表することにします。がんばって、4回公演に挑戦しよう! ということです。会場を満席にするために、自らチケット売りや協賛金・広告集めに奮闘するとともに、出演者の皆さんにも「観客を呼ぶことの大切さ」を強く訴えていこうと確認し合ったことを、勝手に報告しておきます。
このところの会議で感じることですが、今回は、実行委員の皆さんの意気込みがちがうようです。前回の公演での実行委員会の総括会議では、その役割にいろいろな問題で反省点があったことが確認されました。いはば「実行委員の役割とは何か?」という根本的な総括でした。
誰もがそうした反省点を意識しながら、今回は議論が進んでいるようです。第1回公演を立ち上げた時の、あの不安と意欲とが入り混じった、混沌としながらも攻勢的な議論が沸騰したことを思い出します。そこが市民活動の面白いところです。そうしたエネルギーがある限り、市民ミュージカルはまだまだ発展していくことでしょう。
市川でもさまざまな市民活動が積極的に活動を広げています。市民活動だけが・・・とはいいませんが、市民活動こそがこれからの難しい時代を切り開く大きな力だと信じています。そうした活動を通して、人間が成長していくことの偉大さを面白いと思うのです。僕自身も成長している実感があります。だからやめられない。
前回のこの欄で、今回の公演が2回になるか4回になるかの結論が出たと書きましたが、稽古場ではその発表がありませんでした。「何故?」と問うと、「その問題は出演者には伝えていなかったから」ということでした。確かに、ぼくが勝手に書き立てたことでした。ですから、ここで勝手に発表することにします。がんばって、4回公演に挑戦しよう! ということです。会場を満席にするために、自らチケット売りや協賛金・広告集めに奮闘するとともに、出演者の皆さんにも「観客を呼ぶことの大切さ」を強く訴えていこうと確認し合ったことを、勝手に報告しておきます。
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| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年06月03日
2回公演か? 4回公演か?
30日の稽古の後、その場で実行委員会が開かれました。シネマ・ミュージカルを2回公演に縮小すべきか? 4回公演に突き進むか? の最後の討議です。
市民ミュージカルは1日2回公演から始まり、第3回公演「夏の光」で一挙に2日間4回公演に踏み切りました。ゲネプロ(舞台リハーサル)の時間も十分に確保できず、入場料3000円だったから、それこそ出演者・関係者一同みんな必死で稽古したりチケットを売り歩いたりしたものです。
そして舞台はものすごい感動につつまれ、5000名の観客(なんと市川市民の100人に一人以上です)に「すごいねえ!」とうならせる成果となったのです。「夏の光」は名作と評価され、いちかわ市民ミュージカルは市民の自主的な公演活動としては全国でも屈指の活動へと成長していきました。
その大変さの結果の感動の記憶が実行委員にはあるものだから、今回も4回公演を前提に準備を進めてきました。でも冷静に分析してみると、これまでの出演者の平均の入場券販売実績は一人当たり13枚。それも5枚しか売れなかった人から150枚以上売った人までの平均(第3回公演では一人平均17枚)、出演者は300人いての結果でした。
今回の出演者は190人ほど、子どもたちの数がかなり減ってしまいました。単純計算で190人×13枚=2470人、何せ1700名も入る市川市文化会館大ホール、どう考えても2回公演分の数字です。4回公演にすると1公演あたり620人、隙間風が吹く客席と向き合っていてはどんなにいい舞台を創っても感動は風に吹き流されてしまいます。
いつも資金不足に悩まされながらも夢と意気と楽しさとエネルギーだけで継続されてきたこの活動、厳しい現実の中で、実行委員は皆頭を抱え込んでしまいました。
そして結論が出ました。その結果は・・・稽古場で改めて皆さんに提案されることと思います。
