2016年11月24日

11月の雪

 リハビリに行こうとしたら雪だった。
 54年ぶりの11月の雪だとか、びっくりしましたね。慎重に進む車の窓から見たジュンサイ池の雪景色、ことに池の上でゆっくりとなびいては姿を変えていく雪煙が何とも美しく、しばし見とれていました。
 とはいえ今年の秋は何とも短い、半分は病窓から、半分はリハビリの行き帰りに楽しむばかりで悔しい。
 でも、行動範囲が狭くなったおかげで、逆にいろんなことにもう一度配慮がいくようになった気がします。あれもこれも猛スピードで突っ走っていた頃に置き去りにしていたちょっとした作業も、みんなで丁寧に見返すゆとりができました。いちぶんネットの事業点検なんて、ほんと久しぶりだもんね。視点を変えれば、世の中はいろんな光景を見せてくれるのですね。
 このところ、午前はリハビリに専念し、午後は波瀾ばんばん座に書き下ろした「私は今日まで生きてみました」という台本を書き直しています。
 気づけば、みんな高齢者。これからの人生をどう生きるかを一緒に考えようという意図の戯曲で、夏までには書き上げていたんだけど、いざ稽古に入るとなんだかつまらん。ということで、稽古の間が長いこの間に「マンマ・ミーア」のような歌入り芝居に書き直そう思ってます。
 それにしても、温泉に行きたいなあ。
posted by ヨッシー at 11:28| Comment(0) | 個人的分野

2016年11月12日

退院、そして部分復帰!

 11日(金)、どうにか退院できました。
 長い間、たくさんの方々にご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。
 全治3か月、普通は12月末まで入院せねばならなかったのですが、我が儘な患者の無理を聞き入れてもらいました。もっとも午前中はリハビリ通院することになっていますし、松葉杖がなければ一歩も動けない身体です。
 50日ぶりの娑婆の空気のおいしいこと! こればかりは長期隔離の体験者でしか味わえない喜びでしょう。普通で平凡である日常こそが幸せなのです。
 外出・外泊という形で、すでに4日から稽古に参加するようになりました。チャレンジドMやシニア劇団のみなさんにも大歓迎されて嬉しかったですね。今後、少しずつ活動の幅を戻していきます。またよろしくお願いします。
 
 うんざりするほど長かったアメリカ大統領選がびっくり仰天の結末でしたね。ほとんどのジャーナリストがこの結果を見抜けなかったんだから、真実を見つめるって難しいんですね。
今回の事態の本質を、僕は「世界的な規模の差別主義と利己チュウの台頭」と見ます。戦後70年、どうにか提唱してきたヒューマニズムや共生といった抽象的概念が音立てて崩れていくのを感じます。きれいごとを言ってても何も変わっていかないどころか、ますますひどくなる格差にうっぷんが爆発してしまったんでしょうね。しばらくは、どこの国も自己中心的な政策とそれを強引に推し進めるためのネオファシズムが蔓延していくのじゃないかしら。そんな予感に怯えてる人は少なくないでしょう。
でも僕はやっぱり、「きれいごと」を言い続けていこうと思います。トランプのような野郎は大きっらいだったし、差別や憎しみを社会を変える力とはしない…、これがこの年まで僕が信条として生きてきた思いだからです。
posted by ヨッシー at 11:39| Comment(0) | 個人的分野

2016年11月03日

シリーズ9  赤レンガ見学会大盛況!

 10月29日(土)、今年の赤レンガ見学会が開かれた。
 会長の僕が事故で抜けて、途中からすべて会の運営委員の人たちの仕切りとなったのだが、普段はどこか「仕切りは吉原さんに任せて、言われたことをやろう」的な雰囲気も無きにしも非ずだったのが、今回はそうは言ってられない。皆さん表情が変わって一生懸命になって動いたらしい。参加者380人というびっくりする成果となったようだ。
 今回のもう一つの目玉は「中高生による赤レンガ宣伝ワークショップ」。
 中高生が写真やビデオや写生や歌で、要するに得意な分野を駆使して、赤レンガを大いに宣伝してもらおうという企画、市内の中高生30余名が参加した。
 この企画が成功したようだ。これで一気に赤レンガが市内の学校関係者に話題化されていった。新聞ものってくれて、380人という来場者に成果が現れた。
 でも、赤レンガを生かす会の運営委員の人たち、さすがの人たちだと感心した。皆、環境やまちづくりや行政マンなどさまざまな活動に従事してきた市民たち、いざ非常時と認識してからの行動の素早いこと、大人市民の見事さだ。ほんとに、こういう人たちが世の中を変えていく力となっているのだろう。
 いちかわ広報担当者も数名が取材に来たというから、赤レンガ保存をめぐる市川市の方針に何かいい方向性が芽生えたのかもしれない。
 一昨年に発行した赤レンガ冊子が大評判を取った。その時に感じたことだが、状況を読み取って、時期にあったいい企画をバッチシと打ち出せれば、活動は大きく変化していく。今回の中高生ワークショップもそんな新しい動きを生み出しそうな気がする。
 社会を築いていくって、もちろん地道で計画的な仕事ぶりが前提であるけれども、こういう「面白がってやる」活動が具体的なまちづくりの事業となっていくことも大事なんだと思う。最近の市川は(日本全体がだけど)面白さが足りない。面白い街にしたい。
posted by ヨッシー at 11:50| Comment(0) | 赤レンガ