市民ミュージカルは1日2回公演から始まり、第3回公演「夏の光」で一挙に2日間4回公演に踏み切りました。ゲネプロ(舞台リハーサル)の時間も十分に確保できず、入場料3000円だったから、それこそ出演者・関係者一同みんな必死で稽古したりチケットを売り歩いたりしたものです。
そして舞台はものすごい感動につつまれ、5000名の観客(なんと市川市民の100人に一人以上です)に「すごいねえ!」とうならせる成果となったのです。「夏の光」は名作と評価され、いちかわ市民ミュージカルは市民の自主的な公演活動としては全国でも屈指の活動へと成長していきました。
その大変さの結果の感動の記憶が実行委員にはあるものだから、今回も4回公演を前提に準備を進めてきました。でも冷静に分析してみると、これまでの出演者の平均の入場券販売実績は一人当たり13枚。それも5枚しか売れなかった人から150枚以上売った人までの平均(第3回公演では一人平均17枚)、出演者は300人いての結果でした。
今回の出演者は190人ほど、子どもたちの数がかなり減ってしまいました。単純計算で190人×13枚=2470人、何せ1700名も入る市川市文化会館大ホール、どう考えても2回公演分の数字です。4回公演にすると1公演あたり620人、隙間風が吹く客席と向き合っていてはどんなにいい舞台を創っても感動は風に吹き流されてしまいます。
いつも資金不足に悩まされながらも夢と意気と楽しさとエネルギーだけで継続されてきたこの活動、厳しい現実の中で、実行委員は皆頭を抱え込んでしまいました。
そして結論が出ました。その結果は・・・稽古場で改めて皆さんに提案されることと思います。
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2010年05月26日
配役発表
シネマ・ミュージカルでは先日、第1次配役発表がありました。子どもを除いた青年・大人たちの配役を発表しました。その後、台詞責任のある出演者だけを集めて1幕の台本読み合わせ。演技だけにさける稽古時間が少ないことを前提に、「早く台詞を覚えろ! 明確な声で語れ! 読むな! 語れ! 台本をよく読みこんで、役の人物になりきろうとしろ!」・・・最初から演出の厳しい要求が次々と出されます。主要な役を担う方々はこれから大変だと思います。出席しなければならない日数も並みの数ではないですからね。がんばってください。
ある方から質問がありました、「配役にも合唱団にも名前の呼ばれなかった私は何をするのですか?」と。これから第2次配役発表があります。香盤表といいますが、一人ひとりの出演者の出番を一覧にしたものを現在作成中です。それを見れば、皆さん、本番中は休んでいられないほどの出番が待っていることが明らかになるでしょう。
鳩山首相が沖縄の普天間基地移設に関して苦境に立っています。「何とか沖縄の声に応えよう」といいことばかり言ってきて、結局はアメリカの声に従ってしまうんですから、市民の逆襲に合うのは当然ですね。良かれと思って行動したことが現実的な解決力がなくて、返って反発を強めてしまう。これは市民活動でも同じです。空理空論の善意だけでは市民活動は力を持ちません。現実的な解決力が必要です。いちぶんネットも肝に銘じましょう。
ある方から質問がありました、「配役にも合唱団にも名前の呼ばれなかった私は何をするのですか?」と。これから第2次配役発表があります。香盤表といいますが、一人ひとりの出演者の出番を一覧にしたものを現在作成中です。それを見れば、皆さん、本番中は休んでいられないほどの出番が待っていることが明らかになるでしょう。
鳩山首相が沖縄の普天間基地移設に関して苦境に立っています。「何とか沖縄の声に応えよう」といいことばかり言ってきて、結局はアメリカの声に従ってしまうんですから、市民の逆襲に合うのは当然ですね。良かれと思って行動したことが現実的な解決力がなくて、返って反発を強めてしまう。これは市民活動でも同じです。空理空論の善意だけでは市民活動は力を持ちません。現実的な解決力が必要です。いちぶんネットも肝に銘じましょう。
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2010年05月18日
自分に愛の言葉を!
先週から本格的な合唱とダンスの基本稽古が始まりました。「私は合唱だけの志望なのに、ダンスまでやらされて・・・」と文句たらたらの方も含めて、全員が慣れない音程やステップに戸惑いつつ何度も挑戦させられて、今日などは耳に残響が残り、体中のあちこちもうずいている方も多いことでしょう。
でも稽古場は陽気な楽天性に満ち満ちていました。何かを一から創造していくのはなんと楽しいことでしょう。
この世には愛の言葉というものがあるそうです。自分に他人に「だめだ!つらい!つまらない!悲しい!さびしい!きらいだ!」といった否定的な言葉より、「うれしい!楽しい!ついてる!面白い!ありがとう!」といった肯定的な言葉を投げかけていたほうが、人生がずっと充実してくる、といった当たり前のようなことですが、でも実践するのは結構難しい。嘘でも肯定的な言葉を口ずさんでいた方が状況が変わっていきやすいそうです。
若い頃の僕は唯物論者で、存在が意識を規定するとばかりに、人間にそういう否定的現象を強いる世の中の矛盾と闘おうとしないで、自分の心ばかりを満足させる宗教的な考えはアヘンだ、と反発していたものですが、近頃は違うのではないかと思うようになりました。
短く説明するのは困難ですが、まずこの世に生まれた自分を肯定することが先決だと。社会をより良き方向へと代えていきたいという気持ちは忘れてはいませんが、社会の矛盾のせいで自分の不幸があると考えるのではなく、自分を肯定したいから社会の矛盾とぶつかっていくのだと。恨みつらみで社会と向き合うことより、まさに愛の言葉で自分を社会を築いていくことが楽しいではないかと。
「恨」の看板を掲げて闘った水俣の人たちにはせせら笑われそうですが、もう先の短い人生、愛と肯定の言葉で満たせていきたいと思うのです。
でも稽古場は陽気な楽天性に満ち満ちていました。何かを一から創造していくのはなんと楽しいことでしょう。
この世には愛の言葉というものがあるそうです。自分に他人に「だめだ!つらい!つまらない!悲しい!さびしい!きらいだ!」といった否定的な言葉より、「うれしい!楽しい!ついてる!面白い!ありがとう!」といった肯定的な言葉を投げかけていたほうが、人生がずっと充実してくる、といった当たり前のようなことですが、でも実践するのは結構難しい。嘘でも肯定的な言葉を口ずさんでいた方が状況が変わっていきやすいそうです。
若い頃の僕は唯物論者で、存在が意識を規定するとばかりに、人間にそういう否定的現象を強いる世の中の矛盾と闘おうとしないで、自分の心ばかりを満足させる宗教的な考えはアヘンだ、と反発していたものですが、近頃は違うのではないかと思うようになりました。
短く説明するのは困難ですが、まずこの世に生まれた自分を肯定することが先決だと。社会をより良き方向へと代えていきたいという気持ちは忘れてはいませんが、社会の矛盾のせいで自分の不幸があると考えるのではなく、自分を肯定したいから社会の矛盾とぶつかっていくのだと。恨みつらみで社会と向き合うことより、まさに愛の言葉で自分を社会を築いていくことが楽しいではないかと。
「恨」の看板を掲げて闘った水俣の人たちにはせせら笑われそうですが、もう先の短い人生、愛と肯定の言葉で満たせていきたいと思うのです。
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2010年05月13日
第2次配役選考は続く
ゴールデンウィークの最終日の9日、市民ミュージカルでは大人ばかりが集まって、第2次配役選考が行われました。
台本に沿って、さまざまな取り合わせで配役していって、その適合振りを見ていくのです。欠席者は数名程度、皆さんとても熱心なのか、それとも外に遊びにいくお金がないのか、12時から17時まで、机にかじりついたまま緊張したオーディションが続きました。
さすがに何度か体験したリピーターの方々が上手になっているのは嬉しいことです。特に、市民劇団七福神などの演劇公演で鍛えられている人たちの上達は驚くべきものがあります。でも上手だからっていい役が配られるわけではありません。そこがオーディションの難しい所です。