2016年10月31日

シリーズ8  直角に曲がったら…!

 病院での暮らしでは、週に何回かは、医者の回診がある。
 昔見た「白い巨塔」では、権威の塊のような白衣集団がBGMも高らかに怒涛の行進を見せていたものだが、この病院でも、看護師が2,3人付き従って、それなりに緊張した儀式ぶりを見せている。でも診るのは手術の切開傷のチェックのみ。
 もう薬は何も飲んでない。20分の超音波治療ときちんと3度の低カロリーの食事と1時間のリハビリと「部屋でもやってください」と言われてする筋トレと散歩、パソコンと読書…あっという間に日は過ぎていく。驚くばかりだ、もうひと月過ぎたのだもの。
 膝を曲げる…これだけのことがとても苦痛を伴う大事業なのだ。足はまだ地に着けない。半分の重心で着くのが2ヶ月後、全重力を委ねるのが3ヶ月後。今はただ硬直しちまった筋肉をなだめなだめて伸ばして伸ばして、膝を曲げること。
 その時の痛みには2種類ある。細い神経の紐が引っ張られるようなツーンとした痛みと筋肉の束が圧力機で押しつぶされるようなドーンとした痛み。伸ばして曲げるときも痛いが、曲げた足を戻す時も痛い。リハビリとは痛みとの戦いなのだ。でも繰り返していれば、痛みは徐々に排除されていく、決して裏切られることはない。リハビリとは希望なのだ。
 僕には見舞い客や打ち合わせ客が多いのと、「いつまで入院しなければならないのか?」といった不平がましい質問にうるさく思われたのか、昨日の回診で主治医が「膝が直角に曲がったら退院かな」と言ってくれた。ウワオ〜ッ!
 膝曲げ訓練を初めて2週間になる。ただぶら下げるだけでも大変だった右膝も今や65度。でも先週末には90度を達成しているはずだった。ああ、僕に拷問に耐える革命戦士の根性があれば、とっくに直角の壁は超えていたはずだ。
 とはいえ、目標は明確に定められた。直角実現して退院だあ!
posted by ヨッシー at 09:58| Comment(0) | 個人的分野

2016年10月29日

シリーズ7  孤独の闇

病院での個室生活1ヶ月。いろんな方が見舞いに来てくれてますが、それでも本質は世間から孤絶された空間。
 妙なことに気づきました。72歳の元自衛官の自爆テロの事件報道をテレビで見ていて、男が一途に暴挙へと突っ走っていった経緯がすごく理解できるのです。
 キーポイントは孤独。“穴倉の思考”とでも言うか、孤独な老人が一方通行の思考を積み重ねて、ついに絶望的境地に到達する過程が、今の僕には妙にくっきりと見えてきます。
 ぼくにしても、いつもだったら稽古したり飲んだり喋ったり、いろんな人たちと忙しく接している毎日だったのが、病院の個室で寂しい時を過ごしている今は孤独に敏感になっているのかもしれませんが、自爆犯の彼もSNSで心情を発信していたらしいけど、誰も反応してくれなかったとしたら、むしろ孤独は一層深まっていくでしょう。
 彼の日常生活の周囲にどんな人間関係を築いていたかが気になります。彼にもそういう人間関係はあったのかもしれないし、そういう薄い関係では収まらなかった暴発だったかもしれません。それに、この年代の男がそう簡単に本音をさらけ出すとは思えませんから、根拠は薄弱ですが、それでも彼の周囲にちょっとした愚痴にも反応してくれる共感的人間関係といったものがあったら、どこかでブレーキがかかったのではないでしょうか。
 “孤独”は創造の原点です。一人静かに考える時間が大切なことは言うまでもありませんが、自分や家族以外に、職場や学校や地域や趣味の世界などに、もうひとつの人間関係を築いていくことがやっぱり大事なんだと思います。
 市川という町で僕が、そして僕の友人たちが築いている人間関係があれば、こんなにも悲惨な孤独の闇を生み出さずに済んだものをと悔やまれます。
posted by ヨッシー at 07:27| Comment(0) | 個人的分野