初めに台本のテキストレジーが1時間ばかりありました。上演時間がこのままだと3時間を越える予想のため、カットを中心に台本を切っていきます。演出者は1時間しゃべりっぱなし。近頃すぐ口が乾いてしまうのは、悲しいかな歳のせいでしょう。以前は高らかに響いた高音も今ではかすれるばかりです。老いゆく愁いは枯葉とともに身につまされて・・・永井荷風の心境です。また愚痴になってしまいました。
ところで稽古終了後は、皆さんどうしていらっしゃるのかしら? 稽古後の飲み会ほど楽しいものはないのに、多分皆さんもそういう機会を望んでおられるだろうに、みんなまだ知り合いも少なく、「飲みにいきましょう!」と音頭とってくれる人も現われないでいるのでしょうか。僕など、気持ちのいい夕方ともなれば皆でビールを傾けたくて仕方ないのに、終了後はいつも指導スタッフとの打ち合わせ会議、あまり飲みたがる人もいないので、誰か、どこで飲んでるかといった情報を入れてくれればいいのに、と恨みつつ、一人寂しく帰るばかり。早くそういう楽しい機会が現われることを望みます。
台本に沿って、さまざまな取り合わせで配役していって、その適合振りを見ていくのです。欠席者は数名程度、皆さんとても熱心なのか、それとも外に遊びにいくお金がないのか、12時から17時まで、机にかじりついたまま緊張したオーディションが続きました。
さすがに何度か体験したリピーターの方々が上手になっているのは嬉しいことです。特に、市民劇団七福神などの演劇公演で鍛えられている人たちの上達は驚くべきものがあります。でも上手だからっていい役が配られるわけではありません。そこがオーディションの難しい所です。
初めに台本のテキストレジーが1時間ばかりありました。上演時間がこのままだと3時間を越える予想のため、カットを中心に台本を切っていきます。演出者は1時間しゃべりっぱなし。近頃すぐ口が乾いてしまうのは、悲しいかな歳のせいでしょう。以前は高らかに響いた高音も今ではかすれるばかりです。老いゆく愁いは枯葉とともに身につまされて・・・永井荷風の心境です。また愚痴になってしまいました。
ところで稽古終了後は、皆さんどうしていらっしゃるのかしら? 稽古後の飲み会ほど楽しいものはないのに、多分皆さんもそういう機会を望んでおられるだろうに、みんなまだ知り合いも少なく、「飲みにいきましょう!」と音頭とってくれる人も現われないでいるのでしょうか。僕など、気持ちのいい夕方ともなれば皆でビールを傾けたくて仕方ないのに、終了後はいつも指導スタッフとの打ち合わせ会議、あまり飲みたがる人もいないので、誰か、どこで飲んでるかといった情報を入れてくれればいいのに、と恨みつつ、一人寂しく帰るばかり。早くそういう楽しい機会が現われることを望みます。
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| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年05月04日
緊張の配役選考
世はまさにゴールデンタイムだというのに、シネマ・ミュージカルでは、連日配役のためのオーディションが続いています。
配役を決めるのは本当に難しいものです。ひとりの人間の中にどんな可能性が秘められているか、ちょっと見ただけでわかる訳がありません。これまでも何度も選考を繰り返して、結局配役に失敗したという後悔も数知れずあります。
贅沢を許される創造団体では、一つの役を何人かで稽古を続けながら競わせて、最終段階でメインとサブを決定するという厳しいやり方をしているところもあるくらいです。
オーディション会場に入ってくる皆さんの緊張振りも相当なものでした。今回の台詞は難しく、家で稽古してきた実績が明らかに露見してしまいました。そして驚くべきことに、ほとんどの方が何度も稽古を重ねた様子が見られて感心しました。そういう意味では年々意識が高まっているようです。どこかたどたどしい日本語で、一生懸命演じている女性がいました。中国の方でした。慣れぬ日本語の、それも相当に難しい言葉と格闘する姿は感動的でもありました。
市民ミュージカルでは、できるだけ多くの方に役を演じていただこうと、台本創作の段階でさまざまに工夫を強いられます。時にはそれが舞台を冗漫にさせてしまう危険もあるのですが、その創作法をやめようとは思いません。なるべく多くの方に、舞台の上で注目される瞬間を味わってもらいたいためです。
来週からは台本を読み合わせながら、最終選考を行います。最後に喜ぶ人、悔しがる人、不満顔な人に分かれる時です。こちらとしてもつらい選択をしなければならないのですが、それも仕事です。結果をまちがえないようにだけはしたいものです。
配役を決めるのは本当に難しいものです。ひとりの人間の中にどんな可能性が秘められているか、ちょっと見ただけでわかる訳がありません。これまでも何度も選考を繰り返して、結局配役に失敗したという後悔も数知れずあります。
贅沢を許される創造団体では、一つの役を何人かで稽古を続けながら競わせて、最終段階でメインとサブを決定するという厳しいやり方をしているところもあるくらいです。
オーディション会場に入ってくる皆さんの緊張振りも相当なものでした。今回の台詞は難しく、家で稽古してきた実績が明らかに露見してしまいました。そして驚くべきことに、ほとんどの方が何度も稽古を重ねた様子が見られて感心しました。そういう意味では年々意識が高まっているようです。どこかたどたどしい日本語で、一生懸命演じている女性がいました。中国の方でした。慣れぬ日本語の、それも相当に難しい言葉と格闘する姿は感動的でもありました。
市民ミュージカルでは、できるだけ多くの方に役を演じていただこうと、台本創作の段階でさまざまに工夫を強いられます。時にはそれが舞台を冗漫にさせてしまう危険もあるのですが、その創作法をやめようとは思いません。なるべく多くの方に、舞台の上で注目される瞬間を味わってもらいたいためです。
来週からは台本を読み合わせながら、最終選考を行います。最後に喜ぶ人、悔しがる人、不満顔な人に分かれる時です。こちらとしてもつらい選択をしなければならないのですが、それも仕事です。結果をまちがえないようにだけはしたいものです。
posted by ヨッシー at 23:07| Comment(0)
| 第5回市民ミュージカル「シネマ・ミュージカル」
2010年04月28日
市民ミュージカル キックオフ!
25日、市川市勤労福祉センター大会議室で第5回いちかわ市民ミュージカル公演「シネマ・ミュージカル」の初顔合わせがありました。いよいよ長い熱い稽古体制の始まりです。
現時点での出演申込者は200名ほど。その8割くらいの人が出席したでしょうか。リピーターが7割、新参加者が3割といった割合。いかにも素人っぽい司会者たちの進行で始まった「出会いのためのゲーム」、熱気あふれるというわけでもないけれど、和気藹々としたいい雰囲気につつまれました。
その後のオリエンテーションでは、スタッフや実行委員の紹介と僕の長いくどくどした挨拶と説明・・・立ち上がりは今ひとつでしたが、がんばります!・・・そして、配役のための選考会へと進んでいきました。
子どもたち一人ひとりの歌唱ソロの選考・・・だれもがものすごく緊張していて、ろくな声になりません。メロディーもリズムも別に狂っているわけではないのですが、ともかく声が出ない。驚くほどです。
そういえば、最近我が家の前の道でも、歌を口ずさんで帰る子どもなど極めてまれになってきましたね。皆で歌を合唱するちょっとした楽しみも少なくなってきたようです。
声が通るように体が開いていない、素直な声が失われているというのが今の子どもたちの現実でしょう。コミュニケーションの武器である声が通らないということが問題なんですね。
せっかくのチャンスです。稽古の序盤では、十分に基本訓練に時間をかけて凝り固まった体と心を解きほぐしていく作業に力を入れたいと思います。自分がここまでいい声が出た!と知った時、その人の自信すらもみなぎってくる・・・それが声というものです。
出演者はまだまだ募集中です。今からでもお申し出ください。
現時点での出演申込者は200名ほど。その8割くらいの人が出席したでしょうか。リピーターが7割、新参加者が3割といった割合。いかにも素人っぽい司会者たちの進行で始まった「出会いのためのゲーム」、熱気あふれるというわけでもないけれど、和気藹々としたいい雰囲気につつまれました。
その後のオリエンテーションでは、スタッフや実行委員の紹介と僕の長いくどくどした挨拶と説明・・・立ち上がりは今ひとつでしたが、がんばります!・・・そして、配役のための選考会へと進んでいきました。
子どもたち一人ひとりの歌唱ソロの選考・・・だれもがものすごく緊張していて、ろくな声になりません。メロディーもリズムも別に狂っているわけではないのですが、ともかく声が出ない。驚くほどです。
そういえば、最近我が家の前の道でも、歌を口ずさんで帰る子どもなど極めてまれになってきましたね。皆で歌を合唱するちょっとした楽しみも少なくなってきたようです。
声が通るように体が開いていない、素直な声が失われているというのが今の子どもたちの現実でしょう。コミュニケーションの武器である声が通らないということが問題なんですね。
せっかくのチャンスです。稽古の序盤では、十分に基本訓練に時間をかけて凝り固まった体と心を解きほぐしていく作業に力を入れたいと思います。自分がここまでいい声が出た!と知った時、その人の自信すらもみなぎってくる・・・それが声というものです。
出演者はまだまだ募集中です。今からでもお申し出ください。
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2009年10月02日
水木洋子ワールド
来年度のいちかわ市民ミュージカルは、戦後市川に移り住んで、亡くなるまでの20年以上、八幡町の邸宅で日本映画のシナリオを書き続けたシナリオライター水木洋子氏の人生と業績を検証する企画「女の一生〜水木洋子ワールド」を上演することになっています。
9月末、1ヶ月遅れで上演台本を書き上げました。作業の後半は割りと集中できて作品もいい(と思う)し、何か創作する僕なりの方法論というのも大げさですが、集中力の持ち方をつかんだように思います。
今回の作業では、1誰も水木洋子を知らない。2彼女の書いた名作映画すらも見ていない人が多い。3子どもから大人までの出番を確保しなければならない。4ミュージカル的面白さを工夫しなければならない。という点を考慮に入れて、なかなか大変でした。
何故そうまでして水木洋子氏を取り上げるかというと、我々の町である市川に、市民ミュージカルをもっと深く根付かせるためです。来年は氏の生誕100周年記念に当たります。純情物語やキクとイサムといった、今井正監督とともに戦後日本映画の金字塔を打ち立てた業績を、多くの市民とともに検証しようとすることで、市川市民の文化発展に大きく寄与すると信じるからです。
とはいえ面白くなければ何にもなりません。今回はまさに日本の女の歴史と主張を彼女に象徴させて、女よ負けるな!とエールを送りたい気持ちで書きました。また、実際の人物と水木洋子が創作した映画の登場人物とを交差させて、映画の魅力や撮影現場を面白おかしく描くことができたと思います。ちょっと長いのでもう一考が必要ですが。
皆さん、読んで、ぜひご意見を聞かせてください。
9月末、1ヶ月遅れで上演台本を書き上げました。作業の後半は割りと集中できて作品もいい(と思う)し、何か創作する僕なりの方法論というのも大げさですが、集中力の持ち方をつかんだように思います。
今回の作業では、1誰も水木洋子を知らない。2彼女の書いた名作映画すらも見ていない人が多い。3子どもから大人までの出番を確保しなければならない。4ミュージカル的面白さを工夫しなければならない。という点を考慮に入れて、なかなか大変でした。
何故そうまでして水木洋子氏を取り上げるかというと、我々の町である市川に、市民ミュージカルをもっと深く根付かせるためです。来年は氏の生誕100周年記念に当たります。純情物語やキクとイサムといった、今井正監督とともに戦後日本映画の金字塔を打ち立てた業績を、多くの市民とともに検証しようとすることで、市川市民の文化発展に大きく寄与すると信じるからです。
とはいえ面白くなければ何にもなりません。今回はまさに日本の女の歴史と主張を彼女に象徴させて、女よ負けるな!とエールを送りたい気持ちで書きました。また、実際の人物と水木洋子が創作した映画の登場人物とを交差させて、映画の魅力や撮影現場を面白おかしく描くことができたと思います。ちょっと長いのでもう一考が必要ですが。
皆さん、読んで、ぜひご意見を聞かせてください